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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

精神障がいの壁③

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社会の壁(目)はそんなに甘くなかった
社会人になってあらゆる壁にぶち当たってきた
最初は自分の障害を受け入れたくなくて必死にリーダーポジションのキャラクターを演じてきた。でも疲れてきて結局、その会社を辞めることにはなったんだけどね。
 
障害を個性として捉える
非常にノーマルな響きだが僕は最近違和感を感じるんだ。
 
障害がある以上、自認しなければならない。そう考えるようになった。
だって何でも個性として受け止めてしまったら、収集がつかなくなってしまう。
もちろん、その人自身の特性であり、知的障害を抱える人の中には突出した能力のある人もいる。社会に受け入れられて行く中で必要とされるのは、その能力であると僕は思う。
 
能力は人によって様々だ
絵が上手だったり、数学が得意だったり、電車に詳しかったり、千差万別だよ
 
僕が得意なことは空間把握能力だ
一度通った道は忘れない、東西南北見失わない、図解式問題は落とさない
そんなところだろうか
 
確かにそれは僕の個性であり、誇るべき特技であると思う。
でも。他の一面はどうなのだろうか、注意欠陥、衝動的な行動が目立つ
そこも含めて個性だからと言ってしまったらなかなか、世間に受け入れられないのではないどろうか。心配もあるし不安もある。どうしたら良いのだろか、治したいけれど治せない、発達障害は一生付き合って行かなければいけない僕の特性なんだ。
 
社会に出る以上、ある程度の適合は必要だと僕は思う。
障害を理由に社会のニーズに目を逸らしてはいけないと僕は考えるんだ。
確かに僕は ADHDだけれど、だいぶ回復したと思う。
その回復してきた過程で思うことは社会への適合の重要性だと思うんだ。
 
傷害を言い訳にしたくない、これは僕の我がままなのかもしれないけれど
自己知覚をした上で社会に適応して行く姿勢は必要だと僕は思うんだ。
 
世間から見たら障がい者
でも僕は社会復帰を目指して足掻いて、そして目指している(望んできいる)
 
身体障害者手帳とは異なり、精神障害者保健福祉手帳は2年更新なんだ
つまり、少しでも回復の兆しを自分で作る事ができれば健常者として生活できる
(そもそも健常者と障がい者の差別的意識が僕の根底にはまだあるのだろう)
 
でも僕はやっぱり受け入れることにしたんだ
だから最近の転職活動でも手帳の事はオープンにしているし、障がい者雇用枠で企業を探していたりするんだ。でもやはり、障がい者雇用枠でも企業の目は厳しい。
身体障害者精神障害者で区別されることを肌に感じるんだ。その理由は必ず障がい区分を最初に尋ねられること。そしてその後の対応は身体障害者精神障害者では大きく異なっていた企業も一部あった。
 
合同企業説明会の会場で僕は過去に障がい者を装って人事として面接している会社がある話をした。その会場では他にも嫌な経験があったんだ。それが先に話した。障がい者区分により対応が異なった企業があったこと。特に発達障害においては詳しく尋ねられるんだ。障がいの程度、日常生活での影響等、目に見えない障がいなだけに世間には受け入れられにくくそして、いざ、オープンにすると発達障害という大きな括りにされてしまっていることから理解もまだ進んでいるかというと、そうでもないんだ。
 
だから、僕は社会人として生きて行くことを覚悟すると同時に
自分の症状や癖、影響が出てしまう範囲をしっかり自覚して社会にでないといけないんだ。日本の社会に適合していくためには必要なスキルだと転職活動を続ける中で学んだんだ。
 
個性として全てが受け入れてもらえる社会じゃないんだよね。
社会はそんなに甘くなかったと痛感した。
 
社会に対して憂いている訳ではないんだけれど、何となく違和感に感じていたことが明確になったような気がしたんだ。
 
髙橋直之