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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

障がい者としてではなく自分らしく生きる難しさ

こんにちは、たっきーです。
前回の投稿からいっきに夏から冬になっちゃいそうな勢いですね。
日本の四季はどこへ行ったのでしょうか。紅葉も一気に南下したと思いきや北海道では平地では初冠雪の予報で、気候変動が激しくなりましたね。とにかく寒い!!
って感じの筆者です。皆さまも、体調にご自愛くださいね。
 
今回のテーマは少々、重めのように響きますが飽くまで、僕の主観です。
 

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壁を感じずにはいられない日常、憂う訳でもないけれど…
あらかじめ話すべきことは行政の援助によって生活の基盤が成り立っていることです。
障がい者手帳を取得することで医療費や市民税など多くの控除を受けてきたことは認めます。それがなければ通院費も処方箋等で僕はとても苦しい生活を強いられていたことは確かで僕は行政の援助なくしては生計を立てることが難しかったです。
その財源は国民、読者の皆様による血税によって支えられていることは感謝し自分の生活と病状の治癒へ向けて支えられてきました。
 
しかし、少々、違和感を感じることがあるのです。
『僕のような障がい者が行政に支えられることにより生きていける』
この制度にはとても感謝してもしきれません。だってこうやってブログで記事に認めることができるのも通院によって処方があるからだと思います。そこは否定できません。。
 
しかしながら、最近、というか前から、どことなく上下関係を感じるのが僕の正直な気持です。こんなことを皆さまに言える身分ではありませんが、しかし「すみません」と謝る回数が増えたことは事実なんです。確かにお国から皆さまの税金を頂いて私は支えられています。
 
でも、障がい者だからと「謝る必要はあるのでしょうか」
僕以外にもコミュニティでたくさんの人意見を聴いてきました。補助を受けるにあたって「申し訳ない」そういう気持ちを持つ人が多いのです。
 
でも、開き直るようで『恐縮』ではありますが、僕らはなりたくて障がい者になった訳ではないんです。そして、行政の支援を受けないと生活に困窮する家庭も僕を含めてあるのが事実です。『恐縮』という言葉を使いましたが、日本人の特性でもあるのでしょうか?
奉仕されているが故にそうヘリ降る表現を使わざる世間に疑問を投げたいんです。
 
確かに私たちは皆さまに支えられています。でも、障がい者になりたくってなった訳ではない、どうしようもない気持ちを抱えながら生きている人が僕も含めて多数いることが分かりました。確かに開き直るのもどうなのか?でも社会福祉的な観点から考えると皆、平等であるべきではないでしょうか?
 
障がい者でも、現在ではお国でも白羽の矢が立ち、就労可能人口に加算すると、日本の30%増やせるのではないかという数値が出ています。確かに訓練や職場に定着する為に支援を必要とするのは事実です。でも、もしも、皆が就労可能となれば日本という国、少子高齢化社会を乗り切るための一作でもあるということを、ご認識いただけたらと思うんです。今後の令和の社会ではコロナ等、未曾有の状態にある社会です。
 
でも、どうか僕と同じように就労可能人口に、日本という国家を存続する為にも必要な投資であることをご理解願いたいのです。
障がい者採用だから」
「健康面で不安があるから」
「思考に傾きがあるから」
でも、それがどうしたことでしょうか。適材適所という言葉があります。
それぞれの障がいや特性に合わせて社会進出を、自然と受け入れて頂ける世の中になってくれることを願います。もちろん、今でも十分すぎるほど、社会復帰への精度や補助制度が充実していることを僕は自負しております。
 
しかしながら、会社という組織や行政に掛け合うときにはどうしても障がい者としての区分により可能性を失いかねないような手続きが存在することも事実です。
特に精神的な障がいにおいてはより厳しいチェックがなされます。例えば車の免許の保持に関しても半年に一回主治医の診断書を警察署に提出しなければならないのです。
交通安全の観点からしてみれば、そうせざるを得ない事情は理解できますが、診断書を書いてもらうのにも費用がかかりますし、体調管理には一層気遣わなければなりません。だって主治医の判断によっては免停になるかもしれませんから…
そうしたら私は、心臓にペースメーカーを入れている親を病院に送り向かいができなくなってしまう可能性もあるのです。(いかにストレスであるか…)
 
それぞれ、障がい者と呼ばれる皆んなが世間で同じ目で見られる日をどこかで願っているのです。「謝る回数が増えた」先ほど『恐縮』という表現を用いましたが、それが当たり前な世の中では障害者の立場も、将来的には日本の就労可能人口を減らし、若者への負担が増え続ける一方であると僕は考えるんです。
 
少々、話が広がり過ぎましたが、ここで伝えたいこと
障がい者であっても社会に参画できる機会があり、平等であることを伝えたいのです。
 
確かに症状によっては限界があるかもしれません。
でも、色々な特性の人間がいる、多様性が認められていく社会であって欲しいのです。
 
ある日、僕はバスに乗っていました。
車椅子の乗客が乗降する際に舌打ちをする乗客がいました。
きっとその人は急いでいたのか、何かしらの事情があったのでしょうが
しかし、その車椅子に乗客は「すみません」と謝りながら乗降しておりました。
僕は、どこか違和感を感じずにはいられませんでした。
 
皆さまは、どう思われますか。
僕はその人、その一瞬に立ち会っただけで日本の社会全てとは言いません。
しかし、巷では車椅子の乗客がタクシーに乗車を拒否されるといったニュースも存在します。考え方は人それぞれではありますが、この違和感を…
 
表現に苦しみますが共有したくてこの度ブログを更新しました。
読者の皆さまはどう受け止められる日でしょうか。
奇譚のないご意見を頂戴できたら幸いですが、考えるきっかけになればとここに記事を認めます。
 
髙橋直之

人はすれ違う、されど関係を築く道のりである

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人間は一匹狼にはなれないよ…なろうとしても寂しくないかな?


