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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

できるものなら

私(筆者)は自閉症スペクトラムです。
 
しかし、それがどうしたのでしょうか?
処方された薬は服用しており、回復に向けて努力を続けております。
しかし、私がこうした症状(病)に侵されていることについて世間は優しくないのです。
 
これはノンフィクションです。
 
婚約者のご両親からは精神病について疑問を持たれました。
通っていた、某通信制学校についても疑問を持たれました。
社会人になって自分の持っている精神病について、面接の時に深く問われる時がありました。
寧ろ、精神鑑定を受けされる方が苦はでありました。が慣れてしまいました。
 
私は確かに精神障害者保健福祉手帳を保持しております。
しかし、何故ここまで、世間から追求されなければいけないのでしょうか?
 
私はシステムエンジニアとして3年間、外資系の大手の会社に新卒で勤めておりました。
今はその会社を退職して、フリーランスとして生業を経てて生活するようになりました。
 
その会社については、文句の一言もありません。
確かにパワハラなど、多くのハラスメントを受けてきたのは事実ですが、ここでは多くは語らないようにします。何より未来に向けて建設的な議論を進めていきたいのです。
 
でも、私は悔しいのです。未だに精神障害者という壁が僕の夢を
将来の行く末を阻んでいるのです。
 
婚約者のご両親がもたれる不安は僕にもわかります。
また、新たに勤めようとする会社の不安も僕には分からなくはありません。
 
しかし、どうして…僕は劣勢から立ち行かなければならないのか、非常に理不尽に感じてならないのです。このブログではずっと障がい者と健常者の間での社会的な格差を文字にしてきました。しかし現在、私は体感しているのです。
 
生産性に欠ける、理解するのに時間がかかる、確かに心の障がいにはどうしても否定しきれない欠点があるのは事実です。しかし、身体障害と精神障害の間に区分が存在するのは事実であり、差別とまでは言いませんが、公的には区別され支援の内容も大きく異なることは事実なのです。
 
できることなら、僕は普通の人間でありたい。
できることならば、僕は普通の人間という言葉を使いたくない。
 
しかし、社会的に見れば区別されているのです。
 
私は、精神障害者である。
 
その事実と、客観的な評価は変わりないものであり、私はその枠の中で生きて行かなければならないのです。
 
もちろん、不安や疑問もあります。
でも経済的に支援を受けているのは事実で障がい者として僕は生きています。
 
就職の場で、家族間の間で、そして信用(金銭的な)の間で「私は障がい者です」
と言う区分は使いたくないのです。都合の良い話かもしれません。
 
でも、独立して生計を建てていると言う自信はありますし、家族を養う経済的な余裕も作れるようになりました。それは近代的な生き方や働き方ではないかもしれませんが、間違いなく現代的な生き方や働き方であると思います。
 
コロナ禍のなかで多くの会社が苦境に喘いでいます。
個人事業主も事業の持続性に不安をもたれる方も少なくはありません。
私はそんな中で、決心をしました。
 
経済とはあまり関係はないのですが
人間関係や、会社の先行きが不透明ならば自分で将来のビジョンを設定して独立してしまえば良いと。語ることは容易く、実行に至るまでは相当な苦労があります。
 
その中で感じた壁、とは、先ほどお話した障害者であると言う世の中にある、偏見(全員ではありません)を感じて独立までに必要なの?と思う作業もしました。
 
日本では近年バリアフリー化や、オリンピック開催で盛り上がる中でパラリンピックへも関心を広めています。一見して障害を持つ人々への理解を促しているようにも見えなくはないのですが、私は表面的なパフォーマンスにしか見えないのです。
 
何故ならば
バリアフリー化は進むけれど(物理的に)、人々の間では理解が広まっていないのでは二でしょうか。沖縄県の女性教諭が授業中に奇声を上げてしまった児童がいたことから、「障がい者が迷惑な人と感じる人は手を挙げてください」と言った発言が教育の場であったそうですね。
 
教育現場、今後の社会をになっていく子供たちに対して、教育の場は特に差別的な意識を無くしていく、多様性を受け入れる場であるべきではないかと思うんです。
既に広がってしまった考え方や、人の価値観を変えることは相当難しいことです。
 
でも、次世代に差別や偏見は残さないような社会になれないでしょうか。
そう言う意味では今生きる私たちは、多様性を重んじる最初の世代であると考えます。
差別や偏見の考え方を無くすのは難しい。できるのならば今すぐにでも無くしたいけれど…現実的には難しいのが事実です。
 
だからこそ、気づきつつある私たちの世代から次世代へ向けて、より多様性を理解できる世の中を育んでいけたらいいなと思います。もちろん、いじめも一緒です。
問題視されている世の中ではありますが、ただ見て見ぬ振りをするのではなくできるのなら「これを読んでいるあなたは多様性を理解できる代位一世代です」
 
気がついたら行動しましょう。
社会が変わるのを待つだけではなく、私たちから変えていくのがこれからの時代です。
 
働き方も
生き方も
価値観も
 
全ての人が生きやすい世の中になるといいですね。
そう願いつつ、本日もブログを更新します。
 
いつも読んでくださる皆様ありがとうございます。
 
髙橋直之

自閉症スペクトラム症とは(障がい者とは)

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同じ人間なのに。一緒なはずなのに。
こんにちわ、たっきーです。
8月になりましたね。いよいよ僕の住むまちも梅雨明けかな。みんみんゼミが鳴く声が日に日に大きくなってきています。
また今年も暑くなりそうですね。皆さん熱中症にはくれぐれも気をつけてくださいね。
 
