giveyourvoice

不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

社会人になって気がついた発達障害③

f:id:giveyourvoice:20191215005259j:plain

受け入れることに時間かかった。僕にも偏見があったのかもしれない。
三日間にかけて書いてきましたが、このテーマは今日が最後とします。
社会人になって気がついた発達障害、でもその時は突然としてやってきました。
 
ある日「朝起きたら身体が動かない」
まるで金縛りにでもあったように、動かそうとしても動けない
起き上がることができなかったんだ。
 
仕事のストレス
任された任務に日々残業を重ねながらもプロジェクトを遂行しようとした日々
その背景にあるのは家族が抱えている500万円もの借金、そして奨学金
稼ぎては僕しかいない。誰も助けてくれない
 
残業を重ねてまでも必死に稼がなければならない、その責務に僕は奔走していた。
使命感のような、義務間でもない、ただ自分が仕事を辞めてしまったら家がなくなる。
社会人1年目から一家の大黒柱となった僕には、あまりにも重責だった。
 
ある日叔父に、こう叱咤された
「自覚がないからそうなるんだ!!(うつ病になること)」
 
僕はぐうの音も出なかった。
遂に仕事を辞めてしまい、借金の支払いに困り頼った先が父方の祖母だった。
祖母は僕のことを小さい頃からよく面倒を見てくれていた。おばあちゃん子でもあったのかな。ここぞという時に弱音を吐けるのは祖母しかいなかった。
 
恥ずかしながら祖母から借金をしようとしたところ父の兄弟である叔父が僕に叱った
「自覚がないからそうなるんだ!!」
 
その言葉に愛があるのかないのか僕には分からない(恐らくない)
伯父との関係性もそこまで良いとは言えない、何せお互いに腹を割って話すことがなかったからだ。僕のプライドがあったのかもしれない。今なら伯父に面と向かって自分の状況を正直に話せるかもしれない。でも本当に受け入れてもらえるのか僕は不安だ。
 
現状は無職です。
バイトはしているけれど、失業手当が支給される60時間以内という範囲内で働いている。バイトの稼ぎは月に7万円ほど、失業手当は17万円ほどある、合わせて24万円が僕の収入だ。そこから家の借金と、生活費、母の病院にかかる費用も捻出して行くとギリギリの生活が現状だ。
 
早く正社員として復職したい。それが今の僕の希望だ。
介護者初任者研修を受けながら、合間を縫って転職活動をする日々です。
正直少し疲れてきたかな、無職なのに毎日忙しなく活動している。もちろんそれは自分が選んだ道だ。怠け癖のある僕は、一度休んでしまうと動けなくなってしまうマグロ人間だ。適度に身体を動かすことで日々、精神状態と身体の健康を保っている。
 
今のような生活になってしまったのは本当に突然だったんだ。
今年の6月、僕は新卒で働くことを決めた会社を退職してしまったことから始まった。
 
意識はしていなかった。
毎日、仕事に没頭する日々だった。とにかく働かなきゃ!!その一心だったんだ。
でも人の身体とは不思議なものですね。まだ働ける、動かなきゃ!!そう思っても身体の自由が効かなくなったことが僕を退職の道に進めて行くことになった。
会社を休むには病院の診断書が必要だ。まず最初に受信したのは内科だったが、結果は原因不明、進められたのは精神科だった。結果はうつ病、そしてADHDという特性。
 
診断書を書いてもらい会社に提出して受理された。
休職することができたが、その日から僕は障がい者になったんだ。
病名がつかなければ会社の職務規定上、休職をすることができない。
働くことは無理くりでもできたかもしれないけれど、僕の身体が悲鳴をあげていた。
 
会社へのメールを書くにしても、いつもにない手の震え
朝が来る度に目覚まし時計の音に気づくも身体が思うように動かない
 
そんな状況になってしまって僕は働くことができないんだ。と認識した。
会社とは必要な手続きをとって、労災には該当しない名目で退社する運びになった。
 
溜まりに溜まった有給休暇と代休を僕は無駄にはしたくなかったんだよね
会社以外のことだったら自然と身体が動いた。本当に不思議なもんやね。
退職までに自動車学校に通い大型二種免許(バスを運転できる)を取得した。
 
6月に退社してから2ヶ月でバス会社への就職が決まったんだ。
その頃は、祖母からの援助とハロワークから支給される給付金で何とか生活できた。
 
話が冒頭に戻るが叔父から罵倒されたのもその期間だ。
「覚悟がないからそうなるんだ!!(うつ病になること)」
 
今、思い返すとぐうの音も出せなかったが本当にそうだっただろうか。
僕にはそれなりの使命感を持って働いていたつもりだった。
 
2週間、職場から帰らない日もあった。残業時間は裕に120時間以上は超していた
常軌を逸している働き方だったと思う。そこを「覚悟」やら根性論で罵倒されるのは御門違いではないかと僕は思わずには今もいられない。その時に反論できなかった、出来る状態ではない僕に対する言葉ではないと「暴力だった」と僕は感じている。
 
