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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

社会人になって気がついた発達障害①

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色々な考えがあって、カラフルな楽しい社会へ

表題のテーマに沿って書こうと思いますが、こればっかりは複雑な心境を隠せません。
なんというか…もっと早く気づけなかったのか。
もっと早く気づけたら僕の人生は変わっていたかもしれない。そう考えると取り止めのない感情に心がいっぱいになる。社会人になって、気がついたきっかけは何か?
やはりどうしても直せない誤字脱字や忘れ物の多さだった。学生時代は許されても社会人では許されない。お客様先で「会議資料がない」凍りついた瞬間だった。何度も味わったし、上司からも何度も同じことで注意を受けた。
 
どうして直らないのか、僕は悩んだし、考えに考えた。
僕の心に一瞬よぎった。
ADHD(Attention-deficit hyperactivity disorder)注意欠陥・多動性障害の略だ。
 
注意欠陥が目立った。どうして直せない。
前日に確認したはずなのに、リストも作ったはずなのに「どうして直せない!」
自分への怒りと焦燥感に駆られる日々だった。そして段々と萎縮していく傾向にあったし、社内でも浮いた存在になっていったんだ。
 
ある日、身体が動かなくなったんだ。
会社に行けなくなった。日々重ねたストレスの影響か、そこで初めて精神科を受診することになった。病名はうつ病、しかしそれは併発性だと伝えられた。
ADHDという特性が根幹にあってそれによる併発性のうつ病だと伝えられた。
 
最初は認めたくなかった。
僕は今まで普通に生活をしてきたつもりだった。
真面目な性格で、業務にも、交友関係にも実直に対応してきた。そのはずだった。
 
でも、下された診断はADHDによる併発性のうつ病だった。
「嫌だ嫌だ嫌だ、そんなはずはない!!!!」
 
受け入れるまでに正直、数ヶ月はかかった。
でも、今は良い薬があるんですね。僕の場合は注意欠陥の傾向が強くコンサータという薬を処方された。飲み始めた当初は変化を感じなかったが、飲んでいるうちに自分がテキパキと生活しているようになっていった。
 
「事実を受け入れざるを得なかった」
薬の効果は確かにあったんだ。僕はそれによって日常生活でストレスに感じることが格段に減っていった。忘れ物も少なくなったし、衝動性も少なくなり計画的に動くようになっていったんだ。不思議な効果だと感じた。
 
これが社会人になることか
社会人に必要とされる能力なのか
 
認めざるを得なかったな、自己知覚、、できるまで本当に時間がかかった。
社会に出るということはこういうことなんだ。こういう能力が求められているんだ。
 
もちろんね。友だちは優しく接してくれた。
「ちょっとボケているところが僕らしい」
「不器用なところがたっきーらしいよね」
 
そうやって、仲間に入れてくれたんだ。
でも社会人としては未完成な僕だった。数多くするミスや誤字脱字。
 
社会は許してくれなかったんだ。
ここで疑問が一つあるんだ。会社は(原因)病名を求める
僕は病院で診断された診断書を提出した。そして受理された。
 
ADHDだったんだ、うつ病だったんだ
理解は得られた。でもとてつもない違和感が僕の全身を駆け巡ったんだ。
 
社会はそうやって、僕を障がい者という区別をしたがっていたのか
そもそも障がいというその証明を求め、それにより僕はその日から障がい者になったんだ。
 
社会から区別された瞬間だった。
 
別にこれに関して僕は文句を言うつもりはないよ。ADHDうつ病そうした病名を告げても大きく動揺されることはなかった。それだけ、障がいに対する世間の受け止め方が近年は広い視野で見てくれるのだという評価もできるんだ。
 
誰も僕を責めることはしなかったし、変わらない対応だった。うん…
 
そうなんだけれど、違和感だったんだ。
障がい者になった瞬間、「仕方ないよね」と受け入れられていくそのスムーズさが違和感に感じずにはいられなかったんだ。僕は考え過ぎなのか。分かっている、分かっているんだけれど、「じゃあ、障がいて何よ!!」
 
社会に溶け込めない、又は馴染めない人々が障がい者として扱われる…
 
それでいいのかね、必要な支援も受けられる、医学的な視点から僕を社会人として復帰できるようにしてくれる。でもね、社会人として生きられない人は皆、障がい者なのか!!
都合良く社会から爪弾きにされているようにしか僕は当初感じずにはいられなかったんだ。
 
障がいはどこにあるのか?僕は以前にもブログに書いたけれど
障がい者自身にあるのは医学モデルであって、それはどうしようもないことでしょう。でも社会モデルとして障がいの壁が、世間に社会にあるのではないかと僕はそう感じずにはいられなかったんだ。
 
社会に馴染めない人は全てが障がい者なのか?
少し変な人、変わった人は障がい者なのか?
いいや、そうじゃないでしょう?
 