さて、今回の記事では自閉症スペクトラム症について医学的な知見と僕の体験談を交えて説明していきます。
 
なぜ、このタイミングで?
それは最近、脱サラしたことにより生活スタイルが大きく変化したことが要因にあるんです。フリーランスとしてやっていくには多くの行政手続きが必要で、僕を混乱させたんだ。届出には細かい内容まで記載が必要で人以上に書くのに時間はかかるし、誤字脱字も相変わらずで…
ある日、どうしても分からないことがあり、行政に相談したんだ。障害区分を記載する部分について尋ねたんだけど、精神障害については複雑なんだよね。
 
ADHDを理由に精神障害者保険福祉手帳を受けています。」
と僕が伝えたらADHDてなに?と逆に質問されてしまいました…税金に関わる内容なので障害区分の記載は慎重なのだろう。僕はいったんはそう理解して手帳とともに普段から持ち歩いている説明用のハンドブックを見せて説明したんだ…そう普段からADHDと伝えても、障害者手帳を提示しても疑問を示される場面が多々あるんだよね。
 
 
だって、
見た目は普通だし
会話も日常会話的なものなら支障ない。
(薬を用法容量守って服用している場合に限るけれど)
 
 
『一見すると他人からは障がいのある人間としては良くも悪くも見えないんだ。』
 
 
悪い方向に進むと行政手続きの場面ではしばしば疑いの目を向けられることが多かった。
通院履歴や投薬内容まで、聴かれることもあり、そこまで僕の個人情報を開示する義務は、条例や法律にもない。でも現実的には信用問題になるので僕は開示しているんだ。
 
つまり、まだまだADHDを含む自閉症スペクトラム症について社会的な認知度が低く、受け入れられていないのが現実である。と、痛感する日々でした。
 
前置きが長くなりましたが、今回改めて自閉症スペクトラム症について理解者を増やしたいと思いブログを更新いたします。
 
 
自閉症スペクトラム証では、「社会的コミュニケーションおよび対人関係」、「こだわり」の特徴が見られます。自閉症スペクトラム症は発達障害の一つであり、医学的には遺伝と環境の双方が関与して起こりますが、育てられ方が原因で起こるものではありません。つまり生まれ持ってきた先天的な障がいです。
また注意欠陥・多動症ADHD)などの他の発達障害や、他の精神疾患うつ病など)が併存していることも多く見られる傾向にあります。
日本イーライリリー株式会社(2017)
 
 
僕の場合、小学生〜高校生の頃は「社会的コミュニケーションと対人関係」に特徴が顕著にあったと、『今』だから振り返ることができます。
 
例えば、知り合ったばかりの人に対して距離感が掴めず執拗にガンガン距離をつめて会話していた。具体的には敬語で話させない。馴れ馴れしい会話等…etc
 
もちろん自然と浮いていってしまうよね。僕はクラスで最初は目立つ存在だったけれど、その後、「変わったやつだなぁ」「変なやつだなぁ」と揶揄されることもあった。
その時の僕の考え方はとにかく仲良くなりたかったんだ。でもあまりにも勢いが強過ぎたせいか人が持つと言うプライベートゾーンに土足で踏み込み、結果、近寄りたくないと思われてしまったのだと今は思います。
 
もちろん、それは当然のことで、変な人の元には近寄りたくないと思うのが人間の性。
だって自分にもしかしたら悪影響を及ぼすかもしれないと思った人と、あなたは友だち、または手を差し伸べたりしますか?
 
自閉症スペクトラム症とは、どうしても負の面が際立ってしまいがちなんだ…
だって外見ではどうしても見分けがつかないんだもん。
「変な人だな」そう思われても仕方ないと僕は今は飲み込めるけれど、学生時代はずっと、なぜ自分だけが嫌われてしまうのか、クラスから浮いてしまうのか非常に理不尽に感じていたし、虐げられるのがとても辛かった。
 
大人になって、仕事をするにあたって
  • 同期と馴染めない
  • 誤字脱字が直せない
  • コミュニケーションで事業に影響が出る
  • 職場での人間関係で悩む
 
学生では付き合う人間を選べたけれど、社会人になると上司は部下を選べないし、部下は上司を選ぶことができない。同期同士も選ぶことができない。万人との対人スキルが求められ僕は苦しみ、ある広告を見たきっかけで、僕は精神科を受診してADHDという特性(障がい)があることを認識したんだ。
 
学生時代は何とかなったけれど、大人になったら、所帯を持つ、新しい家族を養う
責任は重大であり、会社内では限られた人間関係の中で生き延びて行かなくてはならない。
 
そんな状況下、プレッシャーを感じて僕は初めて自分の特性に気がついたんだ。
 
そう、自分でも気づくのに20年以上を要したんだもの。
他人から見たら僕は発達障害を抱えているだなんて分からなくて当然だ。
 
でも、それが現実なんだよね。
 
うつ病を併発し、新卒で就職した会社は3年目で心身の故障を理由に辞めることになった。
 
自分が自分らしく生きるためにどうしたらいいか。
僕は今、自分自身と戦っている。新しい家族を作りたいが、差別の目を向けられる。
新しい就職先を見つけたいが、障害を理由に過去の実績に見合わない待遇を迫られる。
 
ここで考えて欲しいのです。
障害という言葉を発するのは自分ではなく第三者が多いんだ。
例えば、就職希望先の人事、行政上の区分、家族間の交渉…
 
そう言えば、自分から精神障がい者です。という機会は少ない。
あるとしたら行政手続きで障害者支援を受ける時くらいだ。
 
確かに僕は障害者控除や障害者手当なるものを受給している。
でも受給しないと生活に困窮するからなんだ。
 
社会は求める、健常者か障害者か
どっちなのかを…
 
尋ねられた時に僕は障害者手帳の交付を受けている以上、障害者として名乗らなければならない。でも、精神障がいの場合は見えにくいから疑念を抱かれるの…
この繰り返しです。
 
