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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

ボクノート

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あるがままに生きること
こんにちは、たっきーです。
久々の連日となる投稿になります。仕事の合間にブログを更新しています。
 
ボクノート』それは僕の好きな楽曲の名前です。
スキマスイッチさん、自分の気持ちを正直に伝える大切さを教えてくれた歌です。
 
このブログではずっと、僕とenokiの考え、推論も含めて投稿してきました。
でも、何故そうしてきたかというと、僕らには辛く、悩んだ過去があり、それを今は前向きに捉えたいと考えている自分もいるからです。
皆さんにも振り返りたくない過去はあると思います。もちろん過去を振り返ることはあまり良いことではないと思われます。過去にばかり囚われていては自分のこれからを、将来を見過ごしてしまうように思えるからです。
 
でもね、ここで何故、赤裸々に過去を投稿しているかというと
誰もが隠したい過去はあると思います。でもその誰もが隠している過去の氷山の一角である僕らの過去感じた思いや悔しさを言葉にして残すことで、今、その立場に置かれている人にとって「決して一人ではないんだよ」と伝えたいんです。
 
僕は僕で、あなたはあなた
置かれていた立場や事情は全く違うものかもしれません。
 
だから、ここに書いていることはほんの一例として捉えて頂けたらと思います。
 
改めて僕は、大人になってからADHDであることが分かりました。
それまでは、なんとなく周囲と馴染めない、自分の性格のせいで周囲と溶け込めないのだと感じで学生生活を送ってきました。時には一匹狼を気取り、時には寂しさに泣き、そんな日々を過ごしてきた学生生活でした。
特に寂しさを感じたのは学生時代のことです。小学校、中学校と、なかなか友達ができなくてひとりぼっちでいる時間が長くありました。
 
「どうして自分は周囲に溶け込めないの?」
「仲間外れにされてしまうの?」
 
そんな疑問を抱きながら過ごしていました。
その時に強い悲しみと寂しさを感じて育ってきました。いじめ、引きこもり、親との対立
自分の居場所は当時、どこにもありませんでした。
 
「自分の境遇を理解できる人なんていないんだ」
独りよがりになっていた節もありますね。今思い返すと、とても嘆かわしい…
 
でも当時はそうすることしか方法がなかったんです。
子どもの力で変えられる力は、ほとんどないんです。
結局、先生や親に頼らざるを得ない。気づいてもらえるまで僕は一人で過ごしていました。そんな時に手を差し伸べてくれたのが中学二年生の時から担任になってくれた先生でした。無理に学校へ通うことを強要せず、土日に投稿して個別授業をする提案をしてくれました。ただでさえ休みがないのに、その先生には今でも頭が上がりません。
 
僕はプライドの高い人間でした。
いじめられていることなんて親にも言えなかった。
仮病を使ってズル休みをしていました。
 
格好の悪い自分を晒したくない。でも先生はその気持ちが分かっていたように接してくれました。まるでいじめられている事実を知っている。(実際は知られていたのでしょう)
でもそれでも、いじめの事実を公にすることなく、僕の意思を察して個別授業を開いてくれました。
 
僕はどうやったら友達ができるのだろうか?
 
ずっと悩んでいました。自分が周囲から浮いているという感覚は自覚していました。
色々試してみました。明るく振る舞ったり、笑って見せたり…でもどれも空振りでなかなか友人と言える仲間が作れずにいました。
 
僕はどうしたら普通の人になれるんだろう?
そう感じ始めたのは中学生の頃、明らかに自分は違っていると感じたのはその頃でした。
でも、その理由や原因が分からずにずっと悩んでいました。
 
そもそも普通ってなんでしょうか?
大人になった僕にも、未だに解けていない謎です。
とは言っても、「普通の人間だね」と処理されてしまうのもオリジナリティがない。
僕は何を求めているのか、未だに分からずにいるんだ。
 
でも、「個性的」と表現されると嬉しくも感じるし
なんだか自分が受け入れられたように感じるのが最近の僕です。
学生の頃はずっと「普通の人」に憧れていた。でも大人になった今は個性的な自分を評価できるようになったように感じるんです。
 
あぁそうか、個性か
 
もちろん周囲に迷惑をかけることは良くないです。
やっとできた友人とも沢山ケンカしたり怒られたりして社会のルールを学びました。
何をしたら嫌われてしまうのか、その友人から学んだように感じます。
 
だから今は周囲に迷惑をかけないように、正直、慎重な姿勢で対人関係を気づいているように思う日々です。自分の何食わぬ行為で人を傷つけかねない。
ADHDと診断を受けてからは「やっぱりそうだったんだ」という安心感と、「やっぱり普通じゃなかったんだ」という気持ちが交錯して複雑な心境でした。
 
だから今は、慎重にならざるを得ない、それが僕の正直な心境です。
相手の顔色を見ながら、出過ぎたマネをしていないかな?傷つけていないかな?
常に言葉を選ぶ日々です。ちょっと疲れます。
 
でも、それが学びなんだと前向きにとらえるようにしています。
ぎこちない生き方でもいいじゃないか、それでも前向きに進めているのならばいいじゃないか。そう考えるようにしています。
 
決してさ、格好良い生き方ではないです。僕は。
でも、だからって下を向きながら生きたくないんだ。
僕は僕なんだと。ぎこちなくてもいいから社会に溶け込んでいけたらいいなと思うし、逆に個性派として生きて行けたら今は良いと思っています。
 
そう、あんまり気にしないようにしているんです。
自分がADHDであると知った日から僕は、諦めと、諦めたくないという二つの気持ちに背中を押されたんです。まるで自分が病名がついて安心しているようですが。でも、その通りかもしれません。でもそれは病気のせいにするのではなく、病気を個性として捉えて自分の特性を知れた、と考えています。
 
小学生や中学生の時に「どうして僕は違うんだろう?」
そう感じていた日々からやっと解放されたように感じるんだ。
 
自分を上手くコントロールすること
自分の個性を最大限に発揮すること
 
ASDに負けないんだ!
僕は僕の人生を生きるんだ、と最近感じたことです。
 
今日のブログは長いひとりごとのようでしたね。
でも、そんなひとりごとに少しでも、救われる人がいるならばと、僕は精神的に広い器を持ってこのブログを書き進めていこうと考えています。
 
髙橋直之