giveyourvoice

不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

言葉のちから①

f:id:giveyourvoice:20191204011907j:plain

言葉にすることで傷つき傷つけ合うこともあるんだよね
小さい頃、僕は思ったことをそのまま口にしてしまっていた。
それが原因で周囲からの信頼を失くし、孤立していったんだ。
 
言葉の力を知ったのは高校生になってからだった。
それまで言葉がいかに力のあるものであるか理解でずに無責任に発していた。
気づくのがあんまりにも遅すぎるよね。
 
その後も大学生までもかな、咄嗟に発言してしまったり
SNSで投稿してしまったりして相手に不快な思いをさせてしまったことがあった。
 
でも、それに遅かれ早かれ気付かせてくれた人には感謝している。
 
気づくまでは分からなかったんだ、言い訳だけどね…
なんで、自分が仲間外れにされてしまうのか、いじめられてしまうのか
でも、その頃の素の自分はそうだったんだよね。気付いていなくて知らぬ間に人を傷つけていたし、それが故に孤立していったんだ。
 
当時を振り返るととても嘆かわしい
なんで気づけなかったんだろうと
もしかしたら小学生や中学生で友達が作れていたかもしてないのに僕は孤立の一途を辿っていたんだ。その原因を作っていたのは紛れもない自分だった。
 
でもね、そこで皆、僕と同じように考えないで欲しいの
これは僕の一例であって、いじめの原因は様々なんだ。色々な人からいじめに遭った体験談を聴いたけれど様々だった。飛び切り成績が良くて周りから疎まれていたり、恋愛関係を拗らせて居場所を失くした人も中には居た。自分が原因ではなく、周囲からの圧力による原因だってあるんだよね。とても理不尽な原因だと僕は思う。
 
でも、共通していることは言葉の暴力なんだ。
中には無視と言った非言語的な要素も含まれているかもしれないけれど発端はコミュケーション、周囲との関係性にあると思うんだ。
 
そう思うと言葉の力て、とても脅威的だと思う
ブログに綴る一つ一つの言葉にも僕は注意している。
 
言葉によって人への印象を変えてしまうし、それが総合的なその人の評価に繋がりかねないんだ。だからって恐れることはないんだ。心が叫びたがっている言葉があるのならばそのまま口に出してしまっていいと思うの。抱え込めば抱え込むほど辛くなる。
特に負の感情は共有できる仲間や家族がいるのならば、していくべきだと思うんだ。受け取る側にも体力や容量はあるけれど、それでもあなたのことを受け止めてくれる人が近くにいるのならばとても心強い味方だ。
 
言葉が発せられる前に、あなたの心があるんだ
心がどんな状況なのか、助けて欲しいのか、何かを訴えたいのか、心の在り方が言葉に載せて相手に直接伝わるんだよね。
 
日本語は難しいよ。様々な言い回しがあるんだ。
更には非言語的なコミュケーションもあるんだ、相手に自分が意図しない内容であっても誤って伝わってしまうこともあるんだよね。でもその非言語的なコミュケーションもあなたの心のあり様によって行動として現れているんだよ。つまり言葉より嘘をつかないのが行動であり非言語的コミュケーションであると思うんだ。
 
ここで伝えたいことは言葉になる前に、心の在り方が正直に行動に出てしまうということ。時にありませんか?行動と言葉が一致していないこと…
それはあなた自身が正直に慣れていない証拠であるか、作り話をしている結果なんだ。
 
心の有り様なんてコントロールが難しい
そもそも皆んなが自己中心的な考え方で生きていると根底では思っている。
もちろんそうではない献身的な人もいるよ。でもどうしても自己中心的な考え方が中心になりがちなんだ。僕はそうだった。相手を慮ることを僕は高校生で知ったんだ。
でも献身じゃぁいけない、自分を省みてないからだ。
 
気がついた、きっかけとは?
やっぱり親友と言える友だちができたことかな。
彼女だって出来た、仲間が増えていく中でやっぱり始めて自分より守りたいと思う瞬間が僕の心の在り方を変えていったんだ。自然と行動も変わるし、言葉も選ぶ必要がある。
とても濃い人間関係を築けた高校時代は僕の心を豊かにしてくれたと感謝している。
失恋だったり、達成感だったり、経験を重ねていくに連れて言葉を選ぶ様になって行ったんだ。自己中心的に考えていた感情が恋愛、友情、人間関係を築いていく中で学んでいったんだ。
 
そして結果的に、言葉にしなくても通じ合う恋人、友人が生まれた。
言葉の力が、感情を超える瞬間があると学んだんだ。
僕は幸せだ、初めて感じた感覚だった。
 
人間はさ、1人で生きていけないんだと感じたんだ。
中学生のスレていた自分からしてみたら大きな成長だった。
人との繋がりを大切に感じるきっかけをくれたのだからさ。
 
ただし、その関係の儚さも同時に学んだんだよ
言葉の一言で長い時間かけてきた関係性をぶち壊してしまう。
言葉の威力は半端ないと感じた。言葉を選んで最善の力を振り絞ったつもりでも
伝わりきらない言葉の弱さも感じだ。行動が伴っていなかったのだろう。
 
つまりね、言葉には力があると同時に無力な時もあるんだ。
じゃあどこに力があるのか「心」だよ
こればかりは僕も社会人になった今でも鍛え続けるしかないと感じている。
心が伴っていなければ言葉は無力なこともあるんだよね。
 
だから、とても難しい「言葉」時として凶器になるし、助けの力にもなる。
僕は未だに研究しているよ。ただ、陰口や悪口に振り回されていては疲れてしまうんだ。
本当の「心」のこもった言葉や周囲の行動に耳を傾けるべきであると思うんだ。必要な情報だけに耳を澄ませて、そしてその情報に対して直向きに答える姿勢が言葉の在り方だと思うんだ。それが自分を守る術でもあるし、相手も慮る姿勢に繋がる。
 
こればかりは経験でしか積むことができない難しさを感じるんだ。
でも常に意識をする姿勢を忘れないことが、その時、その自分に、精一杯できる対応なんだと思うかな。過去の過ちは過ちとして受け入れて、崩れてしまった関係も修復するには時間が必要ではあるけれど、やってしまったことは仕方がない、開き直る訳ではないけれど、また一から積み立てていくことも大人になるにつれてできていくと思うんだ。
 
相手を許すこと、受け入れること、同時に自分の過ちを繰り返さないこと。
表面化しやすいものが「言葉」であると最近は感じます。皆さんはどう考えますか?
 
===================================
2019年12月4日 追記
 
さて、知人にこのブログを読んで2013年に同じタイトルで曲が出てるよーっ!!
と教えてもらったので更新します。これは聴いてマジで鳥肌です。
月初ですがパケットに余裕のある方ぜひ!!
これ!!これを伝えたかった!!歌の力も本当に凄いです。RAYさん感激!!!
 
髙橋直之