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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

学校は本当に必要なのだろうか?①

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こんにちは、たっきーです!!
お正月も終わり、仕事始め、学校始めという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
あまりご無理はなさらずに今年もほどほどに頑張りましょう。
 
最適なのは自分の居心地です。
居心地が悪いなと思ったら環境を変えてみる選択肢も悪いことではありません。
長期休み明けですから、ナイーブになってしまう方も多いと思います。本当にご無理はなさらないでくださいね。ほどほどにいきましょう!!
 
さて今回のテーマは義務教育に対して切り込んでいく内容になります。
もしかしたら、これをお読みになっている方の中には学校関係の方もいらっしゃるかもしれませんが平等な視点で僕はブログを更新していきます。題材だけにどうかお気を悪くされませんように最後までお読み頂けたら幸いです。
 
僕が引きこもりの時に読んでいた本の中で好きな経済学者がいます。
有名な先生なのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
アマルティア・セン先生という方です。
 
この方は資本主義経済を俯瞰して幅広い視点で本を書かれています。その中でも貧困や倫理といった功利主義の経済に問いを投げかける学者です。
 
日本経済は正に功利主義ではないでしょうか。過去のブログにも資本主義経済が故に過当競争が社会に生じてしまい、それが学生にも波風を立たせているということを書かせて頂きました。受験戦争に勝てないものは将来は安泰ではない。企業間でも争い、学校間でも争い、日本の教育というものは競争の中にあるものなのか?という疑問を投げています。
アマルティア・センさんはそうした経済にいち早く気づき問いを投げた学者です。特に教育においても言及された本も過去に幾多とあります。
 
その中で共通する主張は『人間の安全保障』と『潜在能力の発掘』です。
資本主義経済の加速により、世界は競争の波に飲み込まれました。今や株式の浮き沈みが世界経済の行先を決めていると言っても過言ではありません。もちろん社会主義を提唱する国もありますが、企業が存在するためには企業価値が必要とたります。
 
GAFAは皆さまご存知でしょうか。世界を代表する企業の名前の頭文字をとってそう呼ばれています。GはGoogle、AはAmazon、FはFacebook、AはAppleです。これらの企業が先陣を切っていく中で他の大手企業も追うように経済競争を繰り広げています。
 
時代というものは目まぐるしく変化していきます。10年前まではこうした上位を占める企業も下火でした。IT企業の中でもハード面を得意とする会社が先陣を切っていましたが今やソフト面が重視される時代です。新しいサービスを提供するためにはPCの開発からアプリ開発へと変化していったんですね。たった10年間の間でもこれだけの変化が生じています。追いかけようとしたってなかなか追いつかないものです。
 
最近になって日本でもプログラミング教育が始まりましたね。
習い事として教室を開いてもどこの教室もいっぱいらしいです。今後もIT企業が社会を先導し続けると見越してか教育現場においても今や一人に一台のパソコンやタブレットが導入される学校も増えてきています。これが現代の潮流なのでしょうか。現場の先生方も教えることが増えて大変そうです。特にご年配の先生方にはプログラミングはなかなか理解し難いものでしょう。教育現場でのプログラミング教育は活きてくるのか疑問の多いところです。
 
さて、皆さんは何故、学校に通うんでしょうか。
友だちと遊ぶため?成績のため?なんとなく義務だから…
日本の教育機関としての役割は賛否両論ありますが充実していると思います。
先生方の負担の上で成り立っているものですが、小学生から中学生までの9年間、平等に教育を受けられるというのは世界水準からみても平均以上であると思います。
 
ただ今回のブログのテーマですが本当に学校が必要なのだろうか。
この問いは私が体現しています。私は小学校の高学年から中学3年間学校へ通うことができませんでした。でも私は今、会社に務めております。立派な大人とまでは言えませんが人並みの生活を送ることができています。ここで僕は疑問に感じたんです。僕は何を学校で学んだんだろう。得たものは一体なんなんだろう。
もちろん小中学校の先生へのご恩は忘れられません。しかしながら学校に行けない(行かない)人でも子ども成長できているんです。
 
ここで、冒頭でご紹介したアマルティア・セン先生の言葉を引用します。
日本の教育では『人間の安全保障』は義務教育の間に限って保障されているが 、個の『潜在能力の発掘』までは達成できていないのではないだろうか?(これは僕の持論です)
 
『人間の安全保障』とは貧困や格差等に関係なく平等に受けられる人間としての尊厳ある文化活動の保障を示しています。確かに日本では義務教育により識字率は98.2%と他国と比較してとても高く教育の充実度の高さを証明しています。しかしながら、それは義務教育期間に限っての話で高校進学率は文部科学省の最新のデータでは約90%、大学の進学率に至っては約60%です。教育を受けたいという者が必要な教育を受けられる体制は整っていると考えても良いデータだと僕は思います。因みに韓国、イギリス、アメリカ、ロシアでは大学進学率が70%ではありますが大学卒業率に至っては日本と変わりはありません。
 
この記事では深く掘り下げませんが、日本でも貧困や家庭環境により進学を辞退する人も一定数あるのも実情です。昨年度、東京都が都立高校の無償化を提言しましたが、私立高校は無償化されません。成績優秀者だけが都立高校に通える環境になることは否めません。貧困層では私学に通うことも、放課後に塾へ通うこともできません。一層、学力格差が生じることが見込まれるだろうと僕は考えております。
 
しかしながら、高校進学率も90%と高い推移であることから教育環境の保障は他国に比べて充実しているのかと考えられます。
 
しかし、ここからが僕の問いです。
日本の教育において個の『潜在能力の発掘』についてはどうでしょうか?
僕は義務教育が保障されている環境でも学校へ通う選択をしませんでした。いじめられるからです。時には人格を否定されて、仲間(同級生)から受け入れてもらえなかったからです。日本の教育では集団行動を意識しているような気がします。僕はそうした環境に馴染めませんでした。多動性の傾向がありどうしても45分または、90分の授業に堪えることができなかったんです。集団に溶け込めなかった僕は引きこもりになりました。
この一連の流れを憂いている訳ではありません。僕の経験を淡々と書いてみています。
 
現在では私を含めてASD等、何かしらの障がいを抱えていて学校へ通えない児童に向けて適応指導教室や放課後等デイサービスにより、子どもの居場所が多様化してきました。それにより個々に対する教育においては民間が担っているように見えます。
 
ここで重要なのが日本の学校教育では個の『潜在能力の発掘』または個性というものを受け入れ切れていない現状があるのではないでしょうか。僕が不登校だった時代と現代の学校の教育方針に変化はありません。民間により、学校という環境に適応できない児童や生徒の受け皿が充実してきたようにしか僕には見えませんでした。
 
さて、ここで皆さんに問いかけます。
本当に学校(義務教育)は必要なのでしょうか。
 
僕は学校へ通わずにして大人になり、人間としては周囲の支えもあって成長できました。
現代では適応指導教室に通うことで、認定教室においては必要な単位を取得することができます。義務教育(学校)に通わずして卒業できてしまう制度があります。
 
学校って必要ないんじゃない?
 
でもね、ここでの僕の結論は、学校(義務教育)は必要じゃないかな。
 
と最後に締めたいと思います。何故か?
 
 
理由についてはまた、次回のブログ更新時に綴っていきたいと思います。
 
飽くまで僕の持論です。データの参照元は下記に添付しておきますね。
長い文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
 
参照
大学進学率をグラフ化してみる
ノーベル経済学者アマルティア・セン教授が語る「人権」と「義務」
 
髙橋直之