giveyourvoice

不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

あり得ないなんて言わないで

こんにちは、たっきーです。
お久しぶりです。関東は春一番が吹いたそうですが夜は寒いですね。
コロナも心配ですが皆さま体調にはご自愛ください。
 
突然ですが、僕は2021年1月18日に警察が家に来て出頭を命じられました。
その時は何のことかサッパリと記憶に無かったのです。
 

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この世に存在してはいけない人間はいないんだ。
 
また、家に突入してきた警察官は手帳も見せず、病の母を4人で押し切り僕の部屋へ侵入しました。
カメラに証拠は残っており、然るべき対応をする方針です。
 
その時点で自分が何を犯したかわ分からないまま、出頭を命じられた日に警察署へ赴き事情聴取が始まりました。
その時僕は被疑者としての罪状は不法投棄でした。
 
…遡ることお正月の1月2日私は、自宅のリフォームに備えて布団3枚を積み込み外出しました。経緯は省略致しますが、某コンビニ店で布団3枚を放置したまま僕は車を出してしまいました。それは紛れもなく事実であり。反省、それ相応の処罰を受けるべき対象であることを私は認識しております。
 
何故、下ろしたか…
鞄が無いことに某コンビニ店についた私は、布団を積み込む前に鞄を布団の下に入れてしまった事に気がつきました。そこで布団3枚を下ろして見つけたのです。そのままコンビニで購入する品物が欠品していることを知り、その時はある事情で急いでいたため、そのことに頭がいっぱいで布団を積み込む事を忘れてしまったのです。
 
この文章を見ると、とても良く出来た言い訳、自己都合の自己中心的な言い訳としか世間一般的、少なからず調書をとった警察官にとってはそう思えたのでしょう。私は何度も同じ主張を繰り返しました。その時に言われたのです。「そんな言い訳はあり得ない」と…
 
僕も限界でした、何度説明しても同じ質問をされていて「放置」をした事実はあるにしても僕はこう返しました。「あなたにとってあり得ない事でも僕にとってはあり得る事何です」と
 
犯罪です。言い訳はしたくはありません。
ただ、「あり得ない」と言うことは私自身が世間一般から見てあり得ない存在であり、この世に存在してはならぬ者として感じた為に、反論をしました。
 
障がいを言い訳にしたくは無いけれど、この時はじめて自分がADHD(注意欠陥多動性障害)である事を打ち明けました。
 
私は日頃から忘れ物も多く、このブログにおいてもわざと誤字脱字を直していません。しかし、仕事やプライベートでも忘れてはいけないことがあります。
その為に僕は毎日、日記と常に行動する(タスクリスト)をノートに認めて1分刻みで書き持ち歩いているんです。但し、お正月のこの日だけはイレギュラーもありタスクリストを持ち歩いていないことが今回に起因したことでした。
 
僕の場合、注意欠陥の傾向が主にあり、医師の指導もありタスクノートを1分刻みで作るようにしていました。
 
ここで問います。
皆さんはタスクノートをゴミの処分から食事に至るまで日記に書き起こし、常に自分がすべきこと、そして、自分がした事を毎日チェックしますか。
 
「刑事さんは普通ならしない」と答えました
 
普通って何でしょうか。
確かに僕には障がいがあるが故に『普通』では無い行動を普段しています。
それはエラーをなくす為、今回の不法投棄してしまった事実は事実ですが、それを防ぐ為に精一杯してきた行動ですが、僕はイレギュラーな対応に弱い事、焦る事、そしてすべき事を忘れてしまう自分の恥ずかしい一面を再認識しました。
 
でもね。恥ずかしいとか、不甲斐なさ、とか
確かに犯罪は事実。でも償うこと、謝罪すべきこと、社会人としての責任は自分のしてしまったことに対して最大限の姿勢は示しました。
 
でも、その後に至っても、あり得ない、普通では無いよね…
そうした発言に僕はキズ付きました。
 
被疑者であっても、人格まで否定されることは有ってはならないことでは無いしょうか。自分の事を棚に挙げて発言できる権利や主張は私にはありません。
 
でも、色々な人間がいます。十人十色で性格や特性と言った表現を私は用いたいです。自分の汚点(罪歴)を社会に晒すことは、リスクがある事を承知な上で僕は発信します。
 
多様性、ダイバーシティと言う言葉がこの日本社会ではまだまだ浸透していない事を受け止めざるを得ないのです。日々生き辛さも感じます。
特に行政機関において多い話です。
 