自分は一体、ナニ者なのか
支援を受けている傍ら、我がままかもしれないが僕はナニ者でもない。人間だ。
化者でもないし、変者でもない。人間として同等に扱って欲しい。
 
でも何故、区別されるのか。
自閉症スペクトラム症の抱える人々は本音では区別ではないと感じているのではないか。
もちろん自分の特性を理解した上で、その特性に応じて上手に付き合っていくべき発達障害だ。でもそれを受け入れて社会人として生活する人々に対して、果たして区別は必要なのだろうか。
 
支援が必要な人々には支援の手を差し伸べて欲しい。
でも、障がい区分て一体どの視点からの区分なのだろうか。
明日も行政手続きで区役所へ行くけれど、障害者とは一体何のために作られた言葉なのだろうかと疑問を捨てられずにいられないでいるんだ。
 
髙橋直之

夢が叶わない、経済困窮、でも将来の可能性は捨てないで。

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人生には分岐点がある。迷ったら引き返してもいいし、そのまま突き進むもいいのかな。

自分の意志で道を切り開いていけば後悔はしないはずだよね、きっと…

僕は中学生の頃、将来の夢として新幹線の運転士に憧れていました。
 
物心持つ頃から電車やバスが好きで、祖父や父に学校が長期休みになると電車に乗って、首都圏を中心に行ったことがない場所がなくなるくらい、色々と連れて行ってもらってました。
 
5才の時かな
祖父は柴又が好きで、帝釈天へ連れて行ってもらったり、父には東京の地下を網目のように縫って走る地下鉄を端から端まで乗せてもらったり。本当に電車が好きだった。
 
5才には寺社仏閣の価値を理解するのは難しかったけれど、それでも祖父はもの知りで、あっけらかんとしている僕に気づかず、歴史についてひたすら語っていたことを覚えている。そのせいか今では歴史好きだ笑
 
今、僕は27歳でIT関連の仕事をしていて高橋家の頭首として真面目に?働いている。
祖父も父も僕が学生時代の時に亡くなってしまったけれど小さい頃から世間の広さや厳しさを見せて教えてくれたことに、とても感謝している。
 
冒頭に書いた15歳の頃の夢は叶えることが出来なかったけれど、経験に基づいて今の僕の生き方に繋がっているように感じます。
 
15歳の頃は、いじめのトラウマから不登校になり家に塞ぎ込んでいた時期でした。それでも一丁前に将来の夢というものを確かに持っていたんだよね。
 
高校へ進学してからは、初めて学校が楽しい場所だと感じた。通信制でありながら毎日登校する、他の全日制高校と変わらない生活だった。今まで塞ぎ込んでいた分、生徒会や実行委員会などに積極的に参加して自分への自信をつけていったんだ。もちろん、最初は不安だったし、コミュニケーションも苦手だった。でもそこで出会った先輩に優しくアドバイスを頂けたし、行事に参画する中でかけがえのない一生もんの親友とも出会えた。
 
夢や希望を実現するためには成功体験を積み重ねて自分の自信を養うことと仲間が大切であると高校生になって初めて知ったんだ。
 
高校生の時に衝撃を受けたのは、国際問題について知ろうとする授業だった。その時に受けた衝撃はハンパなかった。今まで国内のこと、鉄道のことにしか興味のなかった僕だったんだけど、一気に世界へ視野を広げてもらったんだ。僕が中学生の時まで抱えていたトラウマを否定する訳ではないし、不登校になっていた僕の経験も大事だと思います。比べることではないのかもだけど
 
世界に眼を向けると、僕の抱えていたトラウマや将来への歩み方に大きな変化をもたらしてくれたんだ。
 
大学は国際系の学部へと進学した。休みには、バックパッカーとして世界アジアを中心に旅をした。あるゲストハウスと出会い僕はコミュ障を克服するためにヘルパーとしてそこで働いたんだ。外国人もよくお泊まりになる、もちろん日本人も!
そこで繰り広げられる会話はとても新鮮で内気な自分を解いっていってくれた。
 
そうしていく中で将来の夢が段々、変化していった。
①僕は観光を通じて世界中の人々の交流を促進するのもいいな
②人々が集まる空間、その土地の歴史や風土を残す景観づくりに興味を持った。
 
①は大学を卒業する前に旅行代理店に就職する予定だったのだけど、父が急逝してから家計を支えるには現実的に難しい。②は卒業する段階で必要な単位を取得できていなかった。そこで僕はIT起業へ就職して27歳まで会社で仕事をしてきたんだ。
 
僕は15歳の頃、まだまだ将来の希望を持つために必要とする知識がまだまだ足りていなかったんだ。だから自分の趣味の範囲で夢を抱いた。もちろん趣味を生業にすることも大いにアリですよね!僕は自分の好きなことを仕事にして輝いている人を見ているとすごく羨ましいいと思ったんだ、最近ね。
 
だから、どんどん夢や希望を持ってください!
目標ができたら自然と人間は動いていくモノなんだなぁと思うのです。
もちろん中々、興味を見出せないという人もいるかもしれません。
僕の友だちに何人かそれで悩んでいた人がいました。でも、そんな時は僕が①を実際に実行して人との出会い、まちとの出会いを広げるように連れ出しちゃっていました。
 
その時にできる僕の精一杯の働きかけがそれだったから。
興味を見出せなかったら、ちょと勇気がいるけれど何でもいいから思い立ったことをひたすら調べてみることはアリかもしれないですね。今はネットが使える社会ですから、家の外に出なくても情報は集められるもの。無理にしなくてもいいし、気が向いた時でいいと思います。
 
僕の人生は紆余曲折で、芯のある歩み方とはとてもほど遠い…
参考にはならないかもしれないです。
 
でもね僕がここでお話をしたいことは芯はなくても、僕は自分の意志で自分の人生の岐路に立った時に判断して今まで歩んできたんだ。中にはそうせざるを得ない選択を迫られた時もある。それでも受け入れて、ここまで自分の意志で選択して生きてきたんだ。
 
