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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

できるものなら

私(筆者)は自閉症スペクトラムです。
 
しかし、それがどうしたのでしょうか?
処方された薬は服用しており、回復に向けて努力を続けております。
しかし、私がこうした症状(病)に侵されていることについて世間は優しくないのです。
 
これはノンフィクションです。
 
婚約者のご両親からは精神病について疑問を持たれました。
通っていた、某通信制学校についても疑問を持たれました。
社会人になって自分の持っている精神病について、面接の時に深く問われる時がありました。
寧ろ、精神鑑定を受けされる方が苦はでありました。が慣れてしまいました。
 
私は確かに精神障害者保健福祉手帳を保持しております。
しかし、何故ここまで、世間から追求されなければいけないのでしょうか?
 
私はシステムエンジニアとして3年間、外資系の大手の会社に新卒で勤めておりました。
今はその会社を退職して、フリーランスとして生業を経てて生活するようになりました。
 
その会社については、文句の一言もありません。
確かにパワハラなど、多くのハラスメントを受けてきたのは事実ですが、ここでは多くは語らないようにします。何より未来に向けて建設的な議論を進めていきたいのです。
 
でも、私は悔しいのです。未だに精神障害者という壁が僕の夢を
将来の行く末を阻んでいるのです。
 
婚約者のご両親がもたれる不安は僕にもわかります。
また、新たに勤めようとする会社の不安も僕には分からなくはありません。
 
しかし、どうして…僕は劣勢から立ち行かなければならないのか、非常に理不尽に感じてならないのです。このブログではずっと障がい者と健常者の間での社会的な格差を文字にしてきました。しかし現在、私は体感しているのです。
 
生産性に欠ける、理解するのに時間がかかる、確かに心の障がいにはどうしても否定しきれない欠点があるのは事実です。しかし、身体障害と精神障害の間に区分が存在するのは事実であり、差別とまでは言いませんが、公的には区別され支援の内容も大きく異なることは事実なのです。
 
できることなら、僕は普通の人間でありたい。
できることならば、僕は普通の人間という言葉を使いたくない。
 
しかし、社会的に見れば区別されているのです。
 
私は、精神障害者である。
 
その事実と、客観的な評価は変わりないものであり、私はその枠の中で生きて行かなければならないのです。
 
もちろん、不安や疑問もあります。
でも経済的に支援を受けているのは事実で障がい者として僕は生きています。
 
就職の場で、家族間の間で、そして信用(金銭的な)の間で「私は障がい者です」
と言う区分は使いたくないのです。都合の良い話かもしれません。
 
でも、独立して生計を建てていると言う自信はありますし、家族を養う経済的な余裕も作れるようになりました。それは近代的な生き方や働き方ではないかもしれませんが、間違いなく現代的な生き方や働き方であると思います。
 
コロナ禍のなかで多くの会社が苦境に喘いでいます。
個人事業主も事業の持続性に不安をもたれる方も少なくはありません。
私はそんな中で、決心をしました。
 
経済とはあまり関係はないのですが
人間関係や、会社の先行きが不透明ならば自分で将来のビジョンを設定して独立してしまえば良いと。語ることは容易く、実行に至るまでは相当な苦労があります。
 
その中で感じた壁、とは、先ほどお話した障害者であると言う世の中にある、偏見(全員ではありません)を感じて独立までに必要なの?と思う作業もしました。
 
日本では近年バリアフリー化や、オリンピック開催で盛り上がる中でパラリンピックへも関心を広めています。一見して障害を持つ人々への理解を促しているようにも見えなくはないのですが、私は表面的なパフォーマンスにしか見えないのです。
 
何故ならば
バリアフリー化は進むけれど(物理的に)、人々の間では理解が広まっていないのでは二でしょうか。沖縄県の女性教諭が授業中に奇声を上げてしまった児童がいたことから、「障がい者が迷惑な人と感じる人は手を挙げてください」と言った発言が教育の場であったそうですね。
 
教育現場、今後の社会をになっていく子供たちに対して、教育の場は特に差別的な意識を無くしていく、多様性を受け入れる場であるべきではないかと思うんです。
既に広がってしまった考え方や、人の価値観を変えることは相当難しいことです。
 
でも、次世代に差別や偏見は残さないような社会になれないでしょうか。
そう言う意味では今生きる私たちは、多様性を重んじる最初の世代であると考えます。
差別や偏見の考え方を無くすのは難しい。できるのならば今すぐにでも無くしたいけれど…現実的には難しいのが事実です。
 
だからこそ、気づきつつある私たちの世代から次世代へ向けて、より多様性を理解できる世の中を育んでいけたらいいなと思います。もちろん、いじめも一緒です。
問題視されている世の中ではありますが、ただ見て見ぬ振りをするのではなくできるのなら「これを読んでいるあなたは多様性を理解できる代位一世代です」
 
気がついたら行動しましょう。
社会が変わるのを待つだけではなく、私たちから変えていくのがこれからの時代です。
 
働き方も
生き方も
価値観も
 
全ての人が生きやすい世の中になるといいですね。
そう願いつつ、本日もブログを更新します。
 
いつも読んでくださる皆様ありがとうございます。
 
髙橋直之