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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

社会人になって気がついた発達障害②

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受け入れるまでに時間がかかった僕の課題
ブログを訪れてくださりありがとうございます。
 
昨日は社会人になって感じたこと、社会に対する違和感を中心にブログに書き込みましたが今回は何故、もっと早く自分の障がいに気付けなかったのかそんなところを掘り下げていきたいと思います。
 
小学生の頃から僕の症状は、今から振り返るととても顕著に現れていたなと認識するばかりです。それは諦めの気持ちも相まっています。今更振り返っても過去は過去で変えることができないからです。
 
思ったことを直ぐに口に発してしまう衝動性の強い子どもでした。
自分は悪口だとは思っていなくて、そのまま発言していたんです。相手を傷つけるかどうか、そこまでは考えていたかというと正直考えられていませんでした。
それが故に僕は周囲から孤立していく一途を辿りました。僕は悪いことをしていないのになんでみんなは僕を敵視するのか、その当時は理解できなかったんです。
 
変わったやつ、失礼なやつ、色々な感情があったでしょう。周囲の僕を見る目はとても冷たかった、仲間外れ、陰口が当たり前の中で僕は、自分がなぜそのような立場に立たされているのか理解できなかったんだ。理解できなかったから、「何で僕だけがこんな目に合わなければいけないのか」と他人のせいにしていたのも事実です。
 
幼い僕は衝動性というものに理解ができていなかったのも事実
思ったことを発言して何が悪いのかと僕はスレていた。正直な気持ちを言葉にしただけなのに何が僕を孤立させていったのか本当に分からなかったんだ。
まぁ言い訳だけどね。
 
そうして過ごした学生生活は常に孤独との戦いだった。
一人で給食を食べる、ペアを組む授業では最後まで一人ぼっち
それでも最初は、堪えた。だって理由がわからないんだもん。どうしようもない。
 
ある日友達とケンカした
ドッジボールの仲間に入れてくれなくて僕が、つい手を出してしまったんだ。
その時、先生が駆けつけてきた。真っ先に叱られたのは僕だった。
確かにそうだ、手を出したのは僕だからさ。
でも、とても理不尽だと感じた瞬間がその時が初めてだった。最初に仲間外れにしたのは相手じゃないか。なんで僕が悪者になるんだ。あまりにもショックだった。
 
きっかけはそこだったかもしれない。僕は学校から足が遠のいていったんだ。
先生も味方をしてくれない、親だって味方をしてくれない。
孤立の一途を辿っていった。
 
今となっては僕に原因があったことは明白である。自認できる。
でもその当時はできなかったんだ。自分が何故仲間外れにされてしまうのか、叱られてしまうのか理解できていなかったから改善のしようもないよね。
 
今振り返ると、正直なところとても嘆かわしい。
自分の特徴を理解せずに集団の一員になろうと何度も失敗を繰り返して怒られて孤立して、それでも学校に通い続けていた僕は「何故僕だけが!」そう思いながら、本質的な問題に気付かずに毎日を過ごしていたんだ。
 
先生も困った子どもだと思っていたでしょう。
僕の味方をしてくれた数少ない友だちも、相当な苦労をさせたと今では思います。
 
2000年になったばかりだった。僕が小学生だった頃はね。
まだ、いじめや発達障害といったワードにフォーカスされていなかった時代である。
親も頭を悩ませていたんじゃないかなぁ、きっとそうでしょう。
 
無知は罪なり
本当にそう…本当にそう?
僕が全て悪かったのかと今振り返ると疑問に思う。周囲の理解。自己知覚の遅れ。
子どもの頃の自分に全ての責任を押し付けるには重すぎると思うんですね。
 
じゃあ何も悪くなかったかというと、それは違う
今だから振り返って自分の行動を振り返りADHDという特性に正面から向き合えるようになったんだ。それは今だからできることであって小学生の僕に強いるのは酷な話ではないだろうか。もちろん傷つけた友だちもいる、それを蔑ろにすることはもちろんできません。でもね、そうした過去があるから自分がADHDだったんだと、認めざるを得なかったんだ。認めるきっかけになったんだ今…
 
でも、あまりにも遅すぎたんだよね。自分の特性に気がつくことに
振り返れば振り返るほどキリがないんです。どこまで振り返ればいいのか
でも時間は不可逆で自分は前向きに今をこの先を生きていかなければいけないんだよ。
 
そう思った時に過去は過去と割り切る以外に手段がないんだ。
あまりに無責任である。その通りだ。でも僕はそうして生きてるんだよね。
少なくとも悪いことはしてきた気持ちはない、その時、その場所で最大限に迷い考え、そして悩んだ日々があったんだ。ADHDの特性を知るのが遅かったけど、それまでに迷惑をかけた人はいたかもしてないけれど、その人生を全て否定するのは違う気がするんだ。
 
大人になって気がついた自分の特性。
じゃあ、どうしようか。ADHDという課題が僕に出されたのは最近のことだ
そこから目を逸らすことは最終的に「違う!」と思った。
最初は「嫌だ嫌だ」と現実を受け止められずにいました。でも今は受け止めています。
 
自分の課題を出されたんだ。それをクリアするために次はどうしたらいいのか
それがこの現代社会で生きて行く僕の術なんだと思うんだ。いつまでも過去を気にしていても仕方がない、ある種の開き直りが僕の背中を後押ししてくれているんだな、と最近は考えています。
 
じゃあこれから、どうして生きて行くのよ?
それが僕の課題であり、宿命であると思う今日このごろです。
 
髙橋直之