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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

違和感と感じたら考えてみよう

こんにちは、たっきーです。

ご無沙汰しております。5月8日に交通事故に遭い、それからというもの半身不随で痛み止めの投与と右腕の痺れからの回復に勤しむ日々でした。未だに手先の感覚がない為、少しずつでも記事の投稿を今後も続けていけたらと思います。

 

長らくお休みしてしまい申し訳ありませんでした。

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違和感と感じたら、考えてみよう。

今回の記事では、闘病生活をする中で覚えた大きな疑問について書きたいと思います。

 

『真実』とは自ら立証しない限り、真実にならないこと。

 

事実として自分が被った被害や、家族、友人への影響は大きい者でありました。

しかし、立法社会の上では事実には客観的な根拠が証明されて初めて『真実』として社会に認めてもらうことができないと言うことです。

 

いくら「本当にあったことだよ」

と伝えても周囲に受け入れてもらえない事実も存在することを体感したのです。

 

真実とは難しいですね。

でも真実は事実とは言いきれないものです。

 

いじめ、ハラスメント、被害者の立場であると

事実を真実として立証する責任があるものがこの立法社会であるものです。

 

誰が裁くのか?法の下の平等と良く言葉が使われますが、僕には平等の域に達するまではとても難しいと感じた。それも、事実を立証する必要があるからです。事実を立証するためには根拠が必要です。論より証拠であり、もしも自分が平等に権利を与えられているとしても、事実を立証するまでは非常に長い道のりがあると思います。

 

実際に、事故に遭い相手方に請求しようとしても。

こちらが被った被害状況については立証が必要です。事故により損傷したPC類、またケガによる逸失利益等が挙げられる。でも、事故は事前から想像できるものではなく、急に起こるもので自らが被った不利益を立証する術は少なく泣き寝入りすることしかできなかった。

 

例えば、置き換え用のない自称であるけども、障がい者があるが故に自らが被った被害を発言出来ずに事件化に至るまで時間のかかった事例もある。

 

『疑わしきは罰せず」

 

原告も被告も、裁判の場で対面して論争を交わさなければならないけれど、僕のような交通事故と違ってより複雑な理由があって被害者自身が立証までに至らず泣き寝入りすることも少なくないようです。

 

僕はここで話したいことは真実とは何か?

被害者自身の主観かもしれないけれど、事実が反映された結果には現状では至に難しいこと。

証拠材料を集めるには時間と、自身の心の中で打ち明けられる限界があるもの。

 

だから、表面化している社会問題は氷山の一角でしかないと僕は思うんだ。

稚拙な言葉で説得力はないかもしれないけれど、問題として日々ニュースに取り上げられる内容は本当に一部分だと僕は感じたんだ。僕の被った事故による被害は比べるには足らないし、そもそも比較することでもないけれど、短いブログの文章だけれど表面化している社会問題は氷山の一角として考えてみたらどうだろう?

 

僕はTV、新聞、ラジオ、様々なマスメディアに触れているけれど、それを鵜呑みにはしたくないし常に疑問を抱いたり考えたりしている。今回、たまたま自分に降りかかった災禍は、よりマスメディアの発する報道を疑え!とまでは行かなくても報道に至るまでの背景や、忖度が裏に見え隠れするように思うようになった。

 

髙橋直之(たっきー)