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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

コロナ禍の中で子ども達に発信できること

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無理しないで自分のペースを保とう
こんにちは、たっきーです。
久々の更新となりました。4月から会社員に慣れましたが、世の中の情勢でレテワークとなり自宅待機の期間を過ごしています。
 
なかなか外出の機会を得られず、正直、もんもんとしております。
でも僕だけじゃないんだよね。世界中のみんながウィルスと戦っているのだからと極力外出したいと思う衝動を抑えています。みんなで頑張ってウィルスなんかに負けないようにしようね!!
 
さて今回はそんなコロナ禍の中で子ども達に少しでも発信できることがあればと久しぶりにブログを更新します。
 
先ずは今のような事態は僕も含め他の大人達も経験したことのないような事態なんです。
だから正直どう対応していいか、周りの大人達もわからないのが本音です。戦後初めての危機と騒がれたり、これは第三次世界大戦だと言われるように本当に今までにない経験を僕らはしているんです。そう聞くと「何だか怖い」と思うかもしれませんが、現実問題、確かに事態は深刻だけど、そこまで怖がる必要はありません。ちゃんと感染リスクに対する対策を行じれば感染を未然に防ぐことだってできます。
 
戦争のように人と人の争いではありません。これは人間とウィルスの戦いです。
ウィルスに詳しい専門家は世界にたくさんいます。実際に諸外国ではコロナウィルスの沈静化に成功している国だってあるんです。その一つがお隣の韓国ですよ。
だから日本も感染リスクを抑えた行動を一人一人が行じることができれば今のコロナ禍を乗り切ることだってできるんです。だから安心して、お父さんやお母さん、先生の言うことをちゃんと聴いて個人個人で対策していきましょう。
 
中にはもう既に隔日登校が始まっている学校もあるかと思います。久々の投稿のにちょっと焦ったりドキドキしたりしませんか?いつ始まるか分からない学校にちょっと焦りや不安を感じている子達がいるのではないかなと思ってここに投稿しています。
 
少なくとも言えることは、、、と言うかあまり言いたくないけれど今回のコロナ禍では皆不安に感じているかなと思うんだ。大人達が決めることって、とても急で、本当に子ども達のペースから見たら身勝手かもしれない。明日の休みが、明日は登校になることだってあるんだ。そう思うと皆が不安になって当然だと僕は思います。
 
このブログでは学校に対してちょっと距離を置きたい子ども達の目線で今まで投稿してきました。今後もそのスタンスは変えないです。だから安心して読んでください。
 
例えば、このブログを読んでいる僕が、私が、ちょっと不安になることとしたら、心の準備の問題だと思います。だって、いつから学校が始まるか分からないんだもの。心の準備の作りようもないよね。急に明日から学校が始まるよ!と言われてもそれはそれで、かなり不安になると僕は思うの。ニュースでは学校が始まって欲しいという子ども達の切実な声が流されているけれど、それは一部の意見だと思うんだ。始まって欲しいと思うことが当たり前で、当然な意見だとは思わないで欲しいの。このブログを読んでいる人たちにはたくさんの事情があると思うんだよね。その事情を抜きにして、急に学校に通いなさいと言われても心の準備ができていないよね。むしろびっくりしちゃうと僕は思うんだ。
 
だから、今、この家にいる期間の中でちょっとして欲しい行動があって
難しいかもしれないけれど家族との会話の機会を作ることをお勧めします。だって多分普段は仕事でいないお父さんやお母さんだってお家にいるかもしれないでしょう?
 
休みの日にちょっとだけ学校の話をしてみるのはどうかな。
ご両親は鈍感ではないはずだよ。子どものことをジィーーーっと見ているものです。
ちょっとでも変化があると、何かあったのか察してくれる良い機会かもしれないです。
家族と過ごす時間にちょっとした悩みをご両親に相談してみてください。きっと何かアドバイスをしてくれるんじゃないかな。少なくとも異変には気がついてくれるはず。
 
僕はね、学校て、本当に必要なのかな?と疑問を抱いています。
もちろん成績を出してくれるのは学校で、それで将来の進学に影響が出てくるのは確かです。でも最近はね、世の中も変わってきているんよ?成績や出身校、偏差値だけではなくて、個人の性格や個性を重視した社会に変化してきているの。無理して学校に行かなくても、得意とする分野があるならば、そこを伸ばしてみる教育だって増えてきているんだ。
 