こんにちは、たっきーです。

急に秋の陽気になりましたね。横浜市でもエアコン点けなくても涼しい。
寒さも暑さも彼岸までと言いますが、本当に今年はその通りですね。
 
急な温度差に耐えられない人はニンニク料理がオススメですよ。
4連休ですから(僕はそうではありませんが)口臭なんか気にせずニンニクやニラで耐性を付けて季節の変わり目を乗り越えましょう。
 
さて、今回のテーマは人間関係について筆を進めたいと思います。
皆さん、人付き合いは得意ですか?
 
先日、営業職を務める友人と会話してきました。
関係を築くには「意見のすれ違いや期待、またそれにかなう結果を得られず裏切られたという感覚は当然のようにある」とのこと。
 
先日、俳優の芦田愛菜さんが映画の記者会見で話していましたね。
「人の一面とは様々で、己の期待から外れた側面を見てしまった瞬間に、裏切られたと感じる。でも、『信じる心』とは、そうした側面も理解し努力しようとするものをいうものだ」(高橋の要約)
高校生にしては深い哲学的な発言です。感嘆しました。
 
でも、日頃、僕たちが暮らす中で人に傷付けられる瞬間てありませんか?
発言者は意図していなくても、受け取り者は誤解してしまうような認識齟齬や、裏切られたと感じる絶望感。「こんなヤツと一緒にやっていけるか!!」
そう思う瞬間て少なからず人間と付き合っているとどうしても起こり得るすれ違い。
 
僕もそうでした。親友と言える友達に裏切られたような感覚に苛まれる瞬間が今に至るまで何度もありました。もう話すものか!!と憤りを隠せない瞬間もありました。
僕も27歳にして良い歳なのにまだまだ子供な側面もありますね。
 
でもさ、”そんなヤツ”でも一緒にやって行かなければならない瞬間もあるんです。
上司も、同級生も選べませんからね。同じチームやクラスになってしまった以上は、付き合って行かなければいけないのが現実です。大人の対応ができる人ならば顔にも出さずに苦手な人とも人付き合いはできるでしょう。
 
でも、そうした人々には共通点があるように最近感じるのです。
それは「人に期待を持ちすぎないこと」
 
僕はよく怖い人間だとよく言われます。
人間としての心がないとか、情が無いだとか…
でも、それはそれでいいです。読者様が垣間見れる僕の冷たさや怖さとは
 
「初対面の人間に対して信用している、と言った感情を抱かない」
ことでしょうか。
だってそうでしょう?初対面で、その人の何も知らないのに何を信用しろというのだろうか。決して口には出さないけれど、必要な場面では出します。相手があまりにも自分の領域に迫ってきたり、ラインを(一線をかくしたい)時ですかね。
 
学生の頃は、そうした考えを全くと言っていいほど持っていませんでした。
良い意味でも、悪い意味でも
しかし、あまりにもそうした側面を持ちるぎると人は近づかないものです。
「寂しい人間だな」本当にその通りです。でもそれは僕自身を守る術だと社会に出てから知ったのです。あまりに心を開き過ぎてしまうと相手に弱身をすくわれてしまったり、自分の意図や個性まで誤解されてしまいかねないこともあるんだと気が付いた。
 
ある程度の距離感と、『個』としての自分が保たれる空間が必要なんだ。
これに関しては賛否両論でしょう。
 
でも、人の側面とは本当に時間の問題でもあるし、話術さえあれば相手の考え方を知ることだって時間がかからないこともあるんです。
特にフリーランスになってからは、営業一本勝負!!
1時間くださるお客様や15分で説明してくれという人もいます。
 
その中でいかに自分をPRし信用を勝ち取るか
経験上ですが相手の意見にばかり飲まれては、相手のペースです。
空気を読むのは大事だけど、その空気って誰が作るの?
 
自分で作れたら最強じゃない?
そう空気(話の場)は完全に僕は自分の土俵に引き込みます。
「聴いてもらう」ためには強引な方法ですが、まず第一に行う行動です。
次に相手の意見に耳を傾けることは言わずもがな対応スキルですが指摘する力も大事。
間違っていることは間違っていると契約前の商談の場でも僕は言っちゃいますね。
 
今のご時世だとYesマンは敬遠されてしまうんだ。
何で?営業トークが表に出過ぎてしまうからじゃないかな?(推測だけど
 
だから、変えてみたの自分のスタンスを持って50/50の立場で会話したらリスキーではあるけれど、契約後に後々になって人間関係や認識齟齬などの人的なトリガーで仕事をしにくくなることが圧倒的に減ったんだ。寧ろ、お客さんと飲みにいく機会が増えて、僕に対して興味を抱いてくれているのかな?とまで感じます。
 
さて表題に戻ります。
ここでお伝えしたいことは、人間の価値観は十人十色はご存知の通り…
でも、ビジネスや友人関係でもちょっとした課題や難点を抱えていたりしませんか?
訳ありとまでは言いませんが、単刀直入に「馬が合わないなぁ」とか。
だって、仕方ないじゃないですか、人間だもの。
 
じゃあどうすればいいの?
考えた結果、その答えも表題に載せました。
すれ違いは関係構築における通過点で致し方のないことである。
 
仕方ないんだもの。一人一人考え方が違うんだから、それに対して全てに目くじらを立てていたら心が先ず保たないんだよね。だから諦めたの。
 
ちょっとずつ、対面する人に対しては人間性を知って行こうと
時間はかかるかもしれないし、時間のない時は話術で相手の引出しをドンドン開けていく。もちろん自分も開かないと相手も心の扉閉めちゃいますからね。
 
