giveyourvoice

不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

ひとりぼっちじゃないと言うけれど…

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孤独…寂しい…でも正直なあなたの心のサインだよ
こんにちは、たっきーです。
季節の変わり目は、温度変化がとても激しいですね。
先日、風邪をひきました。咳とくしゃみが止まらなくて、
マスクをしていても、街ゆく人は僕を避けて歩いていたように感じます。
 
風邪にしろコロナにしろ移されたら嫌ですものね。
 
僕は一人、その時は家族にも移したくないと部屋に篭り、病院以外は外出しませんでした。仕事はPCがあればなんとかなる。なんとかそこは繋ぎましたが、どことなく感じる孤独感に苛まれました。
 
ふと、その時に頭をよぎった言葉があるのです。
『孤独を友とせよ』
 
この言葉は頑張る時や、何か目標に挑むときに孤独というものはつきものです。
もちろん仕事やスポーツはチームでこなすものですが、個人の能力を高める為には人は自主トレしたり、一人で残業していたり、孤独は避けられないものです。
だから、強くなる為には、『孤独を友とせよ』という言葉が生まれたのだと思います。
 
でも、『孤独を友とせよ』という言葉には主語が隠れており
「”自ら”孤独を友とせよ」という事であると僕は捉えています。
つまり能動的に行う事。自らの選択肢の一つとして選ぶ手法であると僕は思うのです。
 
でも、孤独な状態に迫られている人もいます。
それが僕です。風邪を引いた、家族にうつせない、だから部屋に篭る選択肢を選ばざるを得ない。身体的な理由で孤独に晒される現実もあるのです。
 
今までのブログにも書いて来ましたが、私は自閉症スペクトラム症の中でもADHD、注意欠陥多動性の傾向が大きいと診断されました。
知るまでは、人間関係の構築に何度も苦労したことも、孤独を感じたことがあります。
 
先ほど、風邪を例に挙げましたが、精神的な部分は目に見えません。
そうした状況下にある人々は孤独感というものを一度は体験したことがあるのではないでしょうか。
 
僕は小学校と中学校と不登校で誰にも理解されず、親にも理解されず
ただひたすら自分の責任である。それは否定できないのだけれど、その当時はそれが故に孤独と寂しさに苛まれて生きた過去があります。孤独感から自殺願望すら抱いた時もありました。
 
「だって、こんな話誰も理解してくれないもん!」
「学校に行きたくない!勉強が苦手だ、でもそれが理由に行きたくないなんて!」
 
絶対に理解されないんだから
 
そう思って、独りぼっち部屋に籠もっていました。
先日、風邪を引いた時に過去の自分の体験を思い出しました。
 
悩みを話せず、理解されないとわかっていればいるほど、話しにくいもの
 
「ひとりぼっちじゃない」
そういう言葉をよく耳にした、本でも読んだし、歌の歌詞にもあった。
でも、僕は学生の時、孤独から抜け出せずに悩んだ過去があったんだ。
 
そもそも、誰に相談すればいいの?
みんな聴く耳を傾けてくれなかった…
「学校へ行くことは当たり前でしょ」それが子どもの役目
そう言われてしまうのがオチで、将来も悲観するようになっていた自分がいた。
 
そんな僕が手を出したのは行政が運営する、心の窓口だった
帰って来た言葉は、そうだ「あなたはひとりぼっちじゃないよ、安心して」
 
言うは易し、自分の境遇には全く触れてもらえなかった。
10年以上前の話だから今は対応が違うのかな?
 
でも僕は絶望した。、だって電話をかけるにも勇気が必要だった。
しかし返された言葉はその一言だった。
 
頭の中は真っ白で、世界にポツンと部屋に時間が止まったまま取り残されたような気がした。僕に将来はないのか、それならば一層、生きる意味などないのか。生きている価値はないのか。両親は毎日、僕のことで言い争い、熱りが冷めたと思ったら学校へ行けと言いに来る。「嫌だ」そう言いたいけれど言えない自分と、言いたい自分で夜は眠れずに葛藤していた。思い出せば、過去のこと…
 
でも、それを身に染みて体験して来た僕が言えること
 
”孤独はつらいよ”
 
ひとりぼっちじゃないと言うけれど、でもひとりぼっちになっちゃうんだもん。
マイノリティであればあるほど、日本は個人の考えを尊重する文化はまだ浸透していないんだもの。でも文化のせいなのか、そうしたら楽だけど解決には至らない。
 
だからこそ僕はこのブログを書いているの
もしも、今、孤独に、苛まれている人がいたら、
その人がこのブログを読んでいたらSOSを挙げて欲しいの。
 
大人になった今だから発信できる
それに、様々な対処法を僕は知っている。
 
対処法?
 
もう、自分の胸の内をぶちまける
それが一番いいの。理解されなくてもいい。でも自分の思いをぶちまけるだけで僕は心が少し楽になったんだ。両親の対応も少しずつ変わっていった…
 
もちろん勇気がいる
僕は恥ずかしながら泣きじゃくりながら両親にぶちまけた
これはただ事じゃないと察したのか、僕を落ち着かせなだめてくれた。
 
恥ずかしい、悔しい、自分が嫌い、でも、それが自分なんだもの
だから、ぶちまけたの、心のダムが崩壊しきっていたのもあるけれどね。
 
でも、その後に分かったの
”僕はひとりぼっちじゃない”
何故なら両親も悩んでいたことを僕は知ったんだ。
 
つまり、本音を話すことで繋がれる
仲間ができるんだ。
 
でも、本音を話すことは怖いし、社会人になればなおさら悩むの
 
でも、生きて
 
生きていれば、いつか仲間ができるから
一人じゃなくなるから。
 
将来?僕もわからない。
フリーランスで働いているけれど、そんなんで一生食べていけるなんて分からない。
こんな時代だけれど僕は思うことはただ一つ。
 
心のダムが崩壊してもいい、醜い自分でもいい
本音をぶつけることが孤独を抜けられる、一歩だと思うの。
恥ずかしいし、醜い自分かもしれない、でも受け入れてもらえたら楽っしょ!
 
僕はそう醜い姿も晒して、恥ずかしさも晒した、
でも、それでもそばにいてくれる人こそ本当の仲ではないのかな。
 
髙橋直之