giveyourvoice

不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

文章に温もりを

f:id:giveyourvoice:20191208002454p:plain

文字にもそれぞれ意味がある。伝えるちから

僕の文章て稚拙なところがあると思うんだよね。

そもそも、レポートでこんな書き方をしていたら評価どころか落第だと思う。

文章には書き方があるんだと思うんだよね。

 

例えば12月ね、例に挙げてみる事項の挨拶

 

寒さに向かう季節、風邪などお召しになりませぬように

向寒の折柄、ご健康にはくれぐれもお気をつけください

忙しい年末を前に、お体に気をつけてお過ごしください伝伝

 
必ず文頭には挨拶があって、健康を気遣う文章や季節に応じた慮る言葉が並び連ねられている。「なんちゃなんちゃらの候お慶び申し上げます」みたいな
 
でもさ
…本当にそう思って書いているの?
 
転職活動は現在のところ失敗続き、企業からの不採用連絡に記されいる氷のような文章。落ちたことを憂いている訳ではない。定型文に読む気が失せるのだよ最近。
 
「今後のご活躍をご期待申し上げます。」…本当にそう思っていますか?
ふ〜んここまでは明らかに私情が入っているので認め直します。
 
さて!!そろそろ年賀状のシーズンですね。
実は僕、3年前から書くことを辞めてしまったんです…悪い子でしょう
人との繋がりは大事とか過去に書いておきながら「お前さんはどうなんだい?」
て突っ込まれて当然です。はい反省しています。
 
英文でも、こうした事項の挨拶に似たようなものがあるように
これは世界共通なのかもしれないと思う。
 
普段、なんとなく交わされる言葉ですが、例えばこれ
ちょっと違和感に感じるのは「お疲れ様です」
 
バイトに入る時、シフトに入る時、先輩への挨拶でなんとなく使っていませんか。
もちろん挨拶をする事は良い事だと僕は思うんだよね。
 
でも、なんとなく使われてしまうのはどうなのかい?
て疑問を抱かずには居られなかったんだよね。『言葉のちから』と言うものを過去の記事に書かせて頂きました。更に言うと『つながり』と言う記事でも言葉による誤解が生じたり、相手を傷つけて関係を崩壊させてしまったエピゾードを話させて頂きました。
 
そうしたことから記事の中で伝えかけてきたことから
やっぱり、なんとなく使うのなら、使わない方が僕はいいんじゃないかな?
と思うの。とても極端な考え方である事は理解しています。
 
だって、転職活動で落選してしまった企業から送られてくるお祈りメール
祈られている感じが全然しませんからぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!
寧ろ墓前で祈られている感じに聞こえてきます(僕だけ?
 
もちろん企業としても機会的に、形式上で送らなけれなならない事は僕も承知しています。でも友だち関係でさ、型式ばった挨拶はいらないでしょう?
いる!て人もいるかもしれないけれど僕はそこまで重きを置いていないんだ。
 
寧ろ、心がこもっているか、いないかを感じる事で僕は判断しているの
 
年賀状や暑中見舞い未だに実は書いている相手が実は少数はおります。
それは過去からの繋がりを断ちたくないからです。
 
でも、そこでは機会的な文章はなるべく避けるようにしています。
謹賀新年←そもそも意味までを深く理解してここに使っている人は居ますか?
居たらごめんなさい。僕は理解せずに使っていました。
 
習慣としては大事だよね。
でもルーチンになっちゃいけないと思うの。
 
僕の知人に毎回会う度に手紙をくれる人が居るんだ。毎回だよ!!
そこには定型分とかそんなものはなく、直向きに僕のことを気遣う文章から温もりを感じずにはいられないんだよね。文字だけでは冷たいと思うの。温度感がないというか。説明は難しいけれど。
 
でもね、最初に書いたけれど僕の文章はとても稚拙です。
でも読んでくれる人が160人います。それは何故でしょう?この文章を読んでくれている人が宇宙のように広い心を持っているか、ビッグバンでも起きて更に広い宇宙のような心を持つ人が読んでくれているのか……切りがない
でも、それだけじゃないと思うの、僕も頑張っているんだ、無職だけれど。
 
読者に対して少しでも熱量が伝わるように直向きな姿勢でこのブログを書いているんだ。生中継みたいな。できるならば右端にLIVEて書き足したいくらいの心境で。
 
一筆入魂なんだよね。そこまで聴くと重く感じられたらごめんなさい。
でも重くないです。とてもふわふわ書いているつもりです。(それもどうかと…)
 
それは何故か、相手に伝えたいことを、
伝わるように創意工夫して綴っているからです。
 
皆さんどうですか?
 
  • 寒さに向かう季節、風邪などお召しになりませぬように
  • 向寒の折柄、ご健康にはくれぐれもお気をつけください
  • 忙しい年末を前に、お体に気をつけてお過ごしください伝伝
 
ここから始まるブログの文章を読みたいと思われますか?
もちろん時と場合に応じた文章の作成が社会人では求められます。そして僕はそれを理解した上で心の中では嘆きながらも冷たい非採用の通知を読んでいます。
 
でも、本当に芯から何かを発信しようとする時に定型的な言葉は必要でしょうか
はい、必要でしょう。でもその先に心がこもっているかどうかが、より人と人とを結びつける豊かにするヒントになるのではないでしょうか。
 
不採用通知…うん、やむを得ないよね形式的な対応だもん
でも日々の生活の中で同じようになんとなぁ〜く「お疲れさまっしたぁぁぁ」みたいな対応はやはり良くないよね。それがその部活または企業の伝統なら仕方ないけれど、言葉というツールを僕ら人間は操る事ができるんだ。それを適当に流してしまってはもったいないよね。言葉には力があるんだよ。
 
僕がここで伝えたいのは、これから始まる年賀状のシーズンで少しでも温度感のある文章をオリジナリティから創出して欲しいの。確かに時間がかかるかもしれない、でも、日本人の伝統として年賀状は年に一度の大切な挨拶になるんだ。
そこで「お疲れっしたぁぁぁ」みたいな文章じゃもったいないよね。税金が上がって今や1通に対して63円だよ!もったいなくないですか!!(問題はお金じゃないです)
 
せっかく一年に一度のコミュニケーションです。
ちょっとオリジナリティを時間がかかってでもいいから出してみませんか。
きっと受取手はあなたの年賀はがきを見るでしょう。そして内容によっては驚くかもしれないし連絡をくれるかもしれないです。日本の伝統として最高の習慣だと僕は思います。あまり難しく考えなくて大丈夫です。『繋がり』思いのままを直向きに文章にしてみてはいかがでしょうか。きっと受け取った相手は幸せな感情になるでしょう。
 
今週末、実は父の三回忌であり祖父の七回忌です。そこでの挨拶も決めています。
時候の挨拶は必要とされるでしょう。でも父の思い出や祖父との思い出を添えることで参列してくださる親族に、「来て良かった」と少しでも感じてもらいたいんだよね。
形式的な挨拶では心を掴めない、だからといってバランスは大事だけれど温度感は持たせたいの日本語って表現が豊かな言語でしょう、だって感じ一文字にも意味があるのだからこれだけ意味力のある言語は少ないと思うんだよね。活用せずにいてはもったいないでしょう。
 
「誰に」「何のために」「何を伝えるのか」
意識して文章や言葉にしてみることで受取手への印象は少し変わってくるんじゃないかな。だって人と人とを結ぶツールだもんね。
 
コミュニケーションの原点もそこに通づるところがあるのではないでしょうか。
 
髙橋直之