そして27歳、サラリーマンの僕は再び岐路に立たされたんだ。
①はボランティアでも達成できるけれど②は、本格的に勉強を始めれば、今からでも達成できるかも、と。
だって今の僕はサラリーマンでいる必要がないのだもの。ある程度の貯金もできたし、家計にも余裕が生まれました。それならば、もう一度挑戦を始めるならば、今かな?と
 
そして僕は27歳で脱サラを決意して、建築士を目指す道を選んだ。
 
 
夢って不思議ですね。そしていつ描いたっていいのだもの。
もちろん実現可能な夢かどうか現実と向き合って判断する必要はあります。
 
でも、何歳だって自分の希望は希望だもの。
叶えられるものなら叶えていきたいな。
 
 
これを読んでいるあなたはどうですか?
学生ならば将来の進路は無限大ですよ!ある知人が僕に諭しました。若さは最大の武器だ!ってね。若い時になら選べる進路もたくさんあるんだよね。素敵だな。
 
社会人だって諦めないでよ。もし自分に向いていないな…辛いな…
夢と現実のギャップもあるでしょう。
 
自分が向いていないと思う場所にとどまる必要はありません。
確かに昭和日本では会社員になり転職せずに出世街道を歩むことが美談とされた。
でもね、今は平成をすぎて令和の時代です。
 
団塊世代は何とでも言えるでしょう。
でも老後を考えるとさ、一途に会社員を続けることは今のあなたにとって幸せですか。
企業の大小を問わずに、会社も傾いてくる時代です。
その時に揺らがずにするにはどうするか、会社を立て直そうとする勇姿も必要でしょう。
僕はそこまで会社に忠誠心を誓うことができませんでした。
 
僕は僕の将来の夢という己に芯に真っ直ぐ生きようと選択したんです。
もちろん周囲からは心配される声、罵倒、社会的信用の損失、代償は大きかったけれどさ、でも一から積み重ねてばいいじゃない?なんて思ってます。
 
『何歳だって自分の希望は希望だもの。
叶えられるものなら叶えていきたいな。』
 
それを僕は体現できるようにしていきますよ。
有言実行、言葉は現実になる、とも言いますよね。
ちょっとした願掛けみたいに聞こえますね。でもそれは自分への頑張れ!と
コロナの影響、自分の特性で、身体障害で、経済的に困窮し先行きに不安を考える人へ
エールになればいいかなと今回のブログを書きました。
 
舞台は違えど皆んなで目標に向かって、なるべくなら前向きに考えて進んでみませんか。
 
髙橋直之

社会的信用がなんだ!これからは個々の自信と信頼が命だ

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何で?平等な権利、自由が与えられるべきではないの?
悲痛な心からの叫びです。「社会的信用がなんだ!」
最近そのように感じる。フリーランスとして活動を始めて幾数月。
サラリーマン時代は色々なものに守られていた。会社という箱はとてもすごい。
厚生年金、健康保険、毎月安定した給与、ルーチンワークで稼げる。
 
入ってしまえば楽だ、入るまでが大変な日本の大学のように…
 
少しトゲがある発言が目立つ序文ですね。
でも今回のテーマはそれだけ自分の気持ちが一定の袋の大きさの中に貯まり(僕の場合999Lぐらいの袋かな)それが今にも破裂しそうなのです。
 
それは社会に向けるだけの牙だけではありません、自分が日本という恵まれた国の中で上手く暮らせて行けない不甲斐なさも感じるのです。これは強がりでね、社会の責任にしたら負のような気がするんです。だって僕の生きる今は今だから…
これが10年先、20年先、社会の評価指数や評価対象は変わっているかもしれない。
でもそれを否定してばかりいては現代を、今も生き抜くことができないのが僕です。
 
僕はブログで発信し続けるけれど、社会では弱者として扱われます。
障害が理由に生活は保証されています。血税の一部をいただきながら生活の一部(主に医療費について)支えられているのは事実です。
 
それに対して僕は文句も何もありません。
日本はまだ国による保険整備が充実しているように今は感じるからです。
それでなんとか生活していけるのは紛れもない事実であり、それ故に社会的弱者として位置付けられます。障がい者として生きているのです。
 
でも、障がい者として生きるには社会的保険制度を受ける傍らで、制限を受けているのも事実なんです。例えば起業です。個人事業主として特定の資格を有し免許を申請するためにはどうしても障がい者である以上、受けられない免許もあるのです。
 
例えば宅建、弁護士、行政書士といった国家資格です。
 
当然といえば当然ですが判断能力に欠ける人がつけない職種ではあります。
開業して免許を得ないと事務所を設けられないのは当然?当然なのか…
身体障害者で下肢不自由の人が判断能力に欠けるのか、ASD(自閉症スペクトラム)の人々でも社会的に独立して事務所を設けることはできないのか…
 
疑問である…
 
社会は、人は、何かしらの判断基準を持っている。
社会は法律、人は自我である。
もちろんそれぞれ判断基準は必要であるし、それが人である以上、その人の判断基準は自由であると思う。ただし…
自由であるからこそ、社会の判断基準である法律は、ある程度ユニバーサルでないといけないのではないのか。人々の判断基準となる指標でないと行けないのではないのか?
 