話は変わりますが…
そもそも、うつ病などの症状で重度な疾患をもつ人が受けられる社会的補償を受けるための手続きも複雑で受けられない。僕は受けられませんでした。後から知りました。傷病給付金の申請や失業手当の受給延長等、僕は受けられなかったのです。
 
出来る容態なら、出来るかもしれません。
しかし出来ない容態であるからこそ受けられるように制度が活用できる世の中で有って欲しいのです。
 
してしまった事、出来なかった事
 
普通ならば出来ると一言で片付けられてしまう日本の社会はどうなんでしょう?
 
僕は今回の一件に関しては深く反省しております。
しかし、そこで警察官に人格を否定される由縁はどこにもありません。
 
あり得ない、いや、それはその人から見た視点であり、
僕はそれがエラーが想定されるから日々、日記とタスクリストを照らし合わせてエラーが無いか確認する日々です。そうしないと、同じ過ちを繰り返してしまう、その為の予防線を常に引かないと生きられない自分は醜いでしょうか。
 
罪悪感と共に悔しさを感じました、
無論、全科として僕は受けるべき処罰は受け入れます。
だって、自分の家にゴミが捨てられていたら、嫌だもの。人にされて嫌なことを他人にしてはいけないのは当然です。
 
しかし、問いたいのは4人で家に警察手帳も見せずに押し入り、僕のプライベート空間に侵入することはいくら警察官で有っても、権利は有りません。その上に時間は朝8時で薬も効いていないボヤッとしていた状態でした。病弱の母、そして有り得ないと一方的に人格をその場で罵声を浴びせられる由縁は無いのです。
 
”有り得ない””出来ない”そうした主張を繰り返しされるには、納得いきませんでした。
日本国憲法で有ります『国民として最低限どの文化的な生活を保証される』と
 
法律以前の問題で、人にはそれぞれ特性や性格、相性が有ります。
この世に存在してはならない人間はどんな凶悪犯罪を犯していても保証されるべきだと思うのです。
 
欠点や誤ちは有ります。だって人間だもの。
言い訳がましいですが、どんなに欠如していても、その人は必死に息苦しさを感じていながらも生きているんだ。
 
日本には確かに経済的にも、医療費や介護保険など他国に比較して充実したサービスが有ります。
しかし、申請主義なんです。社会保険国民健康保険介護保険制度から後期高齢者医療制度に至るまで充実した救済措置が設けられていますが、「申請」出来ますか?また認定されて補償を受けられるまでのタイムラグも有ります。
 
必要な時に必要な補償を受けられる権利、主張を与えられていても
精神的、身体的に動けない身体では申請まで辿り着けないのが現状です。
 
昨今は確定申告を推進されていますが、それも払いすぎた税金の還付を受ける、または納税義務がある人には納税する義務が有ります。でも、ここでも違和感があるのが払いすぎた税金に関しては税務官もノータッチなのです。
逆に納税義務を怠れば処罰や延滞納税付加金が請求されるシステムです。
 
補償や権利はあるけれど、知識や身体のコンディションによっては受けられない補償が有ります。
対して義務を怠れば、法律違反として吊し上げられるのです。
 
マイナンバーカードの普及率が頭打ちになるのは国に全ての情報を預けていのか疑問に感じている人が多いからでは無いでしょうか。
 
話を戻します。
僕は全科が付きました。それは私のエラーで有り、ご迷惑をかけた店舗様には謝罪の言葉も見つかりません。
しかし、行政や税務、警察に対して、僕は疑問を抱かざるを得ないのです。
 
受けられる補償を受けられない、一方的に「有り得ないことだと」人格を否定される。
一般個人の立場として、僕は行政府に対して疑問を抱きます。
 
人は人です。
この世に生を受けた以上、平等且つ最低限どの権利を行使できる権利が有ります。
しかし、その権利を知らなければ損する社会に僕は納得が行かないのです。
 
どんなコンディションに有っても最低限どの補償が受けられる社会で有って欲しいと願います。
これから確定申告も始まります。知らなければ損する 。知らなければ人格を否定される。
 
僕はどんな境遇に有っても生を受けた以上、平等な権利を行使できる社会で有って欲しいと願い、活動します。
 
僕は違和感を感じずにはいられません。
 
髙橋直之