giveyourvoice

不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

告白みたいなもんだなぁ

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一言一句に思いを込めて
ブログを読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます。
と、同時に誤字脱字が多くで本当にすみません。
 
言い訳をするとEvernoteというツールを使って投稿する前に3度か4度も見直ししているんです。でもねぇ、やっぱりあるんよね誤字脱字。
日本語て難しいよね漢字一文字の違いで全く意味が違ってしまうんよ!!
ブログで綴りたいメッセージでいくら良いことを書いても(自分で言うなし)漢字一文字の脱字で台無しになってしまう。一文字、一文字に込められている漢字の意味の深さに英文にはない日本文化(中国由来だけど)の奥ゆかしさを感じます。
 
毎日、ブログを更新していますが、、、
こんな言い方して良いのかは分かりませんが、毎日読まなくて大丈夫ですからね
 
ドラ○もんや、サザ○さんみたいにストーリーは一話ごとに完結するようにしています。見た目は子ども中身は大人!その名は名探偵コ○ンみたいに「えっ!!誰このキャラクターは!!」みたいな事はないのでご安心ください。
 
私たちは見た目は大人中身は子どもです笑
enokiとたっきー(髙橋)で運営しておりますが故、以後、ご安心を…
 
ブログってさ、直向きに自分の考えや感じたことを正直に書けるの
この場所は誰が訪れてもウェルカムな場所です。綴られた文章を読んでホッとしたり
ちょっと共感する事があったり、救われる人が居たり
 
流し読みして高橋ってやつは鈍臭いやつだなぁなんて思われてもいい
だって鈍臭いもん。でもそんな中でこんな鈍臭くても生きているんですよ、て
小さな発信活動ができればいいなとここに文章を綴っております。
 
最初はね、正直、勇気が必要だったよ
だって、自分がADHDだって、うつ病だって、精神障害者保険福祉手帳の1級の保持者なんて誰にも話していなかったもん。近親者に少しだけ、部分だけ伝えるのにさえ勇気がいったんだ。だってどんなリアクションされるか分からないでしょう?
どこまで話していいのか、迷い、手帳を取得してからも一年以上は秘密にして会社にも友だちにも接していた時期があったんだ。今振り返ると、その当時はとても辛かったな。
 
だって健常者を装わなければならない
薬を服用している事実を隠さなければならない、自然にね
 
神経も使ったし、体力も要したな
僕は当時マネージメントする立場だったから弱みをより見せる事ができなかったんよ
友だちからも相談される立ち位置が多かったから「強い自分」を演出していなければいけなかったんだ。似たようなことを前のブログにも書いたような気がする。
 
でも、その期間は本当に辛かった。
だって自分の味方になってくれる人が周りにいなかったんだもん。
大切な人もいたけど、自分が殻に篭るが故に失くしてしまった関係もあった。
 
でもね、このブログを始めて少し気持ちが楽になったんだ。
もちろん初めての記事を書くときは指が震えるくらいに勇気がいったよ。
だって不特定多数の人に自分の状況を暴露するんだもん、告白する心境に近いよね
 
でも、なんでこのブログを始めたか
やっぱり、同じような境遇で戦っている人がいるのではないかなと思った時に少しでも自分の体験談が役に立てばいいと思った。と同時に吐口にもなっていたりする。
 
「おいおい、このブログはストレス解消のためかよ」
 
すみません。否定はできません。
でもね、ずっと同じことを書いてきたけれど、このブログでは直向きに文章を綴る姿勢をずっと変えずにいるの。それは何故か、誰かのためになるかもしれないと同時に自分のためにもなっているんだ。
 
社会にはデジタルタトゥーなんておしゃれな言葉がある。
ここに書いた内容は一生消える事はない事は理解しているよ。
でも、自分を作ることにどこか疲れを感じてしまっていたんだ。
ここで解放することによって、僕は素直に生きる事ができる、と同時に
同じように心の中で打ち明けられない悩みを抱えている人の悩みにそっと寄り添えると感じたんだ。
 
このブログに自分の真実を書けば書くほど社会的な信用は落ちて行く
失うものがない訳じゃない、僕にだってやはりプライドはあるんだ。
 
それでも尚、何故事実を書き続けるのかと言うと
こんなやつもいるんだと思ってくれればいいと思うんだ。
人は完璧じゃない。社会に出ると人なりに大人としての対応を求められる。
でも、そこには個性が無いように感じるんだ。ステータス?確かに意識していた
意識したが故に僕は辛くなったんだ。
 
格好良く生きる必要があるのか
確かに芸能人やミュージシャン「あいみょんが好きだぁぁぁぁぁ!!」
みたいなところはあるけれど、その人はその人で僕は僕なんだよね。
 
真似をしようと思えばできるけれど、真似をすればするほど自分の首を絞めるんよ。
ならば、正直に自分の在るがままの姿を晒した方が息を吸いやすいとここ最近は感じるんだ。親や友だち、動揺を隠さない人は僕の周りには多かっただろう。
だって「演劇やってたしね笑」でも、ずっと演じるのに疲れたんよ。ならば等身大の在るがままの自分でいれた方が気持ちとしてはずーーーっと楽なんだ。
これはブログを始めて初めて気がついたことだった。決して周りから同情や理解を得たい訳ではない。ただADHDうつ病である自分を、社会から弾かれても尚、社会に挑もうとする自分を発信することで応援してくれる仲間もできる。
そして共有することで、うつ病自閉症スペクトラムという人々が身近に居て、特別なことじゃないんだよ〜、あなただけじゃないんだよ〜、てことを伝えられたら少しでも、こんな自分でも社会の役に立てるかなと思ったからブログに真実を綴っているんです。
 
特になるような事はない
寧ろ自分の恥ずかしい一面を晒してしまう、そうも思ったけど
そんな事はない、恥ではないんだ。だって逃げてないもん、障がいを抱えていても必死に社会に挑もうとする自分がいるから僕は直向きに文章をかけているんだ。
 
まるで告白するような必死さに似ている。
でも、そんな感じかな。
自分の思いの丈をここに綴り、そして描いているのだから
 
でも、周囲はあんまり変わらない目線で僕と接してくれていると思うな。
日頃の信頼関係の賜物なのか、カサブタに触れるような扱いなのか
 
でも、どっちでもいいよ
僕は僕なんだもん。どうしたってこの障がいとは、これから付き合って行かなきゃいけないんだ。友だちに嘘をつき続けるのもなんだか自分の中で疑問だったしね。
社会的に離れて行く人、理解してくれる人、僕は両極に捕らえられて当然だと思う。
 
それを理解して上で、ここに綴って行く言葉は直向きに
そして前向きに自分の人生を記録として、そして誰かの救いになればと思い今も向き合い続けているんだ、自分と社会と、そしてまだ自分とね。
 
髙橋直之