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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

自分の守り方②

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人は人の支えによって全力を出しきれる
自己肯定感の低い僕ですが、他人に認められた時、僕はとても嬉しくなるんだ。
承認欲求の強い僕です。
 
ネガティブに考えがちなんだよね。何事にも
最悪の事態を考えてしまいがちに僕はなってしまうんだ。
それは生まれながらにして受けて来た環境の影響か、自分が前向きに考えることができない憂鬱さを克服できない、今の僕自身にも理由はあると思う。
 
もったいないよね。
特技があるのに、光る能力があるのに、それでもその子は何らかの理由で社会から弾かれてしまう。いじめの対象になってしまう。出る杭は打たれるという社会なのか…
学校の中でもそうだったな。何故社会は突出した能力を嫌うのか?日本は変化に対して嫌う傾向があるように僕は感じてしまうんだ。
 
日本社会のせいにしてしまえば楽だが、それでは、引きこもりと変わらない状況だ。
どうやって社会に参画していくのか、僕もADHDという特性を持ちながら3年間社会人を送ってきた。「他のみんなにできていることが何故できない?」そう問われた時に僕は傷ついた。
「みんなにできることって何だ?」
「普通って何だ?」
「普通じゃない僕は社会に居ては行けないのだろうか?」
 
普通、平均?(アベレージ)が僕の居場所を、存在を否定していったんだ。
学校でも同じだったんだよ。「何でみんなの様に学校へ通えないの?」学校へ通えないことで否定された。そもそも学校へ通えなくなったきっかけに、環境に馴染めず、人間関係を形成することに苦労し、そして孤立してった経緯があるんだ。そして、「変わったやつ」「変なやつ」として扱われいじめに遭ったんだ。
僕にも原因があることは何度もブログに書いてきたが認識している。(今だからね)
その当時は分からなかったよ、何で僕は弾かれるのか、仲間外れにされてしまうのか?
 
僕は理解できず、防ぎ込んでいき、結果として僕は不登校になったんだ。
不登校になれば負のスパイラルだ。親からも学校へ行かないことを責められ味方を失ったあの時、僕は自分で自分を守る術が見つけることができなかった。ひたすら本の世界に入り浸り現実逃避することで僕は僕を何とか維持していたんよ。
 
どうしようもないんだ。
守り方を知らなかったんだ。
「今日も僕は生きているのです、守り方を知らなかったのです」あいみょん
 
毎日息を吸う度に生きていることを自覚した
そして次に襲ってくるのは生きていることに対する嫌悪感だった。
自分の守り方を知らない。ただただ引き籠ることでしか僕は自分の意識を守ることしかなかったんだ。自分の守り方を当時は知らなかったんだ。自己否定することで僕は生きている。社会から否定的な生き方で僕は生きているんだ。そうして僕は自分を肯定することをしなくなっていったんだ。だって当時、社会に誇れるものが自分にはなかったんだもの。
 
引き籠ることで、自己否定することで僕は僕を維持していたんだ。
そうするしかなかったんだ。
 
じゃあ、社会人になってちょっと社会を学んだ僕が、できる対策は何だろうか
考えてみたんだ。どうしたら自分のADHDという特性と向き合いながらも、日本社会に対して向き合って生きていけるのかを…それは告白することだった。
このブログに自分の在るがままの姿をそのまま晒してしまうことだったんだ。
障害者手帳を持っていることも一年間は隠していた。隠していた時期はどうだったか。
自分が社会からしてみたら否定的な存在で在ると思ったからの選択だったんだ。いざ、自分の障がいを公言し瞬間に僕は自由になったように感じたんだ。
 
もちろん離れていく人も居た。
冷たい視線、転職活動における不平等さ。
 
でもね、やっぱり自分の特性や個性は捨てることができないんだよね。
どうしても素で出てしまうんだ。自分を繕うには苦労した経験があった。
 
ならば、公言してしまった方が楽なんだ。
 
「生きやすい」
 
頑張りすぎてしまう人ほど、限界を突破していませんか?
自分のキャパシティをオーバーしてまでも挑み続けていませんでしたか?
寧ろ、何でも引き受けてしまっていませんでしたか(負担がかかることでも)
 
でも「僕はここまでしかできませんですーーーーっ!」
そう公言してしまえば無理難題は押し付けられることはないんだ。
更に自分で、ここまで出来る。それを自己知覚することでね。自分が楽になるんよ。
 
その時に周りと比較してしまったらメッ!よ
だってあなたはあなた自身なんだから、周りと比較する必要性がないでしょう。
人生はレースじゃないんだよね。
 
その人がいかに自分らしさを発揮して濃い人生が送れたかが重要だと僕は思うの。
そうあなたらしさ。あなたらしさとは何ですか?
 
そこには良いことばかりではないでしょう
「障がい」「長所と短所」「癖」
 
でもそれをもってあなたがここに在るんだよね。
自分の守り方はという問いに対して連投してきましたが、答えはこれに限っては一つ
 
先ずは、自己開示しちゃいましょう!!
 
そうしたら楽になるって。それは僕の経験談でもありました。
手帳を隠していた時より、ブログを書いている今の方が僕は明らかに生きやすいです。
 
「仕方ないか、あいつだしなぁ」
そんなキャラを作れた瞬間、価値ですよ。それは自分の。
 
言われて嬉しいことがありました
「たっきーはボケているけれど、そんな一面が可愛く映る」
超絶ポジティブに僕を評価してくれるかけがえのない友人の一言ですが、とても救われました。
 
社会はそう評価してくれない。「かわいい」だなんて
企業の人事が言うわけがないでしょう 笑
 
でもね、近くにいる人が、例えば友人だったり、ご両親だったり
そうした近い関係の人が自分の素の姿を認めてくれていたら、これ以上にない救いじゃないかな。自分で自分を守るんじゃないね。これは周囲の人によって僕は支えられ生きているんだと、価値のある人間なんだなと、ここで初めて自分を肯定できるんだ。
 
その瞬間、あぁ、やっぱり自分には価値があるんだ。肯定感が芽生える
自分でね、味方を作る力が自分を最終的に守ってくれると僕は思うんだ。
 
だから一人ぼっちで戦わないでください。
絶対に、仲間がいるんだから
力になってくれる人は絶対にいるはずなんだから
 
何かに挑戦する時にもこの方法は役立つんじゃないかな?
一人でやるより、味方がいた方がいいでしょう?
どうしたら仲間を作りやすい?やっぱり自己開示から始まるでしょうね。(繰り返しですみません)
 
1+1=2ではないんだよ
2以上になるのが人間関係の不思議なところなんですよ。
 
数学的ではない、機械的でもない、
国語にいくつもの答えが存在する様に
人間って本当に不思議です。仲間ができればそこにはどんどん自信が生まれてくる。
3人揃えば文殊の知恵なんて言葉もありますよね。味方の数以上に心強い支えはないです。
 
最終的に仲間の数が、そして周囲の理解が自分を守ってくれるんだ。
だから、勇気はいるけどさ、自分の弱みや特性について周囲に共有してみたら
あなたの周囲の環境はグルッと変わるんじゃないかな。
 
とても呼吸がしやすくなりました。
僕の体験談に過ぎませんが、どうでしょうか。
 
髙橋直之