僕はそう思うのです。
フリーランスで仕事をしていく中で自分が障がい者であることを社会的制度から改めて思い知らされ、自分の可能性、将来性を制限されると感じる瞬間があるのです。僕が精神障害者保険福祉手帳を有することで活動を制限される事実があるのです。
 
例えばある、国家資格を有していても、判断能力に欠けるとして免許が得られない。
結果として事業を始められない、という現実があるんです。
当然といえば当然か…でも僕はとても悔しいんだっ!だって資格を得るということは客観的に見て能力を有していることを第三者機関に認められていることなんだよ?
例え、それが国家資格なら国が認めている。でもその資格を有していても、事業化するためには免許が必要なんだ。その免許の取得資格にどうしても僕の障害が邪魔をする。まさに『障害』だ。
 
もっとわかりやすく言うと僕には婚約者がいる。とても幸せだ。
でも、その婚約者のご両親は言った「メンタル関係の病院に通っていたら…」
確かに僕は精神科にお世話になっているADHDうつ病だ。
 
でもそれがどうした!!
精神科に通っているからといって社会的信用まで下げられたくない、偏見も持たれる筋合いはない。だってADHDは僕が生まれ持った特性であるし、うつ病はそうした病気を持っていても、併発してしまった精神病なんだ。
成りたくてなった訳ではないし、精神的弱さから、なった訳ではないと僕は考えているんだ。
 
だって「僕は僕で私は私なんだ」前回のブログで書かせて頂きました。
 
それは個性であり、持って生まれた特性なんだ。それを否定されてしまっては元も子もないないよ。でも確かに、社会的にみたら精神科に通うとう言うことは不都合が伴うのは事実。
例えば、住宅ローンを組む際には団体生命保険に入りにくいし、医療保険も保険料が高い緩和型のものしか入れないんだ。保険会社は営利会社だ。そうした仕組みは仕方ないしリスクのある障害者は加入が難しい。事実だ。何もいえない…だから説明が求められるのは当然だ。
 
じゃあ、どうすれば社会的に障がい者でも信用を得られていくのか。
僕は僕なりに考えてみました。
 
やっぱり、僕は個々の自信と信頼が大切なんだ!と思う。個人の意識、意志だ!!
社会的指標がなんだ。血税にお世話になっていることは否定できないけれど、それでも自立しようと自分なりに努力しているのに、障がい者であるが故に壁があるのは何故なんだ。
 
疑問を捨てきれないでいる。
 
どんなに変わっていても、どんなに個性的でも、どんな障がいを持っていても社会的権利や評価は平等であって欲しいと思うんだ。その個々の指標としてなり得る法律に障がいの壁を作ってはいけないのではないのか?それが僕の今回の持論であり、ブログのメッセージです。障がい者であっても本当に生きやすい世の中とは何か、ぜひ考えて欲しい課題です。
 
僕はね、日本の法律を否定したい訳じゃないんだ。
でも、それが根っことなって人々の評価指数になっているのは事実だと思うの。
だから、個々の信頼と自信とは障がい者だけが持つべきではなくて、この文章を読んでいる皆さんにも考えて欲しいんです。確かに障がいの度合いによっては難しい免許もあるでしょう。でも、全てが本当に難しいのか?僕は疑問ですね。
 
障がい者の『害』は社会が作っているんじゃないですか。
だって僕と接することに『害』を感じますか?この文章を読んで『害』を感じたならば申し訳ありません。でもそれでは、何故『害』を感じるのか教えて頂きたいです。コメントでも何でもいいです。忌憚の無い意見をお待ちしております。
 
さて今回はとても感情論が挟まっていますが脱サラしてもやっぱり壁はあるものですね。
それでも、僕は家族を守っていくために頑張ります。
 
絶対に負けません。そして自分の病気にもしっかり向き合います。
それが障がい者に対して保証はありながらも、希望は少ないと感じる僕の生の訴えなんです。
 
髙橋直之

僕は僕らしく、あなたはあなたらしく

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体型がなんだ?性格がなんだ?あんたはめっちゃあなたなんだ!!
こんにちは、たっきーです。
TVを付けるとコロナ関連の話題が再燃していますね…
3ヶ月ぶりの投稿です。自分のことで精一杯でした。時間で空いてしまいすみません。
 
その間、休業を余儀なくされながらも仕事柄パソコンに関わることが多いので、テレワーク等でなんとか対応してきました。皆さまもご苦労されていることでしょう。お互い頑張りましょうね。
 
そんな折にストレス発散のためノンフィクション小説をよく手にとるようになりました。先日、とても面白い本に出会いました。
 
『漁港の肉子ちゃん』西加奈子さん作

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初版が発売されたのは2014年のことです。
6年後の今年になって明石家さんまさんがプロデュースしアニメ映画化され、一部のネット上では話題になっているようですね。プロデュースに至った経緯はここでは詳しく説明しませんが、本に登場する主人公と育った環境がとてもご自分と似ていることから制作にしたと言われています。
 
ぶっちゃけ、原作の小説を読んでいると最初の10ページで笑っちゃいました。
なんと言っても主人公のキャラがとても憎めないし、可愛いのです。
そのまま一晩、朝まで読みふけってしまいましたね。久々の体験でした。
 
主人公は題名の通り、肉子ちゃん。
これはあだ名で本当の名前は菊子、肉子と呼ばれていたのは生まれてからこの方、ずんぐりむっくりした体型から肉子ちゃんと呼ばれていたとのこと。主人公の肉子ちゃんも明るい性格で、肉子ちゃんと呼ばれても悪く思っていなかったらしい。愛嬌ですね。少し前の漫画ですが『あたしンち』に登場する、お母さんを僕は想像しながら読んでいました。
 
肉子ちゃんは生まれながらにして家庭環境は壮絶…環境に恵まれず、ダメ男ばっかり好きになっては紐になってばかり、信じ込みやすい性格と自分が信じたことは信念で突き通す、と言う感じの直向き且つ、めっちゃ明るい関西下町育ちの、コテコテの関西弁でストーリーも進んでいきます。
 
