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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

親の気持ち、子どもの気持ち①

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親子のすれ違い、ありませんか?
先日、母と話し合う機会がありました。
僕の父は三年前に他界しており今こういう話ができるのは母だけなんだ。
 
中学生の時に不登校だった自分をどのような気持ちで見守っていたかと、切り込んだ質問をしてみました。今までこんな質問をしたことがなかったから母は動揺していたけれど正直にこう答えてくれた
「どうしていいか分からなかった」
 
その通りだよね、当時を振り返ると本当に親にも先生にも迷惑をかけたなと思う。
情けない気持ちにもなるけれど、どうしてもいじめの事実を話せずに部屋に篭った自分がいたんだ。その当時はそれ以外に対応が思い浮かばなかった。
そうして自分を守ることしかできなかったんだ。
 
ここでね考えることがあったんだけれど。
いじめに遭った本人だけじゃなくて家族にも大きな影響があるだよね、てこと。
当時、僕の両親は相当なストレスだったと思うんだ。だって何故息子が部屋に閉じこもっているのか理解できなかっただろうし、何とかして将来のためにも学校へ行かせたかったと思うんだ。
 
毎日のように、親同士が僕への対応について喧嘩する声が聞こえてきた時期があった。
親だって、家族だって、二次被害者ではあるんだと思うんだ。と同時に僕自身も加害者になっていたのかもしれない。親を困らせていた当事者が僕だったのだから。
いじめを受けているとどうしても被害者意識が強くなるけれど、もちろんね、当時の僕にそれを迫るのは酷な話だけれど、実は僕も親や先生を困らせていたんだ。
 
でも、それに気づくにはあまりにも遅かったんだ。
一番最初に気がついたのは高校生になって学校に通い始めてからだった。
毎日、登校する姿を見て僕の両親は安心した目で僕を見送っていた。ある日、不登校について考えるシンポジウムにパネラーとして参加したんだ。その時は自分が過去に不登校になった経緯についてパネラーとして事実を紹介した。
そこに訪れる不登校児を抱える保護者の目が、僕らパネラーを刺すかの如くに必死さと焦燥感、様々な感情を持って訪れている人がいたんだ。中には話を聴きながら涙する保護者も居た。
 
「どうしたら毎日学校に通えるようになりましたか、きっかけは何ですか?」
必死な質問だった。不登校児を抱える親も必死なんだ。そしてその時に僕は回答が詰まったんだ。不登校だった当時の自分を抱える両親の心境を、状態を目の前にした自分に初めて罪悪感が襲ってきたんだ。
 
その質問に答える資格が僕にはないのではないか
どんだけ親を苦しめてきたのか、僕はいじめに対する被害者意識にだけ囚われていたんだ。閉じこもることで自分の置かれた環境や理不尽さから逃げていた。と同時に僕は親に対して迷惑をかけていたんだと気がついたんだ。
 
シンポジウムに訪れる、不登校児を抱える親を目の前にして僕はパネラーをしながら遅すぎた気づきと罪悪感に苛まれていたんだ。何とも言い難い言葉に言い表せない気持ちだった。
 
親は学校へ何とか行かせたい(子どもの将来を考えて)
子どもの理由は人それぞれだが引きこもることで社会にサインを出している
 
親と子の間で意思疎通が図れていないケースがシンポジウムでは浮き彫りになっていた。意思疎通なんてとれるものかな?だって僕は不登校当時は親さえ敵だと感じていたんだ。行きたくもない学校に毎日行くように問いかけてくる、それが怖かった。
 
でも親は僕のために学校へ行けと言うんだ。(将来を考えて)
 
社会人になった僕は思う。申し訳なさは確かにある
でも開き直っている自分がいる。僕が求めていたことは学校へ行くことじゃない
行けない状況を当時は認めて欲しかったんだ。理解して欲しかったんだ。
 
何と言うワガママ、自分から気持ちを伝えていないのに
でも、やっぱり学校へ行かない=ダメと言う考え方が僕を日に日に追い詰めていたんだ。それは子どもの立場からして確かな事実なんだよね。追い詰められれば追い詰められるほど僕は殻に閉じこもっていったんだ。
 