だから、
一回くらいのケンカや
初めて感じた裏切られて傷ついた感情
 
その勢いで人を判断しないようにできたら、社交性がもっともっと広がるかもしれませんね。自分の視野を広げることは自身でもできますが、人から学ばせて頂いたことが僕はたくさんあったように感じます。
 
繋がり、大事にして行きましょう
そして、協力の輪、広げて行きましょう。
 
僕なんかよりもブログでは為になる言葉を発信している人がいます。
このブログのテーマは主に障害者の人権保護、差別(いじめも含む)特に若年層で学校や社会に馴染めないと悩んでいる方に、たまたま読まれて安心して頂ける場所であればいいなと思い更新を続けています。(自論多めですが…)
 
苦境であるこのご時世、人との繋がりはやっぱり大事だよ。
助け合って生きているんだなぁ、と実感する。
 
そう、助けて欲しい時は、助けを求める勇気も必要だよね。
でもそれって案外勇気いる行動なんだよね。
 
とりあえず、ひとりぼっちにならないでね。
味方は、あなたの見方によって敵のように思えたあの人が実は
予想以上に力になってくれることだってあるかもしれませんよ。
 
髙橋直之

世間は甘くないというけれど、味方になってくれる人や居場所はちゃんとある。

高校生の頃、面白いことを授業中に話していた先生がいました。
「チャンスの神様には前髪しか生えていないんだよ」と
 
えっ、前髪だけ…って
余談ですがその先生は円形の輪郭はしっかり生えていました。(先生すみません)
 

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ギリシア神話に登場する神様 カイロス 前髪しかないのは本当だった…
つまりね、後ろ髪を掴まれるという言葉はよくありますよね。
チャンスの神様は後ろ髪がないので、現れたその瞬間に前髪を掴まないと逃げてしまうと言うのです。いきなり何の話をしているんだい?高橋くん…
でも実際にギリシア神話に登場するチャンスの神様は確かに前髪しかなかったそうです。という事実…https://ja.wikipedia.org/wiki/カイロス
 
皆さんも好機が来たと思ったら、即決して掴んで見るのもありですよ!!
 
と、いうのは長い前置きになりました。
このブログの管理者の一人であるたっきーでーす。
 
今回はスランプから再スタートを切るために。
確かに世間は厳しいというけれども、障がいのみならず、うつ病などの病に苦しむ人向けに「チャンスはいつでもあるのだ」という記事を書こうと思いました。
きっかけは先日、就労支援の仕事をしている仲間と話しをする機会があったのです。
 
『就労支援』てなぁに?
そう思われる方も多いかもしれません。
事実、その人曰く、国からの支援で受けられるサービスの一つとして就労支援事業の周知率はとても低いそうなんです。
 
簡潔にご説明すると…
ある疾患や心身に障がいを抱える人々に対して自治体にもよりますが、所得状況に応じて90%の方が無料で再就職に向けて相談やスキル習得の支援を受けられる事業所がある。
気になった方は就労支援で検索してみてくださいね。
 
僕は4回以上の転職と、失敗、挫折で何度も転んでは立ち上がってを繰り返してきました。僕の抱える精神障害の合併症で抑うつ症状に見舞われる時期もあり、その度に暗闇を彷徨うような孤独と不安に苛まれる時期もありました。
 
現在は自分でコントロールできるようになってきたとは言え、未だに気の抜けない状況ではありますし、自己管理も徹底しています。私も就労支援事業に通おうとしたのですが、タイミングが合わなかったりしたんですね。そもそもそうした情報を取得して積極的に社会に復帰を試みる段階にあれば良かったのですが僕の場合は、気持ちの浮き沈みの波が突発的におこるようで、どうしても合わなかったんです。
チャンスの神様が訪れて、行ける!!ってなったら即行動に起こして結果につなげるタイプ。
 
なので就労移行支援事業が障がいや病で悩みを抱えている全ての人に効くとは限らないのも事実としてあるようですね。
 
でも、興味を持ったり、ちょっとでも復職してみたいな
なんて考え始めている段階の方にはとてもお勧めしたい国からの支援策です。
疑問なのはハローワークでは紹介されないんですよね…職業訓練は紹介されるんだけど…
 
やはりここにも、行政的な課題が見え隠れするのでしょうか。
でも労働をすることが人生の全てではないですし、苦しんでいる最中に求職活動をする必要もありません。でも、生活を保つためにはお金が必要で、それを得るためには行動しないといけないのですが、抑うつ症状に悩む人々には手続きが負担にもなります。
 
そんな時は、県でも心の相談窓口などがあったりします。
僕の場合は神奈川県なので、そこのリンクを共有しますね。
 
その他の自治体でも多くの相談窓口を設けています。
先ずは抱え込まないでください。あなたの味方になってくれる人はたくさんいます。
そして段階に応じて、多くの支援策が行政によって行われているのです。
 
何故、ここまで国や自治体が支援事業を展開しているのか?
それは、少子高齢化による就業可能人口の減少です。そして、障がいや病を理由に終業不可とされる人口が増加傾向に、ここ数年あります。
 
国としても各自治体においても就労可能人口の増加を図る施策は重要な事業として近年では位置付けられているのです。それだけ支援は手厚いです。(受けられれば)
 
そう、受けられるまでに、この事業で欠落している課題を指摘すると
支援を必要とする人々、若しくは必要としていても窓口が多すぎてどこに相談していいのか分からなくなってしまう。仕組みが複雑だったり、手続きに時間がかかるなどで多くの課題が山積しているのです。
 