寧ろ、この長期休みの間に、自分に向いていると思う将来を想像してみるのも楽しいかもしれません。それは学校以外でも叶えられる場合もあります。学校だって協力してくれる場合だってあるんだよ。思っていること考えていることを正直に言葉にしてみることでスッキリすることもあるかもしれないですね。
 
僕の考えは命より尊いものはないです。無理してまで命の選択まで考えることはないんです。自分が生きやすいように、これからの道を考える時間に今がなればいいなと考えています。ちょっと難しいかもしれないけれどね。その時はいつでもこのブログに相談してくださいね。待ってます。今日はこの辺で。
 
髙橋直之

休校に入って子どもたちの心境は?

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休みになるとどうも朝寝坊しがちな僕ですが…
こんにちは、たっきーです。
 
コロナウィルスが猛威を奮っていますね。
公共交通機関、官公庁、観光産業、様々なところにまで影響が広がっています。
ここでは日本政府から先日、学校の一斉休校が発表されてからの子どもたちの心境の変化について分析し、持論をブログに綴りたいと思います。
 
まず、一斉休校により学校が急に休みになったことで、子どもたちにとって予想もできないような休み時間ができました。一部の子どもにとっては残念でしょうけれど、やはりこのブログでフォーカスしていきたいのは学校に馴染めていないマイノリティの子どもたちの心情の変化を分析していきます。
 
突然の休みに、戸惑いの声をニュースなどで耳にしますが、一番心配なことは休みの時間をどう過ごすかです。不登校になってしまう多くの子どもは長期休み明けが多いことは過去のデータからわかっています。
コロナウィルスの休み明けにどのような措置が取られるかまだ明らかにされていませんが、不登校の予備軍の児童にとっては休み明けが不透明なのはとても心配なことです。
 
「もしかしたら、明日から急に学校にいかなければいけなくなるかも」
と毎日を怯えて過ごす子どもたちもいるかもしれません。
 
若しくは突然の長期休みから五月病を引き起こす可能性も否定しきれません。
そうした状況に、親は子ども達にどのように接していくと良いのか考えてみました。
 
以下3つの対策を考えてみました。
 
先ずは、第一に普段の生活リズムを崩さないようにすること
休みだからと平日に遅くまで寝かせてしまうと、体内時計が狂いはじめます。体内時計を規則正しく保つためにも休みの日でも普段通り起床を促すことは大事になってきますね。
しかし早く起床したからと宿題や自習を強いるのは禁物です。学校自体は休みなので本人の自己管理に任せて、勉強のペースは焦らせないことが良いと思います。
無理に勉強を強いてしまうと、普段通り朝に起床しなくなったり、意欲の低下にも繋がりかねません。飽くまで生活リズムの維持だけを意識して接するようにした方が無難だと考えます。
 
2つ目は、遊びたいという気持ちに応えることです。
普段、学校で友人と会話したり勉強して身体を動かすことで自然とストレスを発散しています。どうしても家の中にいるとそうしたストレスを発散しきれずにモヤモヤとして気分を溜め込みがちになります。コロナウィルスの対策として手洗いうがいを徹底し、公園に遊びに行く、友だちの家に行くなど、本人が外出したい希望があったら衛生面に気を配りながらも、なるべく前向きに検討して自由にさせてあげることが良いかもしれません。キャンプ場が人気で予約が例年よりも増えているという声も耳にします。人が密集する都心から離れて自然の中でリフレッシュすることも良い選択かもしれませんね。
 
最後に3つ目ですが、これが一番大事です。
コロナウィルスが猛威を奮っているニュースや情報をなるべく子どもに伝えることです。
なぜ、学校が休みになっているのか。休まなければならなければいけない状況になっているのか子どもに理解してもらうことが大切です。休みによって気が緩んでしまいがちです。休みだというと子どもは喜んだり、遊びたがったり、とても楽しいことだと考えがちです。コロナウィルスの感染拡大が原因であることをしっかりと理由づけすることで休みが、ただの休みで無く世界中に影響を及ぼしている大きな事件であることを、なんとなくでも理解させてあげることが大事です。そうすることで、子どもにとっても普段から衛生面に意識を持ったり、休みには理由があり、感染拡大のリスクが下がれば学校が始まるという動機付けもできます。なるべくコロナウィルスの情報をリアルタイムで共有するようにしましょう。
 
