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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

便利さの中に

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世の中は便利になるけれど…
最近ね、おばぁちゃんが僕に戦争していた時代の話をしてくれるんだ。
戦後の闇市で米や芋を買って、なんとか10人以上いる兄弟を支え合って生き抜いてきた。
もちろん、闇市で売られているものは非正規にやりとりさえれているもので、その頃の警察は厳しく取り締まっていたそうだ。でも生きるためには闇市に手を出さずにはいられなかったそうだ。
 
明日食べる食料がない。そんな不安を私たちは抱えたことはあるだろうか。
 
現代社会が、いかに恵まれているか、とても話を聴いていて思い知らされる。
私たちは近所のスーパーやコンビニへ行けば食料は手に入るよね。
でも、昨今では台風18号の影響などで、事前から台風に備えるためにとコンビニから保存食品が空っぽになった光景を目にしたことがあった。不便さを感じた時、人間はどうするか?
 
助け合うんですね。
 
見ず知らずの人が僕に声をかけてきたの
「ここら辺のコンビニは全滅だからもっと大きなスーパーに行った方がいい」
「新しいコンビニが近くにオープンしていたからそこへ行ってみたら?」
 
食糧難に茫然と立ちすくむ僕に、何故かたくさんの声をかけてくれたの
中には名乗らずして食料を分けてくださる人すらいた。
感謝のしようもないが、今となっては。でもそうした人間同士の触れ合いがあった。
 
そう、困難な状況を共有すると人と人は助け合えるんだ。
僕はそう感じた。祖母が過去に体験した戦後の食糧難の時のように、
「まだ、捨てたもんじゃないな、この国は」だなんて口ずさみたくなった。
 
私たちは便利さの中で失ってしまったものがあるのではないだろうか
ある友だちとの会話で出てきた言葉だった。
 
その友だちは世界を旅行して、貧困や、言葉が通じない等
そうした体験を繰り返しながらも、人間関係を異国の人とも築いていた。
困難な経験を重ねて帰ってきた彼女は、一段逞しくなったように僕の目には映った。
 
それはやっぱり、彼女自身が強くなったこともあるのだろうけれど
人と人が共同するという、ツールを手に入れたからではないかなと僕は思う。
 
人は一人では生きていけないんだ。
じゃあどうしたら強くなれるの?仲間を作ること
助けを求める勇気、発信していく力、そうやって人間関係を広げていくことで
自分の生きやすいフィールドを広げていくことができるんだ。
 
困難な状況に陥った時
世間では都市直下型地震が30年以内に70%という数値が出されていることから
いつや訪れるか分からない未曾有の災害。そんな時に生き延びる術はやはり仲間をいかに作れるかだと思うの。自分が困難な状況に陥った時に遠慮なく”HELP”そのサインを発することが、できるかできないかで大きく変わってくると思うんだ。
 
人間て素敵ですよ
助け合うという本能を持っているんだ。
自分さえ良ければいい。もちろん自分の身の安全が守れてから他者への助けの手が差し伸べられるのでしょう。自分本意でいいと思います。でも捨てたもんじゃない。
助けてのサインを出している人の元には必ず助けが来るということ。うん?「それは甘い考えじゃないかって?」確かに甘い考えかもねぇ。
 
でもさ、人を信じずにしてあなたは信頼されますか?
怖がりながら人と接していて、信頼関係を築けますか?やはり僕はさ、未曾有の事態に陥っても人と人は助け合える可能性を秘めていることを忘れてはいけないと思うんだ。
 
確かに受け身ではいけないと思う。自分から助けなりなんなり発信する必要があると思う。見逃さないから、あなたのサインを。
まずは自分の周囲の友人、知人、そして輪が広がっていくんだ。もしも僕の友だちが「助けて」のサインを出していたら可能な範囲で対応したい。
もちろんね。面接中や授業中に「話を聴いて欲しい」と言われても対応しきれないことは現実問題あるんだけどね。でも筆談とか、できる策はこうじようと思うよ(おいっ!!)って感じだけれど、やっぱり友だちは僕にとってかけがいのない存在だもん。限界はあるけれどね。
 
