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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

暴力は何で生まれるの?①

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僕はいじめは人権侵害の代表例として考えていいと思う。
職場でのいじめ、学校でのいじめ、最近では児童が教員をいじめるなんていうニュースを耳にすることもある。人は皆誰も平等なはずなのに、何かしらを理由に仲間外れにされてしまう。結果いじめ、虐待などの行為に人間はとかく走ってしまうのだ。
 
何故、人は人を傷つけてしまうのだろう
「人は皆、生まれながらにして平等」
 
「本当にそうだろうか…」
幼い頃の僕は社会科の授業で基本的人権の尊重とは何か教わっている時に、そう
心の中で吐き捨てた
 
世の中は理不尽だ
小学生には学校へ行く以外に選択権がない
ボールを当て付けにぶつけられたりさ
仲間外れにされたりさ
 
僕は何もしていないのに何て理不尽な世の中なんだ、全然不平等じゃないか
そのように毎日感じていた。スレていたなぁ、僕
 
でもね、社会に出て不平等な事はいくらだってあるんだって感じた
基本的人権の尊重なんて、全員の意見を尊重していたら世の中なんてまとまるはずもないんだ。どこかで誰かが不平等な立場に遭わされ、そして均衡が保たれている。僕は今までを振り返ってそう感じんる。
 
僕は社会人になってSEになった。コンピューター業界は華々しく感じていたが
自分が配属された場所は金融機関のサーバー管理だった。
24時間安全稼働が約束されなければならない、サーバーが一度事故でも起こせば社会的信用を落としかねない。夜中の2時だろうがアラートを発せられれば、どこであろうと駆けつけた。華々しいイメージから現場はIT土方と呼ばれる過酷な現場だった。
そこへ、アサインされたことを憂いているわけではないんだ。ただ日夜働く、縁の下の力持ちのような人々が居て社会の均衡が保たれているんだ。労働にも昨今は厳しい制約が課せられているが…僕の居た現場は労働者の権利を主張できるほど甘い現場ではなかった。
 
サーバーが止まれば銀行のシステムがダウンする
システムがダウンすれば、ATMからお金を引き出すことができなくなる
そんな事件が発生してしまえば、金融機関の信用は地に落ちる
と同時にクライアントとの契約も破棄になる。自社の信用もガタ落ちだ
 
真夜中だって、デート中だって関係ない
その時、僕の人権は尊重されていたのかと問われると、いや、そうではない。
 
でも、そうしないと社会を保つ事ができないのだ
当たり前のように歩いている道路、パソコンを使用するために使われる電気
毎日入る暖かいお風呂だって、ガスや電気が消費されている
 
そしてそれらを健全な状態で利用できるのは、日夜働いている、若しくは過度に働いている人々が私たちの生活を、生活が、支えられているのだ。
 
時として、尊厳が守られない時がある。
それが仕方がないと伝えたい訳ではない、変えていかなければいけないと僕は思うんだ。
 
僕の社会人経験を例に挙げてブログに綴ってきたが
精神の均衡を保つため、集団意識を作るため、虐待やいじめといった行動に走ってしまうのがそもそも社会の根底にそうした仕組みがあるのではないかと僕は思うんだ。
 
もしも、一人一人が人を尊重している姿勢を保っていればこうした暴力は生まれないのではないだろうか。
 
そもそもコンビニは24h必要だろうか?
終電が日付を跨いでまで走る必要があるのだろうか?
 
便利な生活が私たち自身の首を絞めているのかも知れないと思いませんか?
会社がある前に、そこには人間が居るんだ
学校がある前に、そこには個性のある一人一人の人間が居るんだ(むしの良い子ども扱いするな!!
 
便利な社会になればなるほど弊害が生まれることもあるんだよね。
私たちの生活は必ず人間の手で支えられていることを忘れてはいけないんだ。
 
ブログの最初に振り返る。
「人は皆生まれながらにして平等…、時間はね」
しかし、環境は?立場は?様々なことを求めていくと差が生じる。
あの頃の僕は環境や立場に対して不満を抱いていた、そして拗ねていた笑
 
もっと広い視野で考える事ができたら楽だったんだろうと思う。
生まれながらにして変えられないモノは変えられない
 
では、いじめは?
あの頃、拗ねていた自分にも原因はあるのではないだろうか。
何故いじめられていたのか?今振り返ったら自分にも原因はあったように思う。
でも、子どもの頃の自分にはそんな余裕はなかった。言い訳に過ぎないけど
 
でも、その時も期待していた、自己中心に求めていた
何故、自分は理解されないのだろうかと、仲間外れにされてしまうのだろうかと
 
社会に出て教わった。「お前も大人になれ」ある日、上司に言われた言葉だ。
日本の社会は理不尽に溢れている。でも聞き分けの良い大人になれなかったから僕は会社を辞めた。そしてブログで多分、今も相変わらず社会から見たら子どものように嘆いているのが、僕のこのブログでの言葉なんだ。
 
まだまだ社会に教わることはたくさんありそうだ。
だから、謙虚な姿勢で理不尽と感じても社会人である以上は受け止めていく必要がある
子どもだなぁ、分かってるよ。でもね。これが素の僕なんだ。
 
髙橋直之