でも、国や各自治体が動き始めているのは事実で
更に民間の事業者も存在したりします。
 
悩む前に、苦しむ前に、実は現代社会においては味方になってくれる場所がいくらでもあるよと伝えたいのです。ご家族の方も心配でしたらぜひ、こうした支援機関を活用されてみてはいかがでしょうか。
 
僕みたいな素人が、経験談をブログや講演会などの草の根的な活動をするのも
こうした支援事業を知らずに涙を飲む人々が多く、自分もその一人であったからです。
 
筆者として述べるのもナンですが、こうした公的支援を受けることの方がよっぽど効果的であり自分らしい人生を探せる良い場所ではないでしょうか。
 
諦めないでくださいね。
支えが必要ならば支援を受けることは後ろめたいことでも何でもないのです。
恥ずかしがらないでください、秘密は守られるし、サポートの体制も整いつつあります。
 
町単位では周囲の目が気になるのであれば、県単位で窓口を検索してみてください。
または、民間の事業所を探してみてください。
 
もちろん、そうした元気がなければ養生も大事ですよ。
世の中は甘くないというけれど、そこまで斜に構える必要はありません。
自分の心と相談しながら、こうした支援期間をぜひ活用してください。
 
ぜひこのブログへのコメントやメッセージでもご対応いたします。
あなたは一人じゃないよ。そう思える社会が今、構成されつつあります。
 
髙橋直之

できるものなら

私(筆者)は自閉症スペクトラムです。
 
しかし、それがどうしたのでしょうか?
処方された薬は服用しており、回復に向けて努力を続けております。
しかし、私がこうした症状(病)に侵されていることについて世間は優しくないのです。
 
これはノンフィクションです。
 
婚約者のご両親からは精神病について疑問を持たれました。
通っていた、某通信制学校についても疑問を持たれました。
社会人になって自分の持っている精神病について、面接の時に深く問われる時がありました。
寧ろ、精神鑑定を受けされる方が苦はでありました。が慣れてしまいました。
 
私は確かに精神障害者保健福祉手帳を保持しております。
しかし、何故ここまで、世間から追求されなければいけないのでしょうか?
 
私はシステムエンジニアとして3年間、外資系の大手の会社に新卒で勤めておりました。
今はその会社を退職して、フリーランスとして生業を経てて生活するようになりました。
 
その会社については、文句の一言もありません。
確かにパワハラなど、多くのハラスメントを受けてきたのは事実ですが、ここでは多くは語らないようにします。何より未来に向けて建設的な議論を進めていきたいのです。
 
でも、私は悔しいのです。未だに精神障害者という壁が僕の夢を
将来の行く末を阻んでいるのです。
 
婚約者のご両親がもたれる不安は僕にもわかります。
また、新たに勤めようとする会社の不安も僕には分からなくはありません。
 
しかし、どうして…僕は劣勢から立ち行かなければならないのか、非常に理不尽に感じてならないのです。このブログではずっと障がい者と健常者の間での社会的な格差を文字にしてきました。しかし現在、私は体感しているのです。
 
生産性に欠ける、理解するのに時間がかかる、確かに心の障がいにはどうしても否定しきれない欠点があるのは事実です。しかし、身体障害と精神障害の間に区分が存在するのは事実であり、差別とまでは言いませんが、公的には区別され支援の内容も大きく異なることは事実なのです。
 
できることなら、僕は普通の人間でありたい。
できることならば、僕は普通の人間という言葉を使いたくない。
 
しかし、社会的に見れば区別されているのです。
 
私は、精神障害者である。
 
その事実と、客観的な評価は変わりないものであり、私はその枠の中で生きて行かなければならないのです。
 
もちろん、不安や疑問もあります。
でも経済的に支援を受けているのは事実で障がい者として僕は生きています。
 
就職の場で、家族間の間で、そして信用(金銭的な)の間で「私は障がい者です」
と言う区分は使いたくないのです。都合の良い話かもしれません。
 
でも、独立して生計を建てていると言う自信はありますし、家族を養う経済的な余裕も作れるようになりました。それは近代的な生き方や働き方ではないかもしれませんが、間違いなく現代的な生き方や働き方であると思います。
 
コロナ禍のなかで多くの会社が苦境に喘いでいます。
個人事業主も事業の持続性に不安をもたれる方も少なくはありません。
私はそんな中で、決心をしました。
 
経済とはあまり関係はないのですが
人間関係や、会社の先行きが不透明ならば自分で将来のビジョンを設定して独立してしまえば良いと。語ることは容易く、実行に至るまでは相当な苦労があります。
 
その中で感じた壁、とは、先ほどお話した障害者であると言う世の中にある、偏見(全員ではありません)を感じて独立までに必要なの?と思う作業もしました。
 
日本では近年バリアフリー化や、オリンピック開催で盛り上がる中でパラリンピックへも関心を広めています。一見して障害を持つ人々への理解を促しているようにも見えなくはないのですが、私は表面的なパフォーマンスにしか見えないのです。
 
何故ならば
バリアフリー化は進むけれど(物理的に)、人々の間では理解が広まっていないのでは二でしょうか。沖縄県の女性教諭が授業中に奇声を上げてしまった児童がいたことから、「障がい者が迷惑な人と感じる人は手を挙げてください」と言った発言が教育の場であったそうですね。
 
教育現場、今後の社会をになっていく子供たちに対して、教育の場は特に差別的な意識を無くしていく、多様性を受け入れる場であるべきではないかと思うんです。
既に広がってしまった考え方や、人の価値観を変えることは相当難しいことです。
 