論理的に、
手続き的に必要なのでしょう。
手にしたこの障害者手帳が…
 
でも当初は会社から求められる診断書や障害者手帳の等級に違和感を感じずにはいられなかったんだ。隠せていなかったでしょう、このヤキモキする感情を。
 
インクルーシブという言葉があります。
『人間の多様性の尊重等を強調し、障害者が精神的および身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能にするという目的の下、障害のある者と障害のない者が共にある。』
 
日本はどうですか?
障害のある者と障害のない者が共存できる社会。確かにそうでしょうか?
 
障がい者障がい者として扱いが全く違うんです。意識されている感じが拭えずにはいられなかった。「僕は障がい者です」そう名乗らないと社会に参加できない仕組みが日本社会の現状です。特に精神障害者においては!!
 
目に見えない障がいですからね
目に見えないからこそ周囲からの受け入れられかたはとても複雑だった。
隠すこともできるよ?でも隠してもメリットはなかった。隠しきれない症状が僕の中にあったからどうしようもなくて、誰かに伝えずにはいられなかったんだ。
 
身体が思うように動かない
思ったことが言葉に表せない
突然僕に現れた症状だったんだ。これじゃ仕事もできないよね。
 
複雑な心境です。僕はそれでも少しずつ受け入れていった。
障害者手帳を手にして2年近くなりますが、この迷いのある気持ちはいつまでも拭えないです。特に転職活動においては、オープンにできればクローズドにもできます。
 
僕はオープンにすることにしました。もうこれが僕の特性なんだよね。
そこからは逃げることはできないんです。そう受け止めるまでにはかなりの時間がかかったよ。でも、オープンにしているのには理由があって、そこで企業の反応を見てみたいからだ。さぁ、僕をどう判断するか、その企業の懐の広さを見れるチャンスだと思っている。
 
ADHDというのは特性であり、特技だと思っている。自分の社会復帰をどう扱ってくれるのか。CSR(企業の社会的責任)を満たすために雇われるのか、僕の特性を理解して上で伸ばしてくれる、自ら伸ばせる環境を作れる場所かを測っていきたい。
 
理想ばかり述べているけれどそれが僕の正直な今の気持ちです。
回復までには時間がかかりました、今こうして発信の活動できるまでにも多くの迷いがありました。自分に不利に働く可能性が高い。いくらでも企業の人事は僕の経歴を、そしてこの発信を調べることができるんだよ。
でも、この場所を作らずにはいられなかった。自己満足と言われたらそこまでだ。
そうかもしれないけれど自己満足でも同じように悩みを抱えている人がいるのならばその人の力になりたいと最終的には判断したんだ。その結果。就活は難航している…
でもさ、そんなことはどうだっていい!!自分のありのままの姿を隠してまで働きたくないからだ。やりたいことができない人たちが世の中には溢れている。僕もその一人だ。でも仕事でできなくても、ブログで、ボランティアで少しでもやりたいことをしていきたいんよね!!それが僕が毎日ブログを投稿するモチベーションなの。
 
僕が僕らしく、僕がしたいように生きるため
つまり、とても自己中心的な理由やね…そう突っ込まれて当然でしょう。
でもそれでいい、それでもこのブログを読んで少しでも、自分と似ているな、共感するなぁ、コイツは不器用だな。なんだって思われてもいいよね。
 
このブログの存在が少しでも共感される人に、必要とされる人に、必要な場所であればいいなぁ、と心で思っているからなんだ。だから、毎日訪れてくれる人へありがとう。そして、初めましての人も最後まで読んでくれてありがとう。
 
少しでもこの空間があなたのプラスになるように僕は今日もブログを綴ります。
 
髙橋直之