あらすじはここまで。このままでは読書感想文になりかねないので、気になったら手に取ってみてくださいね。
 
さて、ここからが本題
この記事で発信したいことはタイトルのままです。ここからは私事の話になりますが先日、思い切って脱サラしました。

 

27歳になって夢を抱きました。
建築士になりたい!!
アートやデザイン、特に人々の暮らしをデザインできる生業として興味があるのです。
 
もちろん会社員でいると安定だし、勉強、失敗、成功を繰り返して先日まで会社でサラリーマンをしていた訳です。でも、最近のコロナ騒動で休業等を余儀なくされ自由時間が増えた分だけ自分のこれからの人生について考える機会が増えたんです。
 
そもそも会社員になって楽しかったかどうかと聞かれると?あまり、やりがいを感じられず飽きていました。
自分はよく会社では異端児扱いされていました。っと言うのも今までブログでも書いて来ましたが、どうしても精神障がい者のレッテルで周りが壁を作るのです。それに僕はクリエイティブな仕事が好きです。
 
そもそもルーチンワークは作業だと思ってます。仕事とは自分から面倒くさい事を増やしてでも、同じ仕事内容だったとしても付加価値を付けて最大限の評価が得られるように創り出すことが仕事だと思っています。
 
例えば、お客様からの信頼度や満足度を高めるためにクライアントの利益最大化に努力してみたり、ライバル会社であっても良い技術を持っているのだら自社の技術ばかりに拘らず共同契約を交わして垣根を超えて性能の高さを重視したり…
できる工夫は様々です。僕の性格は猪突猛進。思い立ったら直ぐに行動、行動力が有ると言われれば褒められるのですが、計画性に劣った一面もありますし、その分面倒な作業工程を増やしちゃったりしちゃうんですよね。
結果、職場では異端児扱い、周囲からは「あいつと仕事をすると面倒くせえ」と揶揄されることもありました。そりゃそうだ、だって自分で自分の首を絞めていることもなんとなく自覚していたし、オーバーフローしちゃうこともありました。
過去の失敗談で語ってきた原因はほとんどがこれの繰り返しなんでしょうね。
 
「こりねぇやつだなぁ」
 
そう思うでしょう?笑
でも懲りないの。どうしてもそれが、僕の性格なんだよね。直そうとしてもなかなか直せない←言い訳がましいデスね
でも、同じ失敗を繰り返すなら、開き直ってしまったらどうかな?って思っちゃったんです笑
 
サラリーマンとして生きていくことで、自分の特性には
ついなかったんだ。
んじゃぁ、自分のやりがいとか感じる仕事を自分で創っちゃえばいいんじゃない?
と言うあんちょこな考えで、辞表を出して来ちゃいました。
 
コロナで再就職先に困る人が溢れているこのタイミングに、何をしているのだろうか。
でもさ、向いてないものは向いていないんだもの。
 
そう、27歳にしてようやく自分の道を進む決心と言うか、吹っ切れた感じがしたんですね。無理に居づらい環境に居続ける必要もないし、むしろ自分のポテンシャルを最大限に発揮できるように自分を会社という枠から自由にしてあげようと解放してみたのです。
 
そんなさ中、たまたま読んでいたのが冒頭でお話した漁港の肉子ちゃんでした。
肉子ちゃんの言葉に背中を押された気がしたのです。
 
「うわーぁぁぁ、めっちゃ海やねーっ!」
 
ふぇ?
て、なる方多いでしょう。
海は海じゃないか!そう突っ込みたくなる自分に、自分はその時ハッと気付かされたのです。なんで10ページ読んだだけで、この小説に釘づけになったのかを。
そう、肉子ちゃんのキャラ、愛くるしさ、に惹かれていったんです。つまり肉子ちゃんの言葉に置き換えると…
 
「肉子ちゃんはめっちゃ肉子ちゃんなんだっ!」てこと。ずんぐりむっくりした体型で本当は菊子なのに肉子ちゃんなんて呼ばれてもへっちゃら。日本のどこにいてもコテコテの大阪弁を貫き、人当たりの良さから周囲をどんどん巻き込んじゃう性格。
 
肉子ちゃんはぶっ飛んでる
もはや異端児と呼ばれても仕方ない
でも肉子ちゃんは自分の思ったこと、信念にバカがつくほど前向きだ笑
 
そう思った瞬間、
「僕はすっごい僕らしい生き方をしたい」
 
周囲にはそんな変わった一面を曝け出している場所もあったけど、どこかで自分を抑えていて苦しんでいた僕も居たんよね。
 
正に会社は自分らしさなんて求めていやしない←今まで出会った会社では、個性よりも会社が求める人材像が押し付けられて、会社の方針に従わざるを得ない。
 
当たり前の事なんだけど
小さい頃から団体行動も苦手で異端児扱い。でも図画工作の時間は自由に好きなものを造ってもいいし描いてもいい。1番好きな時間だったし、作品はとびきり目立ち表彰されることもあった。
 
そんならさ、
僕は僕らしく生きていくために、これからは自分で舵を切ろうと思ったんです。
 
やっぱり無理に居心地の悪いと思う場所に居続ける必要はないの。ある程度の集団行動は日本にいる限り求められるけれど、グローバルスタンダードで考えたら、集団行動が出来るやつが上手く世間を渡って行けるかと言うとそうでもないんです。
 
長くなりましたが、最後に1番伝えたいことを改めて書きます。
 
「僕は僕らしく、私は私らしく」
 
あなたらしさはなんですか?
今の学校生活や社会人生活は楽しいですか?
楽しめているならそれがよろしい‼️
 
でも楽しめていなくて、自分の自信もなかなか持てない、自分らしくいられない。
そもそも自分らしさなんて分かんないよ!
 