でもそれが僕の性であり、人間の性なんだよ。
 
目の前で人が倒れているのに、素通りする人なんていないでしょう?
「AーーーーEーーーーーーD!!!!!」
ってプルプルしながらもなんとか倒れている人を助けようとすると思うの。
 
いやね、捨てたもんじゃないよ世の中。
だから自分が辛いと感じる時は助けを求めてみようよ。
未曾有の災害では対応が分かれるけれど
 
例えば、悩み事とかもそう
相手に伝えることでさ、自分の状況が変わるかもしれないんだって
祖母の戦争の話を聴いてもそうだけどさ、状況は違えど助けを求める大事さはあるはずなんだ。依存の関係までいってしまってはまた別だと思うんだけれどね。
 
僕が不登校だった時を振り返ると、やっぱり自分の殻に籠もっちゃったんだよね
助けを求める前に自分の空間(バリアー)のようなものを張っていたように思える。
それが故に悪化してしまった経緯があるんだと思う。祖母の時代なら、まず部屋に引き籠ることなんてできなかっただろうね(いやいや状況が違いすぎるでしょ)
 
でも、話を聴けば聴くほど反省したくなるんだ
助けを求めればもっと自分の環境は変わったのかもしれないと考える。
思い返しても仕方のないことなのだけれどね、でもそう思うということはいかに周囲に助けを求めることが大事であるか僕は戒めのように今は心に言い聞かせているし実行する。
 
だから、同じことは繰り返さない。
自分がピンチだと思ったら、いやそう思う前に早めにサインを発するんだ。
 
先ずは友だちでもいい、家族でもいいんだよ
突き放すことなんてきっとしないから、それがあなた自身が作り上げてきた関係性だと思うよ。最終的に自分自身を守れるのは自分しかいないけれど、そのアシストをしてくれるのが周囲の仲間なの!
 
便利になった現代だからこそ、失ったものがある。
人間関係の希薄さではないだろうか、スマホで繋がる、文字を送信すれば事足りる
でも、そうじゃないんだよなぁ、電話でしか感じれない相手の心持ちだったり、不思議と通じ合う何かがあるんだよね。SNSは確かに便利だよ。でも手紙や電話にはない温度感ってないかな?便利さが故に埋没してしまっているように感じるんだ。
 
それこそ戦争の時代に仮にスマホがあったとしましょう
 
「空襲なう」
 
呟いても誰も助けてくれませんからぁぁぁぁ!!
ってか呟いている暇もないでしょう。呟く前に逃げてください!
 
もちろん時代によってコミュニケーションの在り方は変化してきています。
その時、その時代に応じてコミュケーションの手段は変化しています。
 
さて、長くなりましたが、ここで伝えたいことはね
コミュニケーションの手段は変わっても、私たちは言葉を使っている
そして行動によって相手を常に思いやる心を私たちは持っている
 
それはいつの時代も変わらない根源だと思うの。
だから忘れないでね。便利さの中で希薄に感じがちな現代のコミュニケーションも伝え方、発信の仕方一つでね、助けになってくれたりするから。
僕はブログというツールを使って現在も発信しています。なるべく語りかけるように、尋ねかけるように、そうすると不思議と縁は広がっていくんだなと、ブログを初めて1ヶ月ですが感じています。自分から発信していかないと、やっぱりダメなんだね。
受け身の姿勢を否定する訳じゃないよ、受容する立場の人にも役割があって感性がある。
アンテナを張ってこのブログを読んでくださっている。それだけでも僕は感謝したい。
 
だから、発信しましょう。
時代は便利になりました。そのツールを活かさずして次世代の私たちのコミュニケーションの在り方はどうなっていくのか?気薄になっていくのか?濃いものになっていくのか?
 
「昭和は良かったなぁ」
なんて言わせないようにしていきましょうよ
 
「令和だって捨てたもんじゃないですよ!」て
先人に胸を張って伝えられるようにね。
 
髙橋直之