でも、次世代に差別や偏見は残さないような社会になれないでしょうか。
そう言う意味では今生きる私たちは、多様性を重んじる最初の世代であると考えます。
差別や偏見の考え方を無くすのは難しい。できるのならば今すぐにでも無くしたいけれど…現実的には難しいのが事実です。
 
だからこそ、気づきつつある私たちの世代から次世代へ向けて、より多様性を理解できる世の中を育んでいけたらいいなと思います。もちろん、いじめも一緒です。
問題視されている世の中ではありますが、ただ見て見ぬ振りをするのではなくできるのなら「これを読んでいるあなたは多様性を理解できる代位一世代です」
 
気がついたら行動しましょう。
社会が変わるのを待つだけではなく、私たちから変えていくのがこれからの時代です。
 
働き方も
生き方も
価値観も
 
全ての人が生きやすい世の中になるといいですね。
そう願いつつ、本日もブログを更新します。
 
いつも読んでくださる皆様ありがとうございます。
 
髙橋直之

自閉症スペクトラム症とは(障がい者とは)

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同じ人間なのに。一緒なはずなのに。
こんにちわ、たっきーです。
8月になりましたね。いよいよ僕の住むまちも梅雨明けかな。みんみんゼミが鳴く声が日に日に大きくなってきています。
また今年も暑くなりそうですね。皆さん熱中症にはくれぐれも気をつけてくださいね。
 
さて、今回の記事では自閉症スペクトラム症について医学的な知見と僕の体験談を交えて説明していきます。
 
なぜ、このタイミングで?
それは最近、脱サラしたことにより生活スタイルが大きく変化したことが要因にあるんです。フリーランスとしてやっていくには多くの行政手続きが必要で、僕を混乱させたんだ。届出には細かい内容まで記載が必要で人以上に書くのに時間はかかるし、誤字脱字も相変わらずで…
ある日、どうしても分からないことがあり、行政に相談したんだ。障害区分を記載する部分について尋ねたんだけど、精神障害については複雑なんだよね。
 
ADHDを理由に精神障害者保険福祉手帳を受けています。」
と僕が伝えたらADHDてなに?と逆に質問されてしまいました…税金に関わる内容なので障害区分の記載は慎重なのだろう。僕はいったんはそう理解して手帳とともに普段から持ち歩いている説明用のハンドブックを見せて説明したんだ…そう普段からADHDと伝えても、障害者手帳を提示しても疑問を示される場面が多々あるんだよね。
 
 
だって、
見た目は普通だし
会話も日常会話的なものなら支障ない。
(薬を用法容量守って服用している場合に限るけれど)
 
 
『一見すると他人からは障がいのある人間としては良くも悪くも見えないんだ。』
 
 
悪い方向に進むと行政手続きの場面ではしばしば疑いの目を向けられることが多かった。
通院履歴や投薬内容まで、聴かれることもあり、そこまで僕の個人情報を開示する義務は、条例や法律にもない。でも現実的には信用問題になるので僕は開示しているんだ。
 
つまり、まだまだADHDを含む自閉症スペクトラム症について社会的な認知度が低く、受け入れられていないのが現実である。と、痛感する日々でした。
 
前置きが長くなりましたが、今回改めて自閉症スペクトラム症について理解者を増やしたいと思いブログを更新いたします。
 
 
自閉症スペクトラム証では、「社会的コミュニケーションおよび対人関係」、「こだわり」の特徴が見られます。自閉症スペクトラム症は発達障害の一つであり、医学的には遺伝と環境の双方が関与して起こりますが、育てられ方が原因で起こるものではありません。つまり生まれ持ってきた先天的な障がいです。
また注意欠陥・多動症ADHD)などの他の発達障害や、他の精神疾患うつ病など)が併存していることも多く見られる傾向にあります。
日本イーライリリー株式会社(2017)
 
 
僕の場合、小学生〜高校生の頃は「社会的コミュニケーションと対人関係」に特徴が顕著にあったと、『今』だから振り返ることができます。
 
例えば、知り合ったばかりの人に対して距離感が掴めず執拗にガンガン距離をつめて会話していた。具体的には敬語で話させない。馴れ馴れしい会話等…etc
 
もちろん自然と浮いていってしまうよね。僕はクラスで最初は目立つ存在だったけれど、その後、「変わったやつだなぁ」「変なやつだなぁ」と揶揄されることもあった。
その時の僕の考え方はとにかく仲良くなりたかったんだ。でもあまりにも勢いが強過ぎたせいか人が持つと言うプライベートゾーンに土足で踏み込み、結果、近寄りたくないと思われてしまったのだと今は思います。
 
もちろん、それは当然のことで、変な人の元には近寄りたくないと思うのが人間の性。
だって自分にもしかしたら悪影響を及ぼすかもしれないと思った人と、あなたは友だち、または手を差し伸べたりしますか?
 