そんな人もいるかも知れません。
そもそも僕がそうでしたから、27歳になるまでずっと迷い続けたんだもん。
周りを見渡すと夢を実現した友達や明確な目標を持っている人がキラキラ見えて自分が情けなくなった時もあったんですよ。でも、焦っても、劣等感を抱いてもさ、切りがなかったんですよね。
 
最終的に決めるのは自分自身で、無理に目標を持とうとか、夢を持とうかしなくていいと思う。
 
なぜなら、
先ずはあなたはどんな人ですか?
何に興味がありますか?
何で幸せを感じますか?
自分の気持ちに正直になってみてください。
 
これは持論ですが、日本は世界に遅れています。
団体行動に縛られています。それが故に社会に溶け込めない、学校に溶け込めないと異端児扱いされます。でも今後日本は変わらなきゃいけない。グローバルスタンダードとしては既に個の個性や能力を重要視されています。みんなと一緒じゃ、出世できない、年功序列の社会体勢はもう世界では通用しないんです。
 
じゃあ何が評価されるの?
 
それは、「めっちゃあなたらしさ」なんです。
あなたにしかない能力や個性や特技なんです。どんなに小さいことでもいいし、何もないと思うなら自分の興味のままに生きて極めていけばいいのです。結果として資格であったり実績であったり、それが信用として蓄積され認められる時代が直ぐ目の前に来ているんです。
 
だから、忘れないでね。
「あなたは、めっちゃあなたなんです」
もちろん「僕はめっちゃ僕なんだ」
 
長くなりましたがこれが、今回の記事で発信したいメッセージです。
周りからなんて言われようと、あなたらしさを忘れないでくださいね。
 
それが将来の目標であったり夢に、繋がるはずだから。
社会人も学生も関係ないですよ。
 
いつでも人間は成長できるのだと僕は信じています。
だから僕は27歳で夢を持ち、今はそれに向かって頑張ります。
 
髙橋直之
 

コロナ禍の中で子ども達に発信できること

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無理しないで自分のペースを保とう
こんにちは、たっきーです。
久々の更新となりました。4月から会社員に慣れましたが、世の中の情勢でレテワークとなり自宅待機の期間を過ごしています。
 
なかなか外出の機会を得られず、正直、もんもんとしております。
でも僕だけじゃないんだよね。世界中のみんながウィルスと戦っているのだからと極力外出したいと思う衝動を抑えています。みんなで頑張ってウィルスなんかに負けないようにしようね!!
 
さて今回はそんなコロナ禍の中で子ども達に少しでも発信できることがあればと久しぶりにブログを更新します。
 
先ずは今のような事態は僕も含め他の大人達も経験したことのないような事態なんです。
だから正直どう対応していいか、周りの大人達もわからないのが本音です。戦後初めての危機と騒がれたり、これは第三次世界大戦だと言われるように本当に今までにない経験を僕らはしているんです。そう聞くと「何だか怖い」と思うかもしれませんが、現実問題、確かに事態は深刻だけど、そこまで怖がる必要はありません。ちゃんと感染リスクに対する対策を行じれば感染を未然に防ぐことだってできます。
 
戦争のように人と人の争いではありません。これは人間とウィルスの戦いです。
ウィルスに詳しい専門家は世界にたくさんいます。実際に諸外国ではコロナウィルスの沈静化に成功している国だってあるんです。その一つがお隣の韓国ですよ。
だから日本も感染リスクを抑えた行動を一人一人が行じることができれば今のコロナ禍を乗り切ることだってできるんです。だから安心して、お父さんやお母さん、先生の言うことをちゃんと聴いて個人個人で対策していきましょう。
 
中にはもう既に隔日登校が始まっている学校もあるかと思います。久々の投稿のにちょっと焦ったりドキドキしたりしませんか?いつ始まるか分からない学校にちょっと焦りや不安を感じている子達がいるのではないかなと思ってここに投稿しています。
 
少なくとも言えることは、、、と言うかあまり言いたくないけれど今回のコロナ禍では皆不安に感じているかなと思うんだ。大人達が決めることって、とても急で、本当に子ども達のペースから見たら身勝手かもしれない。明日の休みが、明日は登校になることだってあるんだ。そう思うと皆が不安になって当然だと僕は思います。
 
このブログでは学校に対してちょっと距離を置きたい子ども達の目線で今まで投稿してきました。今後もそのスタンスは変えないです。だから安心して読んでください。
 
例えば、このブログを読んでいる僕が、私が、ちょっと不安になることとしたら、心の準備の問題だと思います。だって、いつから学校が始まるか分からないんだもの。心の準備の作りようもないよね。急に明日から学校が始まるよ!と言われてもそれはそれで、かなり不安になると僕は思うの。ニュースでは学校が始まって欲しいという子ども達の切実な声が流されているけれど、それは一部の意見だと思うんだ。始まって欲しいと思うことが当たり前で、当然な意見だとは思わないで欲しいの。このブログを読んでいる人たちにはたくさんの事情があると思うんだよね。その事情を抜きにして、急に学校に通いなさいと言われても心の準備ができていないよね。むしろびっくりしちゃうと僕は思うんだ。
 
だから、今、この家にいる期間の中でちょっとして欲しい行動があって
難しいかもしれないけれど家族との会話の機会を作ることをお勧めします。だって多分普段は仕事でいないお父さんやお母さんだってお家にいるかもしれないでしょう?
 