今月は父の三回忌だ。
伯父とも顔合わせするだろう。そこで過去の話を蒸し返して反論するつもりはない。
数少ない親族が故に仲違いは避けたいのが僕の意向だ。
 
但し、ここで書きたいことは自分の根っこは忘れないで欲しいと言うこと
「仕方がない」で自分の立場を弱いままにしてはいけないんだと考えている。
 
身体が動かなくなった原因は一体何なのか?
全て自分の責任にしてしまっては、自分自身を最後に守れなくなってしまう。
 
僕は父のせいにした
借金を膨大に残して、急逝した父のことを正直心の奥底で許せないでいる。
何よりその事実を死ぬまで家族に黙っていたことにね。
「飯を食っていけるのは誰のおかげだ!!」
 
ひきこもりの時に父から浴びせられた言葉だ。確かにその当時は僕は両親を大変困らせていたと反省している。でも、同じことを父に今言えるならば、言い返したい。
 
「父さんのおかげで散々苦労している!!三回忌を開けるのは誰のおかげだ!!!」と
いやぁぁぁぁ僕も冷たい人間だと思います。そして大人気ない。
 
でもその言葉を今や伝える相手がいない。死んじゃっているんだからさ。
 
ストレスの根源が間違いなく家庭環境にあると感じた。
じゃあ今後はどうするのか、母には正直に自分の障害を話したかな。
 
理解してもらうためではない、でも精一杯尽くしている結果を見せたかった。
これ以上したら身体が壊れるぞ、とそう言う現実を家族には共有したかったんだ。
 
親不孝な息子であるけれど、社会人になって気がついた
社会からは障害者として区分される(心なしか差別に近いと僕は感じでいる)
 
そうした現状を嘆かずして自分を守れずにはいられなかったんだ。
とても醜い僕の本心ではあるけれど、隠せば隠すほど自分が辛くなるんよね
それならば少しでも前向きになるなら
「親父のバカやろう!!!!」ぐらい心の中で叫ばしてもらっても良いと思う。
開き直りだけどね。でもそうやって今は精神状態を保っているのが本心だ。
 
何がストレスになっているかは人それぞれだと思うの。
でもそれを抱え込めば抱え込むほど辛い立場に追い込まれていってしまう。
確かに故人のことを、ましてや父親を恨むなんてさ、良くないことは承知です。
でも自分が崩壊してしまう前に何がストレスの根源にあるのか分析は必要だと思うの。
 
そのストレスを分散するにはどうするべきか
それは自分自身にしかわからないこと。
そして社会人になった僕は自分自身で対処しなければならない。
もちろん友だちに洗いざらい愚痴をぶちまけてしまったこともあるよ。
僕も人間だもん。
 
さて、長くはなりましたが社会人になって僕はADHDだと分かったんだ。
じゃあどうするのよ?
 
向き合って行くしかないよね。最初は確かに反発した。
会社に休職届を出すには病名が必要だった。そして障害者であることを受け入れざるを得なかった。でも時間はかかったけれど僕は特性を理解することができた。今でこそ前向きに捉えている。どうやって社会参加して行くかのヒントを受け取った形だ。
 
遅かれ早かれ自分の特徴を知れたことは今後の人生におけるメリットだよ。
皆さんもしませんでしたか、自己分析、就職活動を前にすると必要になってくるよね。
僕はその自己分析シートにADHDという特性が書き込まれただけだと考えているよ。
その特性をいかに理解して活かしていくか。活かすも殺すも自分次第なんよ。
 
恥ずかしい、プライドだって捨てた
でも自分の根本的にある自我は捨てないでいて欲しい。
ワガママでもいい、醜くてもいい、どんな姿でもいいから自分の心の声に正直になることが自分の心を守るし、更には周囲へも、自然と理解が得られる。
得られない場合もあるけれど、それはそこまでの度量の人間でしょう。
と僕は割り切っちゃいます。
 
正直な心境を打ち明けて、仲間を増やすこと、決して一人で抱え込まないことです。
確かに微妙だよね。自分からASDADHDと伝えることはとても難しいと思うんだよね。でも、頼れるならば家族へ、そして友だちへと、仲間の輪を広げていくことで自分を理解してくれる味方が集まると思うんだよね。
 
一人で戦わないようにしましょう。
 
それが、遅かれ早かれ社会人になってから発達障害だったと気がついた僕が
導き出した社会への挑み方なんだ。
 
髙橋直之