自閉症スペクトラム症とは、どうしても負の面が際立ってしまいがちなんだ…
だって外見ではどうしても見分けがつかないんだもん。
「変な人だな」そう思われても仕方ないと僕は今は飲み込めるけれど、学生時代はずっと、なぜ自分だけが嫌われてしまうのか、クラスから浮いてしまうのか非常に理不尽に感じていたし、虐げられるのがとても辛かった。
 
大人になって、仕事をするにあたって
  • 同期と馴染めない
  • 誤字脱字が直せない
  • コミュニケーションで事業に影響が出る
  • 職場での人間関係で悩む
 
学生では付き合う人間を選べたけれど、社会人になると上司は部下を選べないし、部下は上司を選ぶことができない。同期同士も選ぶことができない。万人との対人スキルが求められ僕は苦しみ、ある広告を見たきっかけで、僕は精神科を受診してADHDという特性(障がい)があることを認識したんだ。
 
学生時代は何とかなったけれど、大人になったら、所帯を持つ、新しい家族を養う
責任は重大であり、会社内では限られた人間関係の中で生き延びて行かなくてはならない。
 
そんな状況下、プレッシャーを感じて僕は初めて自分の特性に気がついたんだ。
 
そう、自分でも気づくのに20年以上を要したんだもの。
他人から見たら僕は発達障害を抱えているだなんて分からなくて当然だ。
 
でも、それが現実なんだよね。
 
うつ病を併発し、新卒で就職した会社は3年目で心身の故障を理由に辞めることになった。
 
自分が自分らしく生きるためにどうしたらいいか。
僕は今、自分自身と戦っている。新しい家族を作りたいが、差別の目を向けられる。
新しい就職先を見つけたいが、障害を理由に過去の実績に見合わない待遇を迫られる。
 
ここで考えて欲しいのです。
障害という言葉を発するのは自分ではなく第三者が多いんだ。
例えば、就職希望先の人事、行政上の区分、家族間の交渉…
 
そう言えば、自分から精神障がい者です。という機会は少ない。
あるとしたら行政手続きで障害者支援を受ける時くらいだ。
 
確かに僕は障害者控除や障害者手当なるものを受給している。
でも受給しないと生活に困窮するからなんだ。
 
社会は求める、健常者か障害者か
どっちなのかを…
 
尋ねられた時に僕は障害者手帳の交付を受けている以上、障害者として名乗らなければならない。でも、精神障がいの場合は見えにくいから疑念を抱かれるの…
この繰り返しです。
 
自分は一体、ナニ者なのか
支援を受けている傍ら、我がままかもしれないが僕はナニ者でもない。人間だ。
化者でもないし、変者でもない。人間として同等に扱って欲しい。
 
でも何故、区別されるのか。
自閉症スペクトラム症の抱える人々は本音では区別ではないと感じているのではないか。
もちろん自分の特性を理解した上で、その特性に応じて上手に付き合っていくべき発達障害だ。でもそれを受け入れて社会人として生活する人々に対して、果たして区別は必要なのだろうか。
 
支援が必要な人々には支援の手を差し伸べて欲しい。
でも、障がい区分て一体どの視点からの区分なのだろうか。
明日も行政手続きで区役所へ行くけれど、障害者とは一体何のために作られた言葉なのだろうかと疑問を捨てられずにいられないでいるんだ。
 
髙橋直之

夢が叶わない、経済困窮、でも将来の可能性は捨てないで。

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人生には分岐点がある。迷ったら引き返してもいいし、そのまま突き進むもいいのかな。

自分の意志で道を切り開いていけば後悔はしないはずだよね、きっと…

僕は中学生の頃、将来の夢として新幹線の運転士に憧れていました。
 
物心持つ頃から電車やバスが好きで、祖父や父に学校が長期休みになると電車に乗って、首都圏を中心に行ったことがない場所がなくなるくらい、色々と連れて行ってもらってました。
 
5才の時かな
祖父は柴又が好きで、帝釈天へ連れて行ってもらったり、父には東京の地下を網目のように縫って走る地下鉄を端から端まで乗せてもらったり。本当に電車が好きだった。
 
5才には寺社仏閣の価値を理解するのは難しかったけれど、それでも祖父はもの知りで、あっけらかんとしている僕に気づかず、歴史についてひたすら語っていたことを覚えている。そのせいか今では歴史好きだ笑
 
今、僕は27歳でIT関連の仕事をしていて高橋家の頭首として真面目に?働いている。
祖父も父も僕が学生時代の時に亡くなってしまったけれど小さい頃から世間の広さや厳しさを見せて教えてくれたことに、とても感謝している。
 
冒頭に書いた15歳の頃の夢は叶えることが出来なかったけれど、経験に基づいて今の僕の生き方に繋がっているように感じます。
 
15歳の頃は、いじめのトラウマから不登校になり家に塞ぎ込んでいた時期でした。それでも一丁前に将来の夢というものを確かに持っていたんだよね。
 
高校へ進学してからは、初めて学校が楽しい場所だと感じた。通信制でありながら毎日登校する、他の全日制高校と変わらない生活だった。今まで塞ぎ込んでいた分、生徒会や実行委員会などに積極的に参加して自分への自信をつけていったんだ。もちろん、最初は不安だったし、コミュニケーションも苦手だった。でもそこで出会った先輩に優しくアドバイスを頂けたし、行事に参画する中でかけがえのない一生もんの親友とも出会えた。
 
夢や希望を実現するためには成功体験を積み重ねて自分の自信を養うことと仲間が大切であると高校生になって初めて知ったんだ。
 
高校生の時に衝撃を受けたのは、国際問題について知ろうとする授業だった。その時に受けた衝撃はハンパなかった。今まで国内のこと、鉄道のことにしか興味のなかった僕だったんだけど、一気に世界へ視野を広げてもらったんだ。僕が中学生の時まで抱えていたトラウマを否定する訳ではないし、不登校になっていた僕の経験も大事だと思います。比べることではないのかもだけど
 
世界に眼を向けると、僕の抱えていたトラウマや将来への歩み方に大きな変化をもたらしてくれたんだ。
 
大学は国際系の学部へと進学した。休みには、バックパッカーとして世界アジアを中心に旅をした。あるゲストハウスと出会い僕はコミュ障を克服するためにヘルパーとしてそこで働いたんだ。外国人もよくお泊まりになる、もちろん日本人も!
そこで繰り広げられる会話はとても新鮮で内気な自分を解いっていってくれた。
 