休みの日にちょっとだけ学校の話をしてみるのはどうかな。
ご両親は鈍感ではないはずだよ。子どものことをジィーーーっと見ているものです。
ちょっとでも変化があると、何かあったのか察してくれる良い機会かもしれないです。
家族と過ごす時間にちょっとした悩みをご両親に相談してみてください。きっと何かアドバイスをしてくれるんじゃないかな。少なくとも異変には気がついてくれるはず。
 
僕はね、学校て、本当に必要なのかな?と疑問を抱いています。
もちろん成績を出してくれるのは学校で、それで将来の進学に影響が出てくるのは確かです。でも最近はね、世の中も変わってきているんよ?成績や出身校、偏差値だけではなくて、個人の性格や個性を重視した社会に変化してきているの。無理して学校に行かなくても、得意とする分野があるならば、そこを伸ばしてみる教育だって増えてきているんだ。
 
寧ろ、この長期休みの間に、自分に向いていると思う将来を想像してみるのも楽しいかもしれません。それは学校以外でも叶えられる場合もあります。学校だって協力してくれる場合だってあるんだよ。思っていること考えていることを正直に言葉にしてみることでスッキリすることもあるかもしれないですね。
 
僕の考えは命より尊いものはないです。無理してまで命の選択まで考えることはないんです。自分が生きやすいように、これからの道を考える時間に今がなればいいなと考えています。ちょっと難しいかもしれないけれどね。その時はいつでもこのブログに相談してくださいね。待ってます。今日はこの辺で。
 
髙橋直之

休校に入って子どもたちの心境は?

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休みになるとどうも朝寝坊しがちな僕ですが…
こんにちは、たっきーです。
 
コロナウィルスが猛威を奮っていますね。
公共交通機関、官公庁、観光産業、様々なところにまで影響が広がっています。
ここでは日本政府から先日、学校の一斉休校が発表されてからの子どもたちの心境の変化について分析し、持論をブログに綴りたいと思います。
 
まず、一斉休校により学校が急に休みになったことで、子どもたちにとって予想もできないような休み時間ができました。一部の子どもにとっては残念でしょうけれど、やはりこのブログでフォーカスしていきたいのは学校に馴染めていないマイノリティの子どもたちの心情の変化を分析していきます。
 
突然の休みに、戸惑いの声をニュースなどで耳にしますが、一番心配なことは休みの時間をどう過ごすかです。不登校になってしまう多くの子どもは長期休み明けが多いことは過去のデータからわかっています。
コロナウィルスの休み明けにどのような措置が取られるかまだ明らかにされていませんが、不登校の予備軍の児童にとっては休み明けが不透明なのはとても心配なことです。
 
「もしかしたら、明日から急に学校にいかなければいけなくなるかも」
と毎日を怯えて過ごす子どもたちもいるかもしれません。
 
若しくは突然の長期休みから五月病を引き起こす可能性も否定しきれません。
そうした状況に、親は子ども達にどのように接していくと良いのか考えてみました。
 
以下3つの対策を考えてみました。
 
先ずは、第一に普段の生活リズムを崩さないようにすること
休みだからと平日に遅くまで寝かせてしまうと、体内時計が狂いはじめます。体内時計を規則正しく保つためにも休みの日でも普段通り起床を促すことは大事になってきますね。
しかし早く起床したからと宿題や自習を強いるのは禁物です。学校自体は休みなので本人の自己管理に任せて、勉強のペースは焦らせないことが良いと思います。
無理に勉強を強いてしまうと、普段通り朝に起床しなくなったり、意欲の低下にも繋がりかねません。飽くまで生活リズムの維持だけを意識して接するようにした方が無難だと考えます。
 
2つ目は、遊びたいという気持ちに応えることです。
普段、学校で友人と会話したり勉強して身体を動かすことで自然とストレスを発散しています。どうしても家の中にいるとそうしたストレスを発散しきれずにモヤモヤとして気分を溜め込みがちになります。コロナウィルスの対策として手洗いうがいを徹底し、公園に遊びに行く、友だちの家に行くなど、本人が外出したい希望があったら衛生面に気を配りながらも、なるべく前向きに検討して自由にさせてあげることが良いかもしれません。キャンプ場が人気で予約が例年よりも増えているという声も耳にします。人が密集する都心から離れて自然の中でリフレッシュすることも良い選択かもしれませんね。
 
最後に3つ目ですが、これが一番大事です。
コロナウィルスが猛威を奮っているニュースや情報をなるべく子どもに伝えることです。
なぜ、学校が休みになっているのか。休まなければならなければいけない状況になっているのか子どもに理解してもらうことが大切です。休みによって気が緩んでしまいがちです。休みだというと子どもは喜んだり、遊びたがったり、とても楽しいことだと考えがちです。コロナウィルスの感染拡大が原因であることをしっかりと理由づけすることで休みが、ただの休みで無く世界中に影響を及ぼしている大きな事件であることを、なんとなくでも理解させてあげることが大事です。そうすることで、子どもにとっても普段から衛生面に意識を持ったり、休みには理由があり、感染拡大のリスクが下がれば学校が始まるという動機付けもできます。なるべくコロナウィルスの情報をリアルタイムで共有するようにしましょう。
 
学校によってはすでに登校日数を普段より少なくして再開している場所もあります。
また学年ごとに分けて少人数で学校生活を始めている場所もあるそうです。
少しずつでも子ども達が自然な気持ちで、安心して学校へ通えるような環境づくりを学校側でも考え、実行されつつある時期に来ているようですね。
 
以上ですが、特に3つ目についてはまだ児童には理解が難しいところがあるかもしれません。しかし緊張感を持って休みの日を生活することで、学校生活と同様の意識で家で過ごす時間も過ごすことができるかもしれません。
 
大事なことは、学校を遠ざけてしまわないことです。
学校が何故休みなのか、そして休みの日でも緊張感を持って日々生活することで感染予防にもなりますし、学校再開後もギャップが少なく通うことのできる状態に整えることができると僕は考えています。
 
1日でも早く、安心して通えるような環境が整うことを僕は願います。
また、感染拡大を阻止できるように一人一人という意識ではなく、皆んなで頑張りましょう。
コロナに負けるな!!
 
髙橋直之