giveyourvoice

不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

自分の弱さを認める勇気

f:id:giveyourvoice:20201105181100j:plain

弱い僕がいるから、強くなろうと鼓舞できる。

「寒いね」と言えば、「寒いね」と…
俵万智さんの短歌が頭を過ぎる、季節は11月になり今朝は寒くそれでも、自分の側に誰かいると暖かく感じる。人と人との繋がりは大切だ。
 
でも僕はこう言うけれど、元々は人見知り且、対人恐怖症のような時期があった
「僕はプライドの塊だった」
 
小学生のある日、ケガをしてしまった僕は運動をやめた。
食べては寝て食べては寝て、体重はあっという間に100キロ越え
体格を揶揄されて、悔しくて喧嘩して言い返したら、その一部始終しか見ていなかった先生は僕を叱った。元々、友だちも多くは無かったし味方をしてくれる人は少なかった。
口べたで、ケンカも弱ければ、運動もできなくなり、なかなか落とせない体重。
次第に家に引きこもるようになっていったのもその頃かな。
 
一度、休んでしまうと学校へ通えなくなる。
時間が経てば経つほどに学校にも行きにくくなるんだよね。
だって、一度逃げてしまったら、「負け」を認めるようなもの。だから自分のプライドが人との接触を更に遠ざけていったんだ。
 
プライドなんてそんなもの!
 
今はプライドも何もないんだ。だってもう勝ち負けが人生じゃないし。
悔しいなら、負けるなら、自分が強くなるしかないと、気づいたきっかけがあった。
 
高校へ進学した時に自分よりも(比べるものではないけれど)苦労や辛い過去を持つ仲間と出会った。そして友だちになった。その当時まで持っていた勝ち負けやプライドと言うベクトルで関係を築こうとすると、友だちを否定することにもなるし、自分も否定することになると感じた。多感な時期に人との出会いは自分の考え方や捉え方を広げてくれた。
 
引きこもっていた自分の心が、その原因のプライドというものが薄れて行った。
 
何故なら、人の痛みを知り、挫折の経験はより人間を強くしてくれる。
挫折や失敗、その当時はとてもじゃないけれど、何度も逃げたくなった。
忘れよう、逃げよう、でも学校、社会でも残酷で挫折や失敗から直ぐに放たれることはなかった。だから、自分でどうにかしなきゃ、と
 
でも、高校生になって強みができたのは友だちが僕の救いになってくれたこと。
自分でどうにかしなきゃ、ではなくて相談することを覚えたんだ。
 
相談相手も大事で、自分が感じた失敗による喪失感や絶望的な気持ちを受け止めてくれる人。その当時、周囲にはそうした経験をしてきた仲間がたくさん居た。だから、初めてそれまでの体験してきたことを理解してくれる。受け止めてくれて、自然とプライドやコンプレックスが薄れていったんだ。うーん、気にしなくなった…が正しい表現に近いかも。
 
それからは正直になれた気がするんだ。
コンプレックスやプライドに囚われて、自信を無くすようなことが少なくなったんだ。
 
今振り返ると、自分で自分を追い込んでいたような感覚だった。
両親は、世間の目や、周りの子”ふつうの子”と比べて僕を叱咤することもあった。
それは両親だって、困ったと思う。どうしていいか分からなかったと思う。何故、周りの子と一緒にできないのかと、比べてしまうのは必然だと思う。だから攻めるつもりもないし、両親には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 
そんなことより、やはり自分のプライドが原因だった。
自分の心だ。周囲と比較して人生の勝ち負けにこだわり諦めていた自分の心が学校からも、社会からも自分の足を遠ざけた原因だと今だからこそ振り返れる。
もちろん、当時の幼い頃の自分にはそんな心の余裕もないし、原因は自分にあると悟った時も過去の自分を攻めるつもりはないよ。
だって、その当時、それが精一杯だったんだもの。だからこうして記事を何通も書けるのかもしれない。体験したからこそ、その人にしかその苦しみはわからないでしょう?
 
辛かったね。
頑張ったね。
 
そのような言葉をかけてもらうこともシンポジウムや講演会を行う中で講聴者から声をかけられることがある。もちろん共感してもらえたことは嬉しいけれど、僕が求めていることはこのブログでもそうだけれど、自分の過去の慰めではないの。
 
ブログを読んで頂いたり、シンポジウムの参加者の中には、似たような経験の渦中にいる人が中にはいらっしゃるの。その人にぜひ僕の失敗談をバネにして頂きたいです。
 
このブログのほとんどのエピソードは恥かしながら、失敗談だ。
でも過去の失敗が自分の今に活かされていることはたくさんあるんだ。
 
大人になってからやっと過去の自分を肯定できた。
だからこそ、恥ずかしいと感じたことでも記事に書けるんだよ。
 
だから自分で言うのもおかしいけれど、僕の心は鍛えられたよ。
ちょっとやそっとじゃへこたれない、ある意味の頑固者であるかもしれないね笑
 
でも学校や社会で挫折しただけ、糧になっていることは確かなんだ。
乗り越えれば、乗り越えるほど自分に真っ直ぐ向き合える。
 
僕は不器用な人間だ。
もっと効率的な学び方があるでしょう。
思われるかもしれない。でも失敗からしかまだ学べないのは僕の欠点であり強みだ。
一度失敗したら、2度目の失敗はしない。失敗しても失敗しなくなるまで何度でもやってみせる。
 
そのモチベーションの根っこにあるのが、過去の自分があるからなんだ。
今だって人見知りは正直変わらない、克服しようとしたけれど、バレないようにはなれたけれど未だに対人恐怖症はあるのかもしれない。でもいいじゃない、長い目でそんな弱い自分とも、一緒に上手く付き合っていこうと思う。
 
 
 
髙橋直之