そうしていく中で将来の夢が段々、変化していった。
①僕は観光を通じて世界中の人々の交流を促進するのもいいな
②人々が集まる空間、その土地の歴史や風土を残す景観づくりに興味を持った。
 
①は大学を卒業する前に旅行代理店に就職する予定だったのだけど、父が急逝してから家計を支えるには現実的に難しい。②は卒業する段階で必要な単位を取得できていなかった。そこで僕はIT起業へ就職して27歳まで会社で仕事をしてきたんだ。
 
僕は15歳の頃、まだまだ将来の希望を持つために必要とする知識がまだまだ足りていなかったんだ。だから自分の趣味の範囲で夢を抱いた。もちろん趣味を生業にすることも大いにアリですよね!僕は自分の好きなことを仕事にして輝いている人を見ているとすごく羨ましいいと思ったんだ、最近ね。
 
だから、どんどん夢や希望を持ってください!
目標ができたら自然と人間は動いていくモノなんだなぁと思うのです。
もちろん中々、興味を見出せないという人もいるかもしれません。
僕の友だちに何人かそれで悩んでいた人がいました。でも、そんな時は僕が①を実際に実行して人との出会い、まちとの出会いを広げるように連れ出しちゃっていました。
 
その時にできる僕の精一杯の働きかけがそれだったから。
興味を見出せなかったら、ちょと勇気がいるけれど何でもいいから思い立ったことをひたすら調べてみることはアリかもしれないですね。今はネットが使える社会ですから、家の外に出なくても情報は集められるもの。無理にしなくてもいいし、気が向いた時でいいと思います。
 
僕の人生は紆余曲折で、芯のある歩み方とはとてもほど遠い…
参考にはならないかもしれないです。
 
でもね僕がここでお話をしたいことは芯はなくても、僕は自分の意志で自分の人生の岐路に立った時に判断して今まで歩んできたんだ。中にはそうせざるを得ない選択を迫られた時もある。それでも受け入れて、ここまで自分の意志で選択して生きてきたんだ。
 
そして27歳、サラリーマンの僕は再び岐路に立たされたんだ。
①はボランティアでも達成できるけれど②は、本格的に勉強を始めれば、今からでも達成できるかも、と。
だって今の僕はサラリーマンでいる必要がないのだもの。ある程度の貯金もできたし、家計にも余裕が生まれました。それならば、もう一度挑戦を始めるならば、今かな?と
 
そして僕は27歳で脱サラを決意して、建築士を目指す道を選んだ。
 
 
夢って不思議ですね。そしていつ描いたっていいのだもの。
もちろん実現可能な夢かどうか現実と向き合って判断する必要はあります。
 
でも、何歳だって自分の希望は希望だもの。
叶えられるものなら叶えていきたいな。
 
 
これを読んでいるあなたはどうですか?
学生ならば将来の進路は無限大ですよ!ある知人が僕に諭しました。若さは最大の武器だ!ってね。若い時になら選べる進路もたくさんあるんだよね。素敵だな。
 
社会人だって諦めないでよ。もし自分に向いていないな…辛いな…
夢と現実のギャップもあるでしょう。
 
自分が向いていないと思う場所にとどまる必要はありません。
確かに昭和日本では会社員になり転職せずに出世街道を歩むことが美談とされた。
でもね、今は平成をすぎて令和の時代です。
 
団塊世代は何とでも言えるでしょう。
でも老後を考えるとさ、一途に会社員を続けることは今のあなたにとって幸せですか。
企業の大小を問わずに、会社も傾いてくる時代です。
その時に揺らがずにするにはどうするか、会社を立て直そうとする勇姿も必要でしょう。
僕はそこまで会社に忠誠心を誓うことができませんでした。
 
僕は僕の将来の夢という己に芯に真っ直ぐ生きようと選択したんです。
もちろん周囲からは心配される声、罵倒、社会的信用の損失、代償は大きかったけれどさ、でも一から積み重ねてばいいじゃない?なんて思ってます。
 
『何歳だって自分の希望は希望だもの。
叶えられるものなら叶えていきたいな。』
 
それを僕は体現できるようにしていきますよ。
有言実行、言葉は現実になる、とも言いますよね。
ちょっとした願掛けみたいに聞こえますね。でもそれは自分への頑張れ!と
コロナの影響、自分の特性で、身体障害で、経済的に困窮し先行きに不安を考える人へ
エールになればいいかなと今回のブログを書きました。
 
舞台は違えど皆んなで目標に向かって、なるべくなら前向きに考えて進んでみませんか。
 
髙橋直之

社会的信用がなんだ!これからは個々の自信と信頼が命だ

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何で?平等な権利、自由が与えられるべきではないの?
悲痛な心からの叫びです。「社会的信用がなんだ!」
最近そのように感じる。フリーランスとして活動を始めて幾数月。
サラリーマン時代は色々なものに守られていた。会社という箱はとてもすごい。
厚生年金、健康保険、毎月安定した給与、ルーチンワークで稼げる。
 
入ってしまえば楽だ、入るまでが大変な日本の大学のように…
 
少しトゲがある発言が目立つ序文ですね。
でも今回のテーマはそれだけ自分の気持ちが一定の袋の大きさの中に貯まり(僕の場合999Lぐらいの袋かな)それが今にも破裂しそうなのです。
 
