giveyourvoice

不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

障がい者としてではなく自分らしく生きる難しさ

こんにちは、たっきーです。
前回の投稿からいっきに夏から冬になっちゃいそうな勢いですね。
日本の四季はどこへ行ったのでしょうか。紅葉も一気に南下したと思いきや北海道では平地では初冠雪の予報で、気候変動が激しくなりましたね。とにかく寒い!!
って感じの筆者です。皆さまも、体調にご自愛くださいね。
 
今回のテーマは少々、重めのように響きますが飽くまで、僕の主観です。
 

f:id:giveyourvoice:20201017220253j:plain

壁を感じずにはいられない日常、憂う訳でもないけれど…
あらかじめ話すべきことは行政の援助によって生活の基盤が成り立っていることです。
障がい者手帳を取得することで医療費や市民税など多くの控除を受けてきたことは認めます。それがなければ通院費も処方箋等で僕はとても苦しい生活を強いられていたことは確かで僕は行政の援助なくしては生計を立てることが難しかったです。
その財源は国民、読者の皆様による血税によって支えられていることは感謝し自分の生活と病状の治癒へ向けて支えられてきました。
 
しかし、少々、違和感を感じることがあるのです。
『僕のような障がい者が行政に支えられることにより生きていける』
この制度にはとても感謝してもしきれません。だってこうやってブログで記事に認めることができるのも通院によって処方があるからだと思います。そこは否定できません。。
 
しかしながら、最近、というか前から、どことなく上下関係を感じるのが僕の正直な気持です。こんなことを皆さまに言える身分ではありませんが、しかし「すみません」と謝る回数が増えたことは事実なんです。確かにお国から皆さまの税金を頂いて私は支えられています。
 
でも、障がい者だからと「謝る必要はあるのでしょうか」
僕以外にもコミュニティでたくさんの人意見を聴いてきました。補助を受けるにあたって「申し訳ない」そういう気持ちを持つ人が多いのです。
 
でも、開き直るようで『恐縮』ではありますが、僕らはなりたくて障がい者になった訳ではないんです。そして、行政の支援を受けないと生活に困窮する家庭も僕を含めてあるのが事実です。『恐縮』という言葉を使いましたが、日本人の特性でもあるのでしょうか?
奉仕されているが故にそうヘリ降る表現を使わざる世間に疑問を投げたいんです。
 
確かに私たちは皆さまに支えられています。でも、障がい者になりたくってなった訳ではない、どうしようもない気持ちを抱えながら生きている人が僕も含めて多数いることが分かりました。確かに開き直るのもどうなのか?でも社会福祉的な観点から考えると皆、平等であるべきではないでしょうか?
 
障がい者でも、現在ではお国でも白羽の矢が立ち、就労可能人口に加算すると、日本の30%増やせるのではないかという数値が出ています。確かに訓練や職場に定着する為に支援を必要とするのは事実です。でも、もしも、皆が就労可能となれば日本という国、少子高齢化社会を乗り切るための一作でもあるということを、ご認識いただけたらと思うんです。今後の令和の社会ではコロナ等、未曾有の状態にある社会です。
 
でも、どうか僕と同じように就労可能人口に、日本という国家を存続する為にも必要な投資であることをご理解願いたいのです。
障がい者採用だから」
「健康面で不安があるから」
「思考に傾きがあるから」
でも、それがどうしたことでしょうか。適材適所という言葉があります。
それぞれの障がいや特性に合わせて社会進出を、自然と受け入れて頂ける世の中になってくれることを願います。もちろん、今でも十分すぎるほど、社会復帰への精度や補助制度が充実していることを僕は自負しております。
 
しかしながら、会社という組織や行政に掛け合うときにはどうしても障がい者としての区分により可能性を失いかねないような手続きが存在することも事実です。
特に精神的な障がいにおいてはより厳しいチェックがなされます。例えば車の免許の保持に関しても半年に一回主治医の診断書を警察署に提出しなければならないのです。
交通安全の観点からしてみれば、そうせざるを得ない事情は理解できますが、診断書を書いてもらうのにも費用がかかりますし、体調管理には一層気遣わなければなりません。だって主治医の判断によっては免停になるかもしれませんから…
そうしたら私は、心臓にペースメーカーを入れている親を病院に送り向かいができなくなってしまう可能性もあるのです。(いかにストレスであるか…)
 
それぞれ、障がい者と呼ばれる皆んなが世間で同じ目で見られる日をどこかで願っているのです。「謝る回数が増えた」先ほど『恐縮』という表現を用いましたが、それが当たり前な世の中では障害者の立場も、将来的には日本の就労可能人口を減らし、若者への負担が増え続ける一方であると僕は考えるんです。
 
少々、話が広がり過ぎましたが、ここで伝えたいこと
障がい者であっても社会に参画できる機会があり、平等であることを伝えたいのです。
 
確かに症状によっては限界があるかもしれません。
でも、色々な特性の人間がいる、多様性が認められていく社会であって欲しいのです。
 
ある日、僕はバスに乗っていました。
車椅子の乗客が乗降する際に舌打ちをする乗客がいました。
きっとその人は急いでいたのか、何かしらの事情があったのでしょうが
しかし、その車椅子に乗客は「すみません」と謝りながら乗降しておりました。
僕は、どこか違和感を感じずにはいられませんでした。
 
皆さまは、どう思われますか。
僕はその人、その一瞬に立ち会っただけで日本の社会全てとは言いません。
しかし、巷では車椅子の乗客がタクシーに乗車を拒否されるといったニュースも存在します。考え方は人それぞれではありますが、この違和感を…
 
表現に苦しみますが共有したくてこの度ブログを更新しました。
読者の皆さまはどう受け止められる日でしょうか。
奇譚のないご意見を頂戴できたら幸いですが、考えるきっかけになればとここに記事を認めます。
 
髙橋直之