giveyourvoice

不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

いつ決めるの?

f:id:giveyourvoice:20191207141953j:plain

暖かい目で見守ること(こんな感じ?)『2006のび太の恐竜』より
高校生の頃、実際に不登校体験談を話すパネラーとして参加させていただく機会がありました。その際、講師の先生が先ず衝撃の発表をして参加者である、不登校児を抱える親御さんをどよめかせました。
 
「翌日、学校へ行くか行かないかは前日の夜には本人がジャッジしている」
 
つまり、明日学校へ行きたくないなぁ
そう感じてしまっているとしたら前日の夜から、身体は医学的な面からも行きたくないという状態を発信し身体に症状を出してしまうそうなのです。
 
確かにそうだな
 
明日、学校へ行きたくない、そう思った僕は
・夜に眠れない
→眠れないから本を読む
→本を読んで朝を迎えると朝に睡魔が襲ってくる
→学校へ登校できるコンディションではなくなる
=学校へ行かない
 
という繰り返しだった。
学校へ行きたくないという気持ちが募れば募るほど僕は夜に眠れなくなっていった。
社会人になってもそれは変わらなかった。仕事へ行きたくないなぁと感じれば感じるほど睡眠不足になっていたんだよね。身体がいう事が効く時は行っていたよ。でもある日身体が言う事を効かなくなったんだ。
 
「朝に起き上がる事ができない」
 
社会人になりバリバリに働いていたある日突然、身体の自由が効かなくなることがあったんだ。つまりさ大人も子どもも仕組みは一緒なんだよね。
 
中学生の時、翌朝が来るのが毎日怖かったんだ
「また学校へ行かなきゃ」「そう言われる」「学校は怖い」「いじめられる」
そんなことを毎晩考えていたら、眠れなくなるのも当然であるよね。身体の自由も利かなくなるし幻覚を見たことだってあった。毎日追い詰められていくような気持ちだったんだなぁ。振り返ると思い出す。
 
そんな地獄のような日々から環境が変わった出来事が2つありました。
これもそのシンポジウムで話した内容と一緒です。
 
一つ目は親が「学校へ行かなくていいよ」と言ってくれたんだ。
その代わりに土日に先生と学校の図書室で一対一で、補修授業を行うという条件だった。
「明日、学校へ行かなければいけない」という毎日感じていた恐怖から脱することができたことで幻覚を見る回数も少なくなった。そして睡眠も取れるようになったのがそれからだった。後日、親から聞いたことだが学校の先生と親で相談して話し合う機会があったそうだ。とても優しい先生で、土日まで出勤させてしまったことに私は今でも頭が上がらない。
ただクラスという集団の中で勉強をしなくて済む、いじめられなくて済む
そうした気持ちが私をとても楽にしてくれたんだ。生活リズムも自然と夜型から昼型に変化していったのもその頃だったと思う。
 
2つ目の変化は我が家に犬がやって来たことだった
ペットセラピーという言葉があるように愛犬を可愛がることで僕の緊張して凝り固まった心を癒してくれたんだ。もう一つの効果は家族との会話が増えたことです。こっちの方が効果としてはデカいかな!!だって親と会話することなんて一切なかった。話せば学校へ行けと言われるから、僕はずっと部屋にこもり本を読んでいた。
でも犬の世話係は僕だったからご飯の時間に必ずリビングに降りご飯を一緒に食べるようになった。学校の話じゃなくて犬の話題に盛り上がる。自分が世話をするという役割を与えられたことで小さな生きがいにもなったんだ。
 
「明日、学校へ行くか?」
聞かれても僕は答えることはできなかったが、黙っているだけでも「無理するな」と、声をかけてくれた瞬間、僕は少し気持ちが楽になっていった。
 
気持ちに余裕ができることによって僕は将来を考えられるようになっていったんだ。
不安ではあったけれど、ちょっとずつでも将来を考えるようなっていった。
 
やっぱり、気持ちに余裕を作ってあげる環境が大事だと思うんだ。
明日のことすら、目の前の問題「学校へ行くか行かないか」さえ迷い苦しんだ日々と
少し気持ちに有余を持たせてもらえることで将来のことも考えられるようになる、これは引きこもり時代の自分の大きな変化でもあり、進歩であったと思うんだよね。
 