それは社会に向けるだけの牙だけではありません、自分が日本という恵まれた国の中で上手く暮らせて行けない不甲斐なさも感じるのです。これは強がりでね、社会の責任にしたら負のような気がするんです。だって僕の生きる今は今だから…
これが10年先、20年先、社会の評価指数や評価対象は変わっているかもしれない。
でもそれを否定してばかりいては現代を、今も生き抜くことができないのが僕です。
 
僕はブログで発信し続けるけれど、社会では弱者として扱われます。
障害が理由に生活は保証されています。血税の一部をいただきながら生活の一部(主に医療費について)支えられているのは事実です。
 
それに対して僕は文句も何もありません。
日本はまだ国による保険整備が充実しているように今は感じるからです。
それでなんとか生活していけるのは紛れもない事実であり、それ故に社会的弱者として位置付けられます。障がい者として生きているのです。
 
でも、障がい者として生きるには社会的保険制度を受ける傍らで、制限を受けているのも事実なんです。例えば起業です。個人事業主として特定の資格を有し免許を申請するためにはどうしても障がい者である以上、受けられない免許もあるのです。
 
例えば宅建、弁護士、行政書士といった国家資格です。
 
当然といえば当然ですが判断能力に欠ける人がつけない職種ではあります。
開業して免許を得ないと事務所を設けられないのは当然?当然なのか…
身体障害者で下肢不自由の人が判断能力に欠けるのか、ASD(自閉症スペクトラム)の人々でも社会的に独立して事務所を設けることはできないのか…
 
疑問である…
 
社会は、人は、何かしらの判断基準を持っている。
社会は法律、人は自我である。
もちろんそれぞれ判断基準は必要であるし、それが人である以上、その人の判断基準は自由であると思う。ただし…
自由であるからこそ、社会の判断基準である法律は、ある程度ユニバーサルでないといけないのではないのか。人々の判断基準となる指標でないと行けないのではないのか?
 
僕はそう思うのです。
フリーランスで仕事をしていく中で自分が障がい者であることを社会的制度から改めて思い知らされ、自分の可能性、将来性を制限されると感じる瞬間があるのです。僕が精神障害者保険福祉手帳を有することで活動を制限される事実があるのです。
 
例えばある、国家資格を有していても、判断能力に欠けるとして免許が得られない。
結果として事業を始められない、という現実があるんです。
当然といえば当然か…でも僕はとても悔しいんだっ!だって資格を得るということは客観的に見て能力を有していることを第三者機関に認められていることなんだよ?
例え、それが国家資格なら国が認めている。でもその資格を有していても、事業化するためには免許が必要なんだ。その免許の取得資格にどうしても僕の障害が邪魔をする。まさに『障害』だ。
 
もっとわかりやすく言うと僕には婚約者がいる。とても幸せだ。
でも、その婚約者のご両親は言った「メンタル関係の病院に通っていたら…」
確かに僕は精神科にお世話になっているADHDうつ病だ。
 
でもそれがどうした!!
精神科に通っているからといって社会的信用まで下げられたくない、偏見も持たれる筋合いはない。だってADHDは僕が生まれ持った特性であるし、うつ病はそうした病気を持っていても、併発してしまった精神病なんだ。
成りたくてなった訳ではないし、精神的弱さから、なった訳ではないと僕は考えているんだ。
 
だって「僕は僕で私は私なんだ」前回のブログで書かせて頂きました。
 
それは個性であり、持って生まれた特性なんだ。それを否定されてしまっては元も子もないないよ。でも確かに、社会的にみたら精神科に通うとう言うことは不都合が伴うのは事実。
例えば、住宅ローンを組む際には団体生命保険に入りにくいし、医療保険も保険料が高い緩和型のものしか入れないんだ。保険会社は営利会社だ。そうした仕組みは仕方ないしリスクのある障害者は加入が難しい。事実だ。何もいえない…だから説明が求められるのは当然だ。
 
じゃあ、どうすれば社会的に障がい者でも信用を得られていくのか。
僕は僕なりに考えてみました。
 
やっぱり、僕は個々の自信と信頼が大切なんだ!と思う。個人の意識、意志だ!!
社会的指標がなんだ。血税にお世話になっていることは否定できないけれど、それでも自立しようと自分なりに努力しているのに、障がい者であるが故に壁があるのは何故なんだ。
 
疑問を捨てきれないでいる。
 
どんなに変わっていても、どんなに個性的でも、どんな障がいを持っていても社会的権利や評価は平等であって欲しいと思うんだ。その個々の指標としてなり得る法律に障がいの壁を作ってはいけないのではないのか?それが僕の今回の持論であり、ブログのメッセージです。障がい者であっても本当に生きやすい世の中とは何か、ぜひ考えて欲しい課題です。
 
僕はね、日本の法律を否定したい訳じゃないんだ。
でも、それが根っことなって人々の評価指数になっているのは事実だと思うの。
だから、個々の信頼と自信とは障がい者だけが持つべきではなくて、この文章を読んでいる皆さんにも考えて欲しいんです。確かに障がいの度合いによっては難しい免許もあるでしょう。でも、全てが本当に難しいのか?僕は疑問ですね。
 
障がい者の『害』は社会が作っているんじゃないですか。
だって僕と接することに『害』を感じますか?この文章を読んで『害』を感じたならば申し訳ありません。でもそれでは、何故『害』を感じるのか教えて頂きたいです。コメントでも何でもいいです。忌憚の無い意見をお待ちしております。
 
さて今回はとても感情論が挟まっていますが脱サラしてもやっぱり壁はあるものですね。
それでも、僕は家族を守っていくために頑張ります。
 
絶対に負けません。そして自分の病気にもしっかり向き合います。
それが障がい者に対して保証はありながらも、希望は少ないと感じる僕の生の訴えなんです。
 
髙橋直之