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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

教育の可能性とゆらぎ①

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本当にこれでいいの?
 
こんにちは、たっきーです。
寒い日々が続いてますね。とは言っても暖かくなったり寒くなったりの繰り返しで、洋服のチョイスに迷う日々です。迷うほど服を持っていないのですが笑
皆さんも体調管理にはお気をつけくださいね。
 
今回の記事のテーマは今後の教育の在り方に着いて切り込んでみようと思います。
先ず皆さん教育機関と聞いて何が思い浮かびます?
 
学校
家庭教師?
 
まだありますよ。
「家」もれっきとした教育の場所です。家庭教育、大事ですよ。
 
それこそ外に出たら全てが教育の場所
公園で遊ぶことも、子ども同士が社会性を身につけるためには必要な場所であり機会ですね。
 
このように教育と言うととても幅広くなります。
近年では学校教育以外での比重がとても重視されつつあるように感じます。
だって、高校生になると多くの人が予備校に通いますよね。
小学生だって、習い事をしたり、塾に通ったり学校教育以外の現場で子どもが学ぶ機会がとても増えています。前回の僕の記事ではそうした外部での教育の比重が大きくなり、本当に学校は必要なの?て問いを投げかけました。
僕の結論は学校(義務教育)は必要である。と書きました。
 
でもちょっと心配なんですよね、最近
学校教育以外の現場で子どもが学ぶ機会が本当に増えています。
予備校に通わないと名門校に入れない?
習い事をして得意な分野を伸ばしてみたい?
 
やっぱり学校教育では個性や得意分野を伸ばすことがちょっと難しいように思えるんですね。勉強もれっきとした特技です。勉強ができるという特技を伸ばすにも予備校は必要ですよね。学校だけでは足りない部分があるから予備校に通うんでしょう。
 
趣味でサッカーや野球を始めるお子さんもいますね。
将来はプロスポーツプレイヤーを夢見て始めるお子さんも多いですよね。
これもやっぱり学校の教育では補いきれないから習い事を始めるのかな?
 
そう考えていくと、やっぱり個性を伸ばそうとする環境として学校教育(義務教育)は対応しきれていないのでは?という疑問が拭いきれません。
でも前回、書いた通り僕の意見は学校(義務教育)は必要なんです。
 
日本の識字率は世界でもトップクラスです。
識字率とは文字を理解できる能力のことです。
この識字率発展途上国になるととても低い水準になります。
識字率が低いと起こり得る問題とは何か、児童労働や格差社会の拡大ですね。
 
文字を理解できない、会話できないことにより
できることが制限されます。学校へは通えずに泣く泣く働く子どもたちも居ます。
そうした広い視野で世界を見通すと日本では、そうしたことは一切ないですよね。
児童労働なんてもってのほか!!ってくらいですね。
子どもは学校へ通い、学問を学ぶという風習が根付いていることは世界的にみても素晴らしいことだと僕は思うんです。そしてそれを可能にしているのが義務教育という存在です。最低限必要なことはここで学ばせてくれます。文字の読み方、計算の方法、生活に必要最低限度、必要とされる能力を養わせてくれるのが学校教育という現場なんです。
 
そう思うと、日本てすごいと思いませんか。
 
でもこのブログの表題にも書いた通り日本の教育には課題が山積しています。
必要最低限度の教育は保障してくれます。が冒頭で述べたように個性伸ばしてくれるような教育は義務教育では補い切れていないのが現状です。
 
なぜ、塾へ通うんですか?
なぜ、習い事へ通うんですか?
 
学校(義務教育)では補いきれないじゃないんですか?という問いに行き着くんですね。
本当は日本の学校教育だけでも十分なはずなのに、なぜか日本人が求めてします更なる高みへ。基本的なことができればいいはずなのに、どんどんハードルが上がっていく…
偏差値という数値が出てくる。「成績をあげなきゃ」追われる感覚で勉強を始める。
 
十分じゃない?僕からしてみたら。文字が読めるだけで、計算ができるだけで、生きていく上で必要なスキルを身につけている。十分でしょう。
 
でも高みを目指そうとする。何故?
就職を筆頭に将来に紐付いているからなんですかね。
 
何のために学ぶのか、何のために勉強するのか。
僕にはまだまだわからないことだらけです。もちろん将来のためなのでしょう。
でも教育の根本的な役割とは何なのか今一度振り返ってみたいものではないでしょうか。
 
髙橋直之