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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

精神障がいの壁②

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以前にも書いた記事の、補足として書き留めたいことがあったので再投稿します。
僕は精神障害者1級の手帳を保持しています。
 
それを訊いて周りの目は、社会の目はどんな目で見るのだろうか
そう自分は心配した。
 
でもね。
そう心配する自分がいるって事は、自分自身に「精神障害」に対する偏見があったのだろうと僕自身は振り返るんだ。だって偏見がなければためらいなく手帳を申請を直ぐに出来たはずだ。「精神障害」精神科へ通うことも僕はためらった。
つまり心のどこかに精神障害に対して尊厳、そして言葉では言い表す事は難しいが対等な目で見れていなかったのだと振り返るんだ。
 
自分の弱さであり、人間として乏しい一面があったと認めざるを得ないよね。
 
でも、言い訳にするわけではないが、日本では精神障害に対して、まだまだ理解が進んでいないように僕は感じるんだ。1984年になって身体障害者福祉法が制定された。それまで障がい者に対する保護される法律はなく理解が乏しかったと言わざるを得ない。
つい、40年程前にようやくノーマライゼーション「あらゆる(高齢者や障害者)が普通の(ノーマルな)生活ができるようにすること、そのような生活を保証をすべきである」という考え方が日本にも浸透して初めて施行された法律である。
 
しかし、「身体障害者福祉法」と名を打つように精神障害に対してはそこまでスポットが当たっていなかったように感じる。
 
2012年にようやく「障害者虐待防止法」が施行され、そこには
「身体障害、知的障害、精神障害発達障害を含む)その他の心身の機能に障害がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にある者」と明記された。
 
2012年になってようやく知的障がいや精神障がいに対してもスポットが当たることになる。この数字を見て最近のことではないかと僕は思うんだ。
 
そもそも、人間には社会的人権の保障があり、一人の人間としてどんな状態にあっても尊厳ある生活が保証されるべきであるんだ。でも実際は日本の法律の制定が昨今になって行われている様に障がいに対する理解が社会的に進んでいるのかと考えると疑問を投げかけたいと僕は思う。
 
ある人の言葉を借りると
「どんな状態にあろうと生きているだけで儲けもんなんだ(価値があるんだ)」
 
近年では相模原障害者施設殺傷事件が記憶に新しい
神奈川県立の知的障害者施設「津久井やまゆり園」に元施設職員が刃物を所持して侵入し19人を刺殺するという痛ましい事件だ。動機は「障がい者には生産性がない」「生きる価値がない」そうした思想が犯行に及ばせた。
 
日本ではインクルーシブという考え方、そもそも教育が遅れている様に僕は感じるんだ。だから、いじめが起こる、差別的な意識が生まれる
 
基本的人権の尊重」
 
皆さんはそれを聞いて何か、簡潔に説明が出来ますか?
繰り返す様だが、人権の尊重とは、「何人も生きているだけで価値があるんだ」
引きこもりだった僕も、いじられていた僕にも、他の誰とも差別されない基本的人権があったのだと思う。幼かった僕はそれを理解しなかったし、対して、いじめをしている加害者側にも理解がなかったのだと僕は思うんだ。
 
精神障害は身体障害とは異なり、目には見えない心の障がいである
知的障害も含まれる
 
障害者雇用枠で先日、合同企業説明会に行って来た
とあるA社が信じられない対応をしていた。人事の人が健常者であるにも関わらずあたかも障害者である様にしていたのだ。それに気づいたのは、トイレで出くわしてしまった時だった。さっきまで車椅子に座って面接していた面接官がひょうひょうと歩いてトイレで用を足していたのだ。
 
精神障がいの壁ではなく、身体障害に対しても日本社会には大きな壁があるのだと感じた。障害者雇用枠とはなんなのだろうか。企業のCSRに利用されているのではないかと僕は疑問を抱かずにはいられなかった。
 
日本は確かに近年、駅のホームや公共施設などバリアフリー化が急ピッチに進められている。それは評価して良いことだろうけど、福祉国家として名高い北欧や欧米諸国からしてみたら大きく遅れを取っている。僕からしてみたら、来年開催される東京オリンピックに間に合わせるために、障がいに対するグローバルスタンダードを守っていますよ、というアピールに感じて仕方ないのだ。
 
そして、そのオリンピックにパラリンピックにおいても精神障がい、知的障がいとして参加できる種目の、あまりにも少ないことか!!
 
 
すべての人が公平に扱われる日がいつ訪れるのだろうか
僕自身にも精神障害に対する偏見はあった。認めます。でも、自分がいざその立場に立った時いかに世間の壁が高いか、埋もれた問題であるのか痛感する日々を感じます。
障がい者雇用枠でも、身体障がいが優遇される様な社会に個人的には感じます。障がいは外観では分からない部分もあります。身体障害でも心機能障害等、内臓に障がいを抱える人がいます(母の様に、実は母も身体障害者4級です)
 
尊厳がいつか保証される世の中を祈ると同時に、もしかしたら、学校教育で道徳の時間にもう少し注視することができ、「基本的人権の尊重とは何か」理解してくれる子どもたちが次世代を担うことで、障がいに対する社会の見方は変わっていくのではないかと僕は思います。
 
髙橋直之