中学3年生になった頃、進学を意識し始めた
その後、通信制の高校へ僕は進学する運びになったが、それまでにも勉強しようという意欲が生まれたんだ。やっぱり、勉強しなければ進学できないという現実に気持ちの余裕が生まれることによって現実と向き合うことができたんだ。
 
あまりにもさ、社会(周囲)と自分が乖離してしまっていたら
僕はただただ逃げることしかできなかった、現実逃避、自己放任(セルフネグレクト)そうした方向にしか僕は進まなかったんだ。学校を遠ざけることによって自分を守っていた時期があったんだ。周囲(家族や教師)から急かされれば急かされるほど僕は閉じこもる一方だったんだ。今振り返ってもその当時はそうだったな、それでしか自分の守り方を知らなかったんだ。そう思う。
 
誰かが悪いわけじゃない
自分、親、教師、友だち?誰にも責任はない。ただどうしても悪循環な環境であったことは確かだった。僕を助けようとすればするほど、僕は現実から逃げていたんだ、逃げることで自分を守っていたんだよね。
 
だから、もしも同じような不登校、引きこもり、そうした環境にある人がこのブログを読んでいたら自分の心に有余を持たせて欲しい。教師や親、友だちなら、静かに見守っていて欲しいと願うんだ。現実を叩きつけることは誰だってできる!!
現実は現実だ。社会なんて生優しくない!それは本人が一番わかっていることなんだ。
 
でも、
「明日は学校へいけるのか?」
「進学はどうするんだ?」
 
詰め掛けられれば詰め掛けられるほど、本人は本当に決めなければならない将来の選択すらできなくなってしまうんだ。確かに歯痒いな、歯痒いんだよ。親も教師も友だちも、そうした状況下にいる人が近親者であればあるほど言いたくなるんだよね。その歯痒さも分からなくはないんだ。逆の立場を経験したことがあるから。
 
でも何度も繰り返すようだけど、決断するのは本人なんだ。
 
「いつ決めるの?」
 
『今じゃないんですよ!!』(やるならやれよww)
 
でも真面目に
本人のタイミングです。
 
 
今じゃない!それは断言したい。詰めれば詰めるほど目の前の問題で本人は頭を抱え悩みそして症状は悪化する一途を辿るでしょう。これは断言します。
 
だから、ゆっくりと、急かさずに、少しずつ本人の心に余裕を持たせてあげて下さい。
それが、本人が一番、将来も含めて決断しなければいけない大事な一面を決断できるようになる最適な環境であると僕は思うんです。
 
僕はそうしてもらってから楽になりました。
 
親にも先生にも友人にも僕は苦労をかけました。
でもやっぱり、最後は自分自身なんですよね。
 
僕自身が、私自身がどうしたいか、考える余裕を与えてあげてください。
僕の場合は親からの問い詰めがなくなったことと、愛犬の存在でした。アプローチをかけることは良いと思うんだけど、答えを求めすぎない程度に寄り添ってみてください。
 
僕の経験談から生まれた方法ですが、
どこまで効果があるか分からないけれどね。
でも僕は今、そうした周囲の支えがあって今もこうして発信の活動を続けられていることは当時の先生や親、友人に対する贖罪みたいなものだったり、また同じ思いを繰り返す人を生み出したくないという気持ちが筆を進ませているのだろうと僕は思います。
 
とても、見守る周囲の人、特に親や友人はとても歯痒い思いをすると思いますし、悩ましい気持ちもあるかと思います。僕も逆の立場を経験したので逆の立場の気持ちもわからなくはないんです。そんな時は、「気にかけているよ」というアプローチをかけてみるのはどうでしょうか。僕の場合は友だちに「大丈夫?」とか「焦らないでね」とかそうした短いメッセージをちょこちょこ送るようにしていました。そんな感じで、暖かい目で本人を見守っていてあげてください。
 
時間はかかるかもしれないけれど、その時間が本人が前に進むためには必要な時間となるのかもしれません。僕は2年かかりました。でも無事に高校へ進学できました。
 
今でもその当時見守ってくださった先生や、両親、友だちには感謝しています。
 
髙橋直之