giveyourvoice

不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

個性とオリジナリティ

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あなたらしさとは何ですか?
自分の考えていることと行動が一致していないことはありませんか?
本当は伝えたい気持ちがあるのにうまく言葉にできないことはありませんか?
 
自分の置かれている立場だったり、環境、人間関係、職場関係
様々な要因がそんなことを引き起こしているのではないかなと思うんだ。
 
自分の思い通りに事が進んでいくことってなかなかないよね
やりたい事があってもやりたい事ができない人もいる。
 
でも、心の芯は人間変わらないと思うんだよね。
最近、5年ぶりに再開した友人が居たんだ。社会人になって立派に働いていた。
でも発言する言動や心情に変化はあった様に感じたけれども、やはり芯は変わっていない様に思えた「変わっていないなぁ」「お前もな」そんな会話をした。
 
人間の芯はなかなか変わる事がないと思うんだよね
親から受け継いだDNAなのか、育ってきた環境なのか、人間形成には様々な要因があると思うんだ。それを僕はその人のオリジナリティであると思っている。良い面も悪い面もね。
 
でもそんなオリジナリティが社会に出ると見えにくくなってくるんだ。
本の学校教育の現場でもそうだ。
 
先日、国語の論述問題に対して大学入試センター試験での出題を控える様に嘆願書が学生らによって文部科学省に提出されたニュースを目にした。確かに国語の論述問題は人により様々な捉え方があっていいと思うんだ。そこに点数をつけるのは難しい。公平性に欠けないだろうかと考える学生らの意見はもっともだと僕も感じた。
 
オリジナリティを出しきれずにいると様々な葛藤を抱えて生きていくことになる
日本の社会は様々な仕組みや歯車で構成されている様に思える。そして学校教育は子どもの持つオリジナリティの形を、パズルのピースの様に社会に適応する様に変形させていく仕組みになっていないかと不安に感じる事がある。
 
僕だって、転職活動を続ける中で自分のオリジナリティを捨ててしまっている瞬間がある。でもそれじゃあいけない気が最近してきたんだ。このブログにも直向きに綴っているように自分にもっと正直にならないといけないなと最近は考えるようになってきたんだ。
そうじゃないと僕はまた同じ過ちを繰り返すことになる。仕事が続かないかもしれないし、その社風に適していない人間であるかもしれないんだ。
 
僕はこの記事では個性という言葉を使わない
それは個性とオリジナリティは似たようではあるけれど別物であると考えている。
 
個性はその人の素の生まれながらにしてもつもの
オリジナリティはその人が育ってきた環境や教育などによって形成されたもの
 
辞書にはどう書いてあるかな、ここでは説明は割愛します。
みんなも調べてみてねっ!雑か(笑
 
僕はそう思うんだよ。辞書に乗っている言葉だって全てが正しいとは限らない
人によっては捉え方が違う事があるんだ。国語の論述問題みたいにね。辞書も社会の基礎的歯車の一つであると思うから。もちろんボキャブラリを増やすためには大事だし、存在は否定しないよ。でも自分なりの辞書を作っても良いと思うんだ、それがその人のオリジナリティであり、取扱説明書?みたいになるのかな。
 
僕がここで伝えたいのは
自分の考え方やオリジナリティを大事にしてあげて欲しいんだ。
それが社会に適合しなくても、そういう自分のオリジナリティがあることを自分で認めてあげる事が大切だと思うの。そのオリジナリティがどんな場所で活かされるかどうかは分からないけれど、分からないなりに「自分はこうです」て発信していくことで自分が無理しなくていい「飾らない自分」でいられる場所に巡り逢える、又は作り出すことができるんじゃないかな。
 
多様性が少しずつでも受け入れられ始めている昨今であるからこそ
それを試してみる価値ってあると思うんだよね。
 
だから僕もこうしてブログに直向きに自分の思いを綴っているんだよ。
ここに綴られている言葉は何も飾らないありのままの自分の考え方です。ちょっと恥ずかしいですが、不登校やいじめを経験してきた僕でも社会の役に立つ事ができないかなと始めてみようと思ったんだよね。
 
ブログを始めてまだ1ヶ月ですが150人を超える購読者に支えられています。
試してみる価値があったのかもしれない、ですね。
 
読んでいただきありがとうございます。
 
髙橋直之