「何で学校へ行きたくないの?」
 
その問いが言いたくないけれど、そんな切り口で手を差し伸べて欲しかった、と言ったら本当にワガママで親不孝である。でも今僕は振り返るけれど、当時の僕の心の鍵を開けるアプローチはそれだったんだな。と思う。
「学校へ行け」ではない、なぜなのか?そこを無理やりでも引き出して欲しかったんだ。自分で言える勇気がなかったから。
 
僕も良くなかった、承知している
 
親と子がすれ違うことによって、余計に不登校は深刻化していく
部屋に閉じこもり自分を否定し、セルフネグレクトに陥るか、または命を断ちたいと思うくらいに、いや行動にも走らせてしまうのかもしれない。
 
親子の関係は最も強い関係で結ばれていると思う
それが故に親が敵になってしまった暁には、子どもは最後に誰を頼ればいいのでしょうか?子どもにはまだ幼すぎて親の気持ちまで理解できる、または慮る余裕はないんですよね。意固地になっていたり、理由を離せない事情があったり。様々だ。思春期真っ盛りの中学生は特に自分の弱みを親にさらけ出すのには勇気がいるんだよね。
 
そう考えると親になるって本当に大変だ。
子どもとスキンシップを図れていますか?対等な関係でいられていますか?
 
部屋に閉じこもってしまった子どもはそうすることでしかサインを発することができないだろうと思うの。セルフネグレクトの状態だ。将来を悲観しているし、親でさえ敵だと考えているかもしれない。とても難しい。
 
でもそうなる前に、子どもはサインを発しているかもしれません。
表情がなくなる、学校の話をしなくなる、反抗的な態度が目立つようになる
 
学校の話をしなくなるという傾向は初期の僕の中で経験がありました。
できる限り学校の話はしたくなかった。聞かれたくなかった。だって虐められている事実を知られたくないからなんだ。
 
僕は思う。僕が親になったらできる限り子どもとは友だちのような対等な関係を築きたいと考えている。子どもが親に話しかけやすい関係を築きたい。その中で一番邪魔になるのはやはり関係に段差があることだ。親は偉い。確かにそうだ。
家庭教育をする上でも親である以上、子どもに叱らなければならない。実に難しい。
 
でも、子どもに発言権を持たせる怒り方はどうかな
「何でその問題行動に至ったの?」まずは質問形式で、
 
子どもは答える
「〇〇だから」
 
ここで一度、味方になるんだ!「確かにそうだね」「そんな風に感じたんだ」
 
「でもね?」ここから人としての行動、社会人として必要な事を提案するように伝えてみるんだ。子どもは何て返してくるだろう?
 
皆さんも突然否定されると反抗的な態度をとりたくなりませんか。
多分、子どもも一緒だと思うんだよなぁ、思春期を迎えていれば尚更だ。
 
小さい頃から親子の関係を近いものにすることで、不登校になる未然に防げることができるのではないかなと、僕の持論にすぎないけれど思います。
僕にとって両親がもっと近い関係だったら無駄なプライドを抜きにして僕は正直に、両親にいじめを受けている事実を告白することができていたのではないかなぁと思います。最初に相談できる相手として親が自分の中にいてくれたらこれ以上に心強いことはなかったな。
 
特に!!!男親であるお父さん?要注意かもしれませんよ。
僕も将来子どもを育みたいけれど男親は女性に比べて子どもへのスキンシップが少なくなってしまいがちではないでしょうか。更に稼ぎ手であることから偉そうな立場や挙動が目立ちやすい。一番ショックを受けた言葉はこれだ。
 
「誰のおかげで飯が食っていけると思うんだ!!!」
今でも鮮明に覚えている僕の父の発言だ。確かに、確かにその通りだよ。
でも、そんな事言われたら子どもは何も返せなくなるよね。決定的に親が僕を理解してくれないと僕が判断した瞬間がこの言葉だった。絶対に言わないでくださいね。
 
それ以上にどうしても変えられないのは、お乳を飲ませるところから男親にできることは子どもに対して少ないんだ。物理的にね。
 
でもいかに、良いお父さんになれるかどうかを僕は今一番考えているよ。
まだ先の話だけどね。