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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

変わった人 特性を特徴にそして特技に…

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Going my way !!
僕はよく社会人に変わった人だね、と言われた。
 
変なことをしたつもりでなくても何故か社会(周囲)から、何か違った目で見られる。
新卒で入社し、社会人一年目でなんとなくそんな雰囲気を感じ取っていた。
 
だからって特段、周囲は僕を特別視はしない。普通の同僚と上司の関係だったと今を振り返っても思う。
 
ただ、「自分でやらかしたなぁぁぁ」ということはよくあった。もしかしたら誰にでもよく起こる失敗談かもしれない。
 
僕の特性として
 
同時に問題が発生すると情報を整理できずパニックになる事が多々あった。上司に問題を報告するのにしどろもどろになってしまい。冷や汗を掻いたなんて場面が時よりあった。
 
メールの誤字脱字。
「最初は誰にでもあるよ」と優しく上司は注意してくれたが、これが一向に改善しない。
二重三重のチェックを自分でしていたが、必ずどこかにミスがあり上司を悩ませた。
「お客様に送る前に私にまず見せること!」そう注意されメールを送信する前に上司の席に行く作業工程を繰り返し増やしてしまった。
 
コピー機をよく詰まらせる
「また君か」メンテナンスの人にやれやれとした顔でいつも対応してもらった。
←こればかりは…運としか言いようがないね。
 
こいつが一番厄介なやつで、プレゼンの時の表現方法のこだわり
社会人て無難なシートを好むよね。
 
僕はジャンジャン、パワポにアニメーションを吹き込んでジャパネットタ○タか!!
 
って感じに動き回るし、溢れんばかりの笑顔。TV営業か!!
新入社員研修でプレゼンをする機会があったがあまりにビジネスプレゼンとしては
かけ離れた内容だった…今、思出だすとあまりに恥ずかしい
上司はため息、「君は…」言葉にも表さなかった。
 
「変わっている人だね」
 
攻めようとはしない、悪口でもない、ただ「変わった人だなぁ」
「よく表現したらユニーク?普通ではないよね」
 
外資系の会社がらカラフルを受け入れてくれる社風で否定はしなかったが、「髙橋ってさ、変わったやつだな」てよく耳にした。
 
僕は良い意味で捉えていた。
だって普通じゃつまんないじゃん。
人には色々な特性や特技がある、そしてそれは十人十色。
僕は「変わった人だね」そう言われると寧ろ嬉しかった。
 
何故か、もう受け入れていたからだ。
ADHD”発達障がいとも言われるけど、僕はそれを特性だと思っている。
 
小学校、中学校、そして高校、大学
僕のプレゼンスタイルは学生時代に確立されてしまっていたのだ。
 
人に届けるんじゃない、心に届く、心に残るプレゼンをしなきゃ!
お客様の心に届けるプレゼン、それが僕の手法なんだ。
そのように僕は自認することにした。
 
でも社会は違った。
変化を拒む、無難を好む、それが評価に繋がる。
 
卒業研修では、ビッチリ仕込まれた、社会に好まれるプレゼンを
アニメーションもない、動かない、うるさくしない、静かにスマートに
 
日本の社会は変化を好まないのだと感じた
外資系の企業に勤めたけれども、お客様は日本人であり、中庸な資料を求める。
 
社会人になってから僕は社会人の枠にハマろうと必死だった。
社会人の枠、求められるクオリティ。
オリジナリティではなく、いかに中庸にスマートに。
 
久々に会った友人に言われた、髙橋大人しくなったな
「それ、本当?」
 
変わった自分が良かったのに、僕はいつの間にか社会人になっていた。
万人受けする、無難な人間に
 
本当にそれでいいのだろうか?
「変わった人」それは人生で最高の褒め言葉だと僕は思うな。
 
 
無職になった今、僕は転職活動を続けている。
そこでは『ジャパネットタ○タ』のようなプレゼンをかまし続けている
それでも僕を受け入れてくれる場所があるのではないかと
 
ゼロに戻った自分に残ったものは特性であり、特徴であり、特技だと思う。
 
人にどんな評価を受けているか、とても気になるよね
でも、ありのままの自分でいる時間が、自分が楽だもの。
そう最近は考えられるようになった。無理に社会という枠にハマろうなんて今は考えない
 
だって中学行ってないし、小学校からもまともに友人関係を築けず図書室にいた僕が今は面接で輝きながらプレゼンしている。
 
それを受け入れてくれるか、受け入れてくれないかは会社に委ねる。
だって、素の自分がそれなんだもん。寧ろ周りと違うことは、僕の特技であり付加価値でもあるんだと考えているよ。
 
あ、でもさすがにちょっとは、ビジネスを意識しちゃうけれどね。
 
髙橋直之