学校によってはすでに登校日数を普段より少なくして再開している場所もあります。
また学年ごとに分けて少人数で学校生活を始めている場所もあるそうです。
少しずつでも子ども達が自然な気持ちで、安心して学校へ通えるような環境づくりを学校側でも考え、実行されつつある時期に来ているようですね。
 
以上ですが、特に3つ目についてはまだ児童には理解が難しいところがあるかもしれません。しかし緊張感を持って休みの日を生活することで、学校生活と同様の意識で家で過ごす時間も過ごすことができるかもしれません。
 
大事なことは、学校を遠ざけてしまわないことです。
学校が何故休みなのか、そして休みの日でも緊張感を持って日々生活することで感染予防にもなりますし、学校再開後もギャップが少なく通うことのできる状態に整えることができると僕は考えています。
 
1日でも早く、安心して通えるような環境が整うことを僕は願います。
また、感染拡大を阻止できるように一人一人という意識ではなく、皆んなで頑張りましょう。
コロナに負けるな!!
 
髙橋直之

いじめを受けても

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ひとりぼっちで抱え込まないで

こんにちは、たっきーです。
 
今回の表題はストレートにしました。
そしてそのまま書きます。
 
僕は過去にいじめがきっかけで不登校になった経験がありました。
捉え方によりますが逃げちゃった訳ですね。
でも自分を守るための逃げはありです!僕は今でもそう思います。
 
逃げることに対して否定的に捉えている人が多くいると思います。しかし、逃げるというのは生きるための選択肢と考えたら有効だとおもうんです。
 
なんのために生まれてきたのか?
 
それは様々な回答のある問いですが僕は生まれてきたからには人生を謳歌してほしいなと考えています。
 
謳歌するとは、簡単に言ってしまえば楽しむということ。いじめや孤独感に苛まれているとしたら人生がもったいないとかんじるんです。いつまでもその境遇に耐え続けてストレスを溜めてしまっては人生楽しめていないことがもったいないと感じるんです。
 
だから、別の環境に移ること、逃げる事は恥ではなく自分の人生を豊かにするための選択肢だと考えてみてください。
そうすると敗走感はあまり感じないと思います。
 
生き方は人それぞれです。
僕は社会人で挫折を経験して精神を病むまで働き続けました。しかし、結果として精神病を患い2年間、露頭に迷い20代の貴重な時間を無駄にしてしまった気がします。
 
そこから学んだんです。
もしも自分に合わない環境だと思ったら自分の意思で環境を変えていい。自分の意思なのだから逃げでもなんでもないんです。
むしろ自分を守るため、人生を楽しむためのせんたくなんです。
 
だから、これだけは絶対にしないでね。
 
いじめを受けても決してやり返さないこと。
堪えろ!というわけではなく、同じように釣られて相手の挑発に乗ったら相手の思う壺だし、同じ立場になってしまいます。
 
殴られたって、殴り返さないように
侮辱されても侮辱しないように
 
じゃあ救いがないじゃないか!!
そんな時は逃げるが勝ちです。
 
無理してそんな相手や環境と付き合う必要はないですし、そのために自分の手を汚してしまったら味方がいなくなってしまいます。
 
これは自論ですが
どこかに必ずあなたの味方になってくれる人がいます。僕がブログをつづけているのも孤独感やいじめから耐えかねている人の味方になりたいからという理由もあります。
 
僕には過去、いじめを受けて
その事実を親や先生にも相談できずにひとりぼっちで悩み、考えた時がありました。
その時は本当に辛かった。味方がいないのもそうだし、自尊心の高い僕はなんとか自分のプライドを守ろうと取り繕っていました。
 
でも、今となってはプライドなんてどうでもいい。それよりも味方を作ることが何よりも自分という存在を認めてくれる。プライドなんかより遥かに強い証人ができること。
それを思い知ったんです。
 
そんな人が必ず同じ学校で同じグループにいる確率なんてとても低いです。器用ならば自らそうした環境でも仲間を作っていける。そうした力も将来的には必要だけど、スタートラインは一緒でもコミュニケーション能力の成長には差があります。元々そうした力に長けている人には有利な環境だけど、苦手な人にはとても苦しく感じると思います。
 
僕は苦手なタイプだったので
置いてきぼりのひとりぼっちの経験を繰り返していました。
あん時は辛かったし寂しかったなぁ。
 
そこで、僕は高校進学の時に環境を変えたんです。通信制の高校に通いましたがそこには多くのバックグラウンドを抱えた人がいました。似たような悩みや経験をしている人がたくさんいました。
 
最初は通信制の高校へ通うことをためらったけれど、今となってはたくさんの味方が出来て良かったと思えます。
また、通信制へ通うにあたって必ず通る関門は親への告白(そうだん)自分がいじめに遭っていたことやひとりぼっちだったことを理由に伝えなければならなかった。
でもその頃には自尊心もプライドもないボロボロの状態だった。もっと早くに相談すればフリースクールやホームスクリング等といった選択肢があったんだ。
 
だからボロボロになるまで、頑張り過ぎないで、耐えないで、本音を話す勇気はとても大きなものだけれど、耐え続けて耐え続けて自分を押し殺してしまうよりか気持ちとしては早く楽になれると思います。
 
いじめはひとりぼっちでは解決できない問題です。大人も子どもも同じです。
先ずは家族や先生に、それが難しかったら信用できる第三者に相談してみてください。よければこのブログへのコメントや僕への直接メッセージで相談でもいいです。
 
まずは、一人で悩まないでくださいね。
 
髙橋直之

失敗しないと成功はないんだ。

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こんにちは、たっきーです。
 
先日仕事に復帰しましたが、またヘルニアを悪化させてしまいました。出張先でカニ🦀を買ってしまったのが原因です。
 
家族が夜通し看病してくれたお礼にと買ったカニ…氷が溶けるにつれて地味に重たくなるそれを宅配を使わずに持ち帰ったのがダメでした。普通、宅配にするよね笑
図らずまたそれが原因でヘルニアをこじらせるとはなんていうか、僕はアホです。
 
そんな状態で悔しくもまたベッドから抜けられない生活が4日続いてます。自分の健康状態を過信してはいけませんね。
ちょっと良くなったからと無理は禁物ということを、また失敗から学びました。
 
僕は失敗からしか学べない人間です。
他人の意見というものを聴かない頑固さが故に起こす失敗がほとんどです。
 
傲慢というか、身勝手というか
とにかく自分でやってみて身を呈して痛感しないと学ばない節があります。一方で、その性格から行動派と周りから一目置かれる存在になったのは、頑固さを通り越したための副産物みたいなものでした。
 
自分が損するかしないかでは五分五分です。
ですが全てにおいて自己責任となるリスキーな手法でもあります。
 
リスクマネジメントを考えなければならない社会人としては僕は失格です。もう少し後先を考えて行動することが大事だと言われてきました。そして今もベッドの上で痛みに耐えながらアホだなぁ、と身に染みて学んでいます。
 
でも、元からこういう性格ではありませんでした。小さい頃は石橋を叩いて叩いて結局渡らない引っ込み思案な人間でした。自分に自信が持てていなかったのと、失敗を何より恐れていたからです。
特に誰かに嫌われたくないと気持ちを内側へと抱え込んでいく性格でした。今から考えたら正反対でしょう笑
 
でもその性格も自分が損するか得するかというと五分五分で、結局は自分を抑え込むのでストレスを抱え込む反面、面倒ごとには巻き込まれなかったという側面もありました。
 
でもねー、僕の場合は極端な一例で
自分を抑え込んでいた時期は辛かったし
たまに気持ちが爆発してコントロール出来なくて喧嘩してしまったり、気持ちを少しずつ表に出そうとしたけれど、それも下手で相手を傷つけてしまったり。いじめの原因を作ってしまったり、と中途半端な人間でした。
 
でも、それでも精一杯だったんだよね。
気持ちを上手くコントロールできないことや、相手への気持ちの伝え方が分からなかっったり、今となっては自分の特性なんだと理解はできたけれど、中途半端に自分を小出しにするくらいならば、自分の考えを貫こうという思考に変化していったんです。
 
それが、いじめが原因でひきこもり、ずっと一人で考え抜いた自分なりの防衛手段でした。もちろん、高校生の時に自由奔放に活動した分、その仇は大きかったです。
友だちに、これでもかというくらいに注意されました。
 
でも、それが僕にとっては社会勉強になり失敗から学ぶことを繰り返したことで、まだまだ頑固さのある角ばった意思ですが、学生時代という川に流されたり飲まれたりして、少しはまぁるい意思に変わっていったと感じます。
 
この文章で伝えたいことは
失敗してもいいから、学生のうちはどんな結果になろうとも社会勉強になるということ。
 
大人になってから失敗すると、直ぐに信用も失うし人脈もなくなります。学生のうちはまだその取り返しがつくというだけでも強みであるということ。
 
失敗して、絶望感を味わったり
友達を失うようなことがあったり
自分なんかいなくてもいい!なんて感じたり
 
そんな経験があっても大人になってからは、その全ての経験が活きてくるんだよね。
 
だから、もし今のあなたが失敗したり挫折を経験して辛い状況にあったとしても、それは将来成功するための過程であると考えて欲しい。難しいかもしれないけどね。
 
逆に考えたら挑戦も何もしなければ失敗も挫折だって経験しません。それだけ頑張ってきた結果だと、頑張った過程の自分を褒め称えてください。
 
そうして前向きに捉えることで次の一歩に前進できます。人間としても成長できます。
学生、てやっぱり良かったなと僕は未だに感じます。社会勉強がノーリスクに近い環境でできる。
 
失敗を恐れずにガンガン挑戦しちゃいましょう。あなたがやりたいことはなんですか?
小さいことでもいい、趣味でもいい。
何もしないよりか何かをした方が人生豊かになると僕は思います。
 
未だに失敗を繰り返し続ける僕からの言葉には説得力は薄いかもしれませんが、失敗した数と成功した経験値は誰にも負けません笑
 
これもまた頑固の現れかな、僕の悪い癖😋
 

夢というものがなくても

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際限無く広がる未来にワクワクできる自分になれたら人生もっと楽しくなるんかな
こんにちは、たっきーです。
 
僕って今は社会人しているけれど、学生の頃は明確な夢というものがありませんでした。
高校生の頃、描いていた自分の将来はというと国際人になり、世界を渡り歩きたいなぁ、とザックリ考えていたくらいです。国際問題と言えば話題が尽きませんもんね。
 
でも今の僕は社会人を一度挫折し、また再挑戦しようとしているのが現実です。
そう、夢と現実は大きくかけ離れたものになっていました。
 
それでも自分は、自分を否定したくないと考えています。
一度挑戦したことは、迷いなく自分の軌跡となっているんです。失敗や挫折、そうした経験が今の僕を育ててくれているんだと考えています。
 
周りには夢があっていいなぁ、と羨ましいと思う時もあるでしょう。
妬ましくも感じる時もあるでしょう。
 
でもさ、将来、自分がどうなるかは学生時代にどれだけの悩みや葛藤を抱えたかで変わってきます。その時は辛いはずです。でもその葛藤を乗り越えてこそ将来の自分があるのだと僕は思います。
 
明確な目標がないということは際限無く何にでもなれるともとらえられます。
 
夢はなくてもいい。
 
でも、迷いは沢山あった方がいいと思います。
例えば、自分には夢がない、それでも周りに影響されて迷って、自分の将来図を自然と考えるようになると思うんです。確かにピカピカな夢があり、目標がある人は羨ましいと思うし、青春しているなぁと感じることもあるでしょう。
 
それでも、仮に自分の中が空っぽでも周囲に妬ましさを感じないで欲しいんです。
夢や目標がなくてもいいじゃないか!だってそれは今から見つけるものではあるし、ちょっと遅れたって僕は良いと思うんです。自分のやりたいことが見つかった時、その時が自分が輝く瞬間であると思います。
 
夢というものがなくてもいいじゃないか。
 
それは見つけるもので、探すもので、元から描けている人は恵まれている環境だとわりきって良いと思います。
親の期待や自己実現の焦りから、夢は生まれるものではないと思うんです。
 
僕自身は、社会人の今になっても明確な目標や夢というものが見つかっていません。
フラフラしているなぁと思われるかもしれませんが、でも事実なんです。
僕自身夢や目標を描けていないのだから、それはそれで説得力がないかもしれませんね。
 
それでも、常に僕は夢を探し続けています。
たまには面倒な悩みを引き受けたり、自分自身で抱え込んだり、迷いを繰り返しながらも夢というものを探し続けていました。でも途中で思ったんです。
 
夢というものがなくたって良いんじゃないか?
 
自己実現という意味では、葛藤が残る部分がありますが、でも無理に夢という仮想の将来に囚われている自分もどうなのかなと思ったんです。夢なんてなくても良いじゃないか、それよりも、自分が楽しく生きれる人生を考えようと思えたんです。
 
あなたにとって楽しい人生とはなんですか?
 
たった一度しかない人生ですから、その人生を楽しまないともったいないと僕は思うんです。それを教えてくれた人が僕にはいました。人生一度きり!楽しむしかないっしょ!って。
 
無理に将来の夢を描こうとしなくてもいいんじゃないかな?
ちょっとフラフラしてみても僕は良いと思います。人の生き方に正解はありません。
 
自分自身が最終的に納得できればそれでいいと思うんです。
正解はないです。と同時に不正解もないんよ。つまり何をしても自分の責任ではあるけれども人生に不正解はないということです。
 
もしも、将来に困っているのなら
何にでも挑戦してみることだと僕は思います。
成功や失敗から学ぶことは大きいです。特に失敗から学ぶことはかけがえのない財産です。何が自分にとって正しい道か分からない、そんな時はガムシャラに色々なことに挑戦してみることが一番だと思います。僕自身、そうでした。
夢がなかなか見つからなくて、色々な方向に手を差し伸ばしていました。
実際、今も模索中ですが、でも無駄と感じた経験は一つもありません。どんな経験も今の僕にはとても欠かせないものになっています。もちろん、その中には失敗した経験も数多くありますが、それでもその失敗を次に活かせばただの失敗では終わりません。財産になります。
 
夢というものがなくてもいいじゃないか
 
逆にそれは無限の可能性を秘めている裏返しです。
自分には何ができるのか、可能性は常に無限大です。諦めずに挑戦し続けることで見えてくる目標があるかもしれません。
 
人生は最大の課題です。
自分のゴールをどこに定めるのか、とてもそれは難しい選択です。
でも失敗しても、成功しても、最終的に価値のない人生はないと思うんです。
みんな精一杯生きているからです。
 
その証が人生の夢や価値となると思うんです。
小さなことでもいい、みんなが総理大臣になれというわけでもないっしょ(笑
 
夢はつくるものでは無く、見えてくるものだと僕は考えています。
もちろん受動的ではダメです。能動的に動いてこそ、自分の目標が見えてくるものだと信じています。だから無理に夢を語らなくても大丈夫だよ。
 
そのうち、そのうちに、自分が頑張っていれば、悩み、葛藤していれば見えてくるものだから。予め用意された夢はないんです。
 
自分の汗と涙が、夢や目標になっていくんだと僕は今までの経験から感じています。
さぁ、あなたも探してみませんか?楽しい人生の過ごし方を。
 
僕たちはそれを応援したいです。
 
髙橋直之

心機一転しても過去とは地続きだけれども

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どうもどうも、enokiです。

 

もはや流行語大賞待ったなしの「コロナウィルス」ですね。

 

潜伏期間が27日とかいう情報もあって戦々恐々としていますが、手洗いうがいマスクくらいしか出来ないので半ば諦めています。

 

最近、乾いた咳がたまに出るので戦々恐々としております。花粉症もあるのでどちらともいえませんが。(花粉症はくしゃみなんだよね)

 

とにかく、お気をつけて。

 

今回は社会に出てみて思う事について書いてみたいと思います。

 

結論から申し上げますと、新しいことを初めても誰もいない未開の地に足を運んでも、その生活のどこかで過去と繋がりがあるということです。

 

これは外から繋がりを感じる時もあれば、自分の中から繋がりを感じる時もあります。特に今は自分の内から繋がりを感じています。

 

人生の物事は色々ありますが

・突発的、刹那的なこと

・積み重ねていくこと

だいたいこの2つな気がします。

 

突発的とか直感的なことでうまくいく事もあれば、どんなに挑戦してもダメなことってありますよね。

 

どんなに挑戦してもダメなことって、積み重ねとか継続だと思うんです。

 

失敗して覚えるというか、ゲームだとしんで(ゲームオーバーになることで敵の動きを)覚えるから「しにゲー」とか言ったりするらしいですね。

 

最近、アセットとフローという言葉を覚えました。

 

アセットは資産という意味で、

フローは流れとか一定期間のお金の流れみたいな意味です。

 

センスとか感覚はフローで、それだけでうまく行くこともあるんですけど。

 

最終的にはアセットがないと、手元に何も残らないんですよね。

 

だから、継続って大切です。

 

何でも良いと思います、ゲームでも漫画でもスポーツでも勉強でも。

 

何か1つ、これだけは誰にも負けないってくらい続けたものがあれば良いのです。

 

それだけで、社会で生きていけます。

 

例えば、バイオハザードというホラーゲームがありますが、どれだけ早くゲームクリアをしてエンディングを迎えられるかという競争のような遊び方があります。それをRTAといって、世界中の人たちが遊んでいます。

 

遊びなんですけれど、工程を考え抜く必要があるんですよね。まずは、どこでどのアイテムを取ってそのあとどうする、ってゲームクリアまでの工程を考えて、それに沿ってゲームをプレイするんです。

 

実はそれって仕事でも必要な能力なんですよね。業務には締め切りがあるので、どうやって処理するかスケジュールを組むんです。

 

もしあなたが1つでも続けているものがあるのならば、将来に応用できるはずです。

 

もし何もないなら、割と長くやっているとか、比較的好きだと思うことでも大丈夫です。

 

結局、仕事も遊びも考えることなんです。

 

考えないで指示の通りにする仕事もありますが、それは身体を使いますよね。どちらも社会に必要な仕事です。

 

結論として言いたいことは、

 

やりたいことをやりましょうってことです笑

 

今しかできないことを今のうちにやりましょう。不登校なら尚更です。

 

他人の目なんか気にしないでください。他人を故意に傷つけるとか、犯罪になることはダメですけど。

 

不登校で10代のうちは、なんだってできます。私が不登校の頃は、大人になったらもっと自由だと思っていましたが笑

 

あなたのことを応援しています。

 

enoki

 

障がいを肌で感じる

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目に見える障がいと目に見えない障がい
こんにちは、たっきーです。
3月に入りましたね。晴れた日は暖かく、雨の日は肌寒く、春と冬を行ったり来たりしているような季節ですね。僕も少し風邪を引いてしまいました。
 
さて、今回は自分の今ある状態からブログを更新したいと思います。
実は2月の中旬から持病である椎間板ヘルニアを再発症してしまい、寝たきりに近い生活を送っています。椎間板ヘルニアとは、背骨の中にあるクッションが椎間板と呼ばれているのですが、何かの拍子にそのクッション(椎間板が)背骨に沿う神経に向かって飛び出してしまい、主に下肢に障がいを来たす病気です。僕の場合、右足の外側が常につっているような感覚で、人によっては針に刺されるような感覚を感じるそうで症状はまちまちなのですが、痛みから右下肢が動かせない状況で寝たきりの生活を最近は過ごしています。
 
実は発端は高校生の頃でした。
剣道の試合の際に腰を捻り、ヘルニアを持つ体質になってしまったんです。
一度、その頃も入院しました。高校時代は一度も休んだことのない僕でしたが入院したことで皆勤賞を逃してしまうことになりました。それ以上に大きなショックは足が動かせない不自由さを身を持って体感したことです。
 
皆さんは片足が動かせない気持ち、って理解できますか?
 
僕は入院するまで理解できませんでした。したつもりでいても、片足が動かせないだけでADL(日常生活動作)が著しく阻害されてしまうことに初めて気づかされました。
 
そして今、また持病のヘルニアが再発して寝たきりの生活を送っています。
忘れかけていた、不自由さを改めて