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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

学校は本当に必要なのだろうか?②

 

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学校へ通う必要性はなんだろうか?

こんにちは、たっきーです。
前回は途中でブログを分けてしまいました。
 
表題に沿って学校の必要性にとって問いを投げかけたまま
しかし僕は最後に学校(義務教育)は必要でしょう。
 
と締めくくりました。
やっぱり僕にとってだけでなく学校は必要なのだと感じます。
人生で初めて社会に触れる体験の場所が用意されているのだから。
 
でも、この問いは捨てずにいられません。アマルティア・セン教授の言葉を借りて
日本の教育では『人間の安全保障』は義務教育の間に限って保障されているが 、個の『潜在能力の発掘』までは達成できていないのではないだろうか?(これは僕の持論です
 
人間の安全保障とは大事なものです。
平等に教育を受けられる権利が日本にはあることがとても評価できる点だと思います。
誰でも学校に通える学校。実は珍しいんですね世界的に見たらさ。
 
教育を受けられることで識字率も高い推移を示しています。日本の学力が年々下がっているというニュースを耳にしますが、正直それはここでは言及せずに、学力以前に生活に必要な知識を基本的な部分に限って義務教育によって日本は保障しているんです。
これは素晴らしいと思いますし僕は無くさないで欲しいと考えております。
 
でもねぇ、日本の義務教育に僕は問いを投げました。
 
何故か。
義務教育に通えていない子ども達はどうしているの?
 
僕は何度も書いてきましたが、適応できなかったことから学校へ通うことを拒みました。
結果、引きこもりとなり、心を病み、学校へ通わなかったんです。
 
僕以外のケースでも学校へ通えていないケースは多数存在します。
学校へ通わないことが悪いという吹聴がまだ拭切れていない2000年代初頭の話です。
でも、今も変わらないのではないでしょうか…
 
通信簿がありますね?
成績表とも呼ばれますが、それがその子の行末に繋がってしまうんです。
それを発行しているのは学校しかないんです。
 
日本の教育は義務教育に馴染める人にしか出世できないとも言い切れません。
じゃあ、馴染めなかった子達はどうしているのさ…
 
近年、教育においても、とても幅広い考え方が増えてきました。
学校に通わなくても他に居場所がある。フリースクールや放課後等デイサービスの充実です。
こちらの図をご覧ください。
 

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利用者が急増していることは否めません。
その背景には何があるのでしょうか。
それは僕が一番危惧していることであるのですが、学校(義務教育)がその環境に馴染めない子が義務教育の現場では受け入れ切れないよ。という姿勢に変わらないか、ということです。
 
教育現場でも先生の過酷な労働環境を危惧されていることも近年言われ続けています。
教育現場には余裕がないんです。余裕がないから全体主義に走ってしまう連鎖。
僕はそれが根本的に日本の教育を危ぶんでいるのではないでしょうか。
 
余裕がない以上、対応し切れない児童については民間に委ねるしかない。
それが先ほど挙げた放課後等デイサービスが増え続ける背景ではないでしょうか。
 
学校に通うことを諦める
学校以外に居場所がある
学校に通わなくても義務教育は卒業できる
 
その通りです。
でも、何故僕は学校(義務教育)が必要と思うのか。
それはね。冒頭にも述べましたが学校は子どもたちが初めて触れる社会の場です。
そして尚且つ、平等に教育を受けるという権利を僕らは持っているんです。
世界的に見たらとても日本は恵まれています。
 
『世界がもし100人の村だったら』(2001年池田香代子C・ダグラス・ラミス
もし100人の村人だったら大学まで学問を修めることができるのは1人しかいません。
 
でも、これに対して日本の大学進学率は約55%です。
とても高いですね。世界的に見たら日本の教育システムは充実しているんです。
この傾向は変えないで頂きたいと僕は考えています。
 
しかしながら今、日本の教育システムは揺らいでいます。
それは先ほど挙げた民間の教育機関の台頭です。これにより学校以外の教育機関の必要性や重要性が増加しているんです。皆さんも通ったことがありませんか、塾や予備校…
 
ここで生じてくるのは経済的事由による教育格差です。
日本の義務教育が揺らいでいるのは、義務教育ではまかないきれない子どもたちが、そうした環境に身を置く傾向にあるということです。更には、放課後等デイサービスにおいては障がいを抱える子どもに対して1割の負担で通えるようにする政策を打ち立てました。
それにより、学校では抱えきれない障がいを抱えた子どもは放課後等デイサービス等の民間機関に委ねられていく傾向にあるんですね。
 
学校(義務教育)のシステムはとても先進的で且つ重要な役割を担っていると僕は考えています。しかし、民間機関の台頭によってそもそも学校(義務教育)の立場が揺らぎつつあるのが現実です。抱えきれない、馴染めない子どもは外部機関に委ねられる。
 
『人間の安全保障』の一部である教育を受けるという平等に与えられた権利が揺らぎつつあるのが事実です。そして日本の学校(義務教育)における課題点個の『潜在能力の発掘』までは達成できていない。については民間機関に委ねるという吹聴に変わってきてしまっているように僕は感じずにはいられないんです。
 
学校(義務教育)は必要です。平等に教育を受けられる機会を守るために。
しかし、義務教育に馴染めない子供たちは民間機関に委ねられる流れが見えてきています。皆さまはどう感じられるでしょうか。僕は日本の教育というものが揺らぐのではないかと不安を隠しきれません。もちろん、子どもの居場所が増えることは前向きに評価したいです。でも学校(義務教育)がその環境に馴染めない子どもたちを見捨てて欲しくはないんですね。
 
さて次回は別のテーマに移りたいと思います。
放課後等デイサービスが広がる中で、今後の教育の可能性と危機について書きすすめたいと思います。今日も読んでくださりありがとうございました。
 
髙橋直之