giveyourvoice

不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

ブログの在り方(1ヶ月の振り返り)

f:id:giveyourvoice:20191202165535p:plain

感謝です!!(*≧∀≦*)
ブログを始めてちょうど今日で1ヶ月目になります。
ブログの読者様のお支えがあって1ヶ月で3000PVを達成しました。

f:id:giveyourvoice:20191202163357p:plain

一日平均で100名の方がブログに訪問してくださっていることになります。
やっぱり『不登校』というキーワードが集める注目度が高いのかなぁと感じて複雑な心境です。最初は、1日に30人くらいかな?いやもっと少ないかも?そんな風に予想を立てしっぽりと始めていく予定でしたが、あまりにも勢いの良いスタートに身が引き締まります。っとは言ってもユラっと書いているブログなのであまり気負わずに訪れて頂けたら幸いです。今後ともよろしくお願いします。
 
enoki & 髙橋直之(たっきー)
 
 
さて今回のテーマは初心に帰りまして、このブログの在り方について綴ります。
 
不登校を経験してどうかと聴かれたら、社会からは冷めた目で見られる。
でもね、もしも部屋の中でこの記事を読んでくれる人がいるのならば伝えたい
社会から冷たい目で見られても、人間としては深みがあるんだ。絶対につまらない人間だなんて思われない、その経験はいつしか花開く時があるんだよと伝えたい。
 
価値のある人間だよ
 
誰が決めるかは、確かに第三者かもしれない
でも僕はそうした苦労を積み重ねてきたあなたはダイヤモンドのように硬くそして煌く宝石だと思うんだ。だからご自分のブランクを否定的に捉えないでいて欲しいなと思う。
 
社会の目は冷たい、そうかもしれない
親の目、教師の目、そして成績表、全てが他者との差別化を図るために作られたシステムだ。もちろん、それを全て否定するつもりはないんだ。但し、盲点があるんだ。
 
人間として豊かであるかどうかまで、その成績表ではは捉えることができているのだろうか?
 
世間で求められている能力はIQだけではないと僕は思うよ
EQて聞いたことあるかな?感受性や心の豊かさを示す指数も実は国際的に認可されているんだよ。頭がいいから、学校に行っていない、とかそんなのはそこには関係ない。
 
企業の人事にある日こんなことを言われた
「SPIの点数は散々だったけどEQがあまりにも高いから呼んでみたんです」
→褒められているんだか貶されているんだか複雑な心境ww
 
でもちょっとずつ企業も評価する視点を変えてきているんだな、と感じる。
 
あと、過去のブランクも言い回しで武器になるんだ!
 
不登校を経験しましたが僕は今は肯定的に捉えています。過去を振るかえると辛くなることがありますが、辛い人の気持ちが僕には理解できる人間としての深みが増す期間だったと思います失うものと同時に人間として得るものは大きかったです」完
みたいにドヤ顔で人事に言うと軽く引き気味ではあるけど、そこから話が盛り上がるんだ。
 
これを読んでいるあなたが、いかに人間として様々な経験を積んできたか
それによって評価される数値もあるんだなぁ、ていう事を知って欲しいんだ。
 
先にも書いたけれど転職活動を続けていく中で感じることもあって、
もちろん学力試験はある、でもね適性診断というものもあるの
それは人としてどういう思考を持っているのか
この人は傾聴力があるのかなぁ、それとも自己都合的な意識が強いのかなぁ、そんなところまで見られるテストがあるんだよ。実は学力より、そっちが問われることもあるんだよね。確かに一定の学力での足切りにSPIが使われている事実もあるでしょう。
僕はその企業はそこまでだと思うよ。ひどい場所なんてAIに必死に学生の書いた履歴書を読み込ませて評価するんだよ。あのソフト○ンクめ!!鳥の照り焼きにすっぞ!!
失礼、ってくらいそんな採用方針をする企業があるのも事実です。
 
でもね、いくらブランクがあっても、勉強が苦手でも
人として豊かな心を持つことができているならば、評価される時代にもなってきているんだね。社会もそれに気づき始めていると思うんだ。勉強ばかりできても、コミュニケーションに難があれば企業にとっては損失でしょう?
 
だからブランクをネガティブな方向にだけ捉えないで欲しいんだ。
もちろん、その当事者は辛いし、将来が不安になるかもしれないけれど
それでも、あなたの人間としての価値観は下がるとは言い切れないんだよね。
 
無論、当事者には「私の気持ちなんかわかる訳ない」
そう、分かる訳ないんだよ。だってあなたが抱える悩みを完璧に理解できるのはあなた自身以外にはいないんだからさ。僕がいくらこのブログで文字数を重ねてもあなたの心の芯にたどり着く事はできないんだ。
 
ただ、お手伝いはしたいんだ。芯に辿り着けなくても少しでも、共感できることはしたい、辛い体験や幸せな体験をこのブログをプラットフォームにして共有したいな。といつか考えているよ。だからなるべくリアルな事をここに綴っています。
 
それで少しでも、読者の気持ちが楽になるのならば
この場所をあなたの居場所の一つにしてもらってもいいんだよ。
 
僕の高校時代に恥ずかしい思い出を一つ紹介するね
 
生徒会選挙に僕は立候補したんだ。その場で僕は300人を超える生徒を前にして、僕は演説をしたんだけれど、その時のセリフがあんまりにも雰囲気錯誤だったんだなぁぁぁぁ
 
”昼休みに憩の場に僕がいます”そう演説したんだ。
(憩いの場とは生徒が自由に使える共有スペースです)意図としてはお昼休みに一人でお弁当を食べている人や、または居場所がないと感じている人に向けて共有スペースで新たなコミュニティを作りましょう!と言う発想だったのですが…
 
シーーーーーーーン、滑った、さらに
 
反論があった。
「あなたが嫌いな人はその場所に行きたくなるのではないか、共有スペースの意味を無くすのではないか」あまりに真っ当な意見過ぎて僕は答えることが出来なかった。
 
今、僕がブログでしようとしていることはその過去の過ちに近い経験を繰り返ししようとしているのかもしれないね。でもね。インタネットという環境の中では自分のブックマークを自由に選び、そして外すことができる。僕の意見に違和感を覚える人は自然と去っていくと考えている…寂しいけれどね
 
でもね、万人受けしようと僕はしていないんだ、この記事に共感してくれる人がいるのならば、救われる人がいるのならば、その人に向けて必死にブログを綴っていこうと考えているんだよ。中には僕の意見に違和感を持つ人をいて当然だと思う。
 
それはそれで僕は良いと思うの。それこそ、人の個性であり考え方だ。
僕は少しでも同じ目線に立てるように個人情報を可能な範囲で洗いざらいさらけだしてきた。こんなやつがここのブログにはいるのかぁ。くらいにでもこの場所の持つ雰囲気を伝えたかったんだよね。この場所が懐の憩いの場になればと訪問者や読者に感じてもらえたら嬉しいです。
 
「自分から名乗らずして、他の人の意見を求められるとは僕は考えていない」インターネットという広い世界の中で綴られるこの1ページがどれほどの効力を持つかはわからないけれど。でも一人でも救われたり、誰かのためになるのならばと考えて記事を毎日書き続けています。
 
あんまり重く考えないでね。これを書くのに20分くらいしか時間をかけてないから
おいっ髙橋!適当に書きやがって!って怒らないで、直向きに自分の思いをそのまま並べて書いていると思いが言葉になり、それがこのブログの1ページになっているんだ。 
 
許してくださいね。
でも、直向きな姿勢はこれからもずっと大切にして書いていくよ。
今後ともよろしくお願いします。
 
髙橋直之