giveyourvoice

不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

可能性の芽を伸ばせ

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芽はやがて成長し幹となる。自分の芯になり得る可能性の芽だよ

僕は何度も失敗を重ねて、そこからしか学べなかった。
故に多くの人に迷惑をかけてきて、未だに堂々と人と接することができるかと言うと正直不安の連鎖だよ。
 
時間は不可逆で待ってくれない。身体は成長し、大人になっていく。精神的にはまだまだ未熟だしどこまで自分が、社会に貢献できるかも未だに手法すら見えていない。
 
でも、一つだけ変えたくない指針があるんだ。
迷惑をかけてきた分、人の役に経つにはどうしたらいいか。
誰かの支えになれる活動の一歩として、このブログを始めて自分の体験談を元に認めてきました。そこには偏りがあるでしょう。だって僕の経験だけだもの。もちろん、他の人からのアドバイスも織り交ぜているけれども、最終的に執筆するのが僕だから。
 
正直、毎回、配信して良い内容であるのか不安だ。そして恥ずかしい。
過去の経験を世間に暴露するようなものだもの。SNSとも連携し、実名を公表している。
それ故にここでの発言には、責任を伴う訳で、嘘はかけない。
 
だからこそ、生の
生々しいような過去を事実として、書き続けているんだ。
背水の陣とまではいかないけれど、今までの経験から、仕事にも支障が出たこともある。
全く知らない誰かが、自分が精神障害者であることを知られる、不安な気持ち。
 
でも、だからなんだ!保身じゃないか。
もしも、このブログを続けるならばできる限りリアルな体験談を書きたい。
その一心で90もの記事を書き上げてきた。
 
節目である故、今日はちょっと心にしまっていたことを告白しようと思います。
 
それは、高校生までずっと親にも友だちにも、学校の先生にも仮病を使って学校へ行かなかった、行けなかったと言う事実があることです。
 
仮病を使った理由は学校へ行くと、どうしても自分が浮いてしまい。
省かれているような、露骨にいじめのような体験を受けて僕は逃げる方法を模索していました。そこで浮かんだのが仮病だったんだ。同窓会で二十歳になった時に担任だった先生に再開した。その時、「休んだ理由は本当はなんだったの?」と訊かれ仮病である事実を伝えた。その時先生は、寂しいような、悔しいような表情を浮かべていたのが今でも心に過るの。
 
何故、自分は虐められている事実を
学校へ行きたくないと言う気持ちを両親や先生に正直に伝えられなかったのか。
 
プライドだった。
 
多感な時期である。そして成長の真っ只中である中、成績、身体能力、全てが数値化されて評価をもらうのが怖かった。だって休んでいる以上、オール1だもの。
僕の場合、言いたくても言えない、助けを求めたい、そうした気持ちではなくて、周囲から比べて自分が劣っていることを突きつけられプライドを傷つけられるのが怖かったんだ。
 
そして、僕は中学生時代は部屋に篭る日々が続いたの。
現実逃避をする為に、本を読んだ。ゲームもした。でもちっとも楽しくなかった。
罪悪感と将来の不安に駆られながら僕はその当時を過ごしていたんだ。
 
本当の自分の気持ちをカミングアウトするのは大変だった。
僕の場合プライドだけれど、中にはコンプレックスの塊や、傷ついた心を癒す為に心を閉してしまう人もいると思うの。だから、理由は本当に人それぞれで不登校の課題を解決するには難しい。現場の教員も多くのタスクを抱えて教育現場は疲弊している。
 
その中で、どうやって心の扉を開くの?
僕は開けなかった。解決策として、本人が胸の内を打ち明けることが1番の近道だと思うの。近年はフリースクールやデイサービスといった、ケアサービスが増加傾向にある。
 
そこでね、これを読んでいる学生や社会人の方に向けて伝えたいメッセージがあるの。
僕は後悔したことなんだけれど、何故、もっと早く両親に胸のうちを伝えられなかったのだろうか。先生に相談できなかったのだろうか。理由は明白だ。プライドが邪魔をした。負けず嫌いなのは今も昔も変わらないけれど、弱みを見せる勇気が当時はなかったんだ。
 
そう自分の弱みを晒すのはとても勇気がいることだと思うの。
でもね、死ぬ勇気があるのならば、弱みを晒す勇気は十分あるよ。
将来も広がるしね。
 
何度も死のうとした。建物の屋上に立っては足がすくんで飛び降りれなかった。
 
そもそも死ぬ勇気ってなんだ、死ぬ勇気があるのならば、なんでもできる気がするの。
だって命を絶つか絶たないか。とてもじゃないけれど、そこまで追い詰めている人がいるのならば他意はなく純粋な気持ちで抱きしめたい。
 
あなたは1人じゃないんだよ。
だって周りには家族がいるじゃない。
家庭の事情で、そうじゃなくても行政で相談にのってくれる期間もある。
僕が学生だった15年前に比べて今はとても、ケアサービスが充実しているように感じる。
 
学校や会社が全てじゃない。
そもそも、この世界に、産み落とされたこの命を、奇跡だと思うの。
生きていれば、友だちとの出逢い、将来を共にするパートナーが今もどこかで生活している。いつ、どこで出逢うのかは分からないけれど僕はそんな奇跡的な将来に希望を抱いて欲しいの。
 
そして、学校や会社が全てではないと書いた理由は。
そもそも人生の大半は勉強する、働く、食事して寝る。のサイクルだ。
でも、勉強が合わない。仕事に恵まれない人も少なからずいると思うんだ。
僕は勉強が嫌いだった。仕事もちょっと嫌かな。
 
そんな時に考えるのは僕の人生、嫌な環境で嫌なことを強いられる場所で生きていくのはどうなのか。ある程度の教養は必要で、資本主義社会ではどうしても稼ぎが必要だ。
でも、苦手は苦手で吐露して良きと思うの。そうしたら、これからは令和の時代。
 
良い大学に出て大手に就職すれば安泰なんて社会的風習は薄れつつあるの。
じゃあ、今後は何が評価されるの。多分だけど。「あなた自身の個性」だと僕は確信しているの。趣味や好きなことが仕事になることもあるこのご時世だもの。
 
あなたは何をしたいの?
できないことはもう考えなくていいからさ。
 
苦手なことは苦手で、得意なものは得意なものであるんじゃないかな。
そこにフォーカスして伸ばす、伸ばせる環境を作って頂きたいのです。
 
悲観するよりも、できることから始めてみたらどうかな。
ゼロはゼロのまま。1に変える為には何が必要かと考えたら、自分の好きなことや特技を極限まで鍛え、追求すると良きではないでしょうか。
 
 
 
ちょっとずつ、そしたらワクワクしませんか。
行きたくないなら行かなくていい。でも自分の芽を探してみて。小さいことで良いの。
僕の場合、地図を見ると一瞬で方向が分かり、案内できた。そこから大学生になってツアーや旅行企画に興味を持って、未だにボランティアではあるけれどその活動を続けていて、生き甲斐の一つになっているんだ。
 
仕事や勉強だけが人生じゃないよ。
あなたらしさ、その芽を育み育てる意識を持ってみてはいかがですか。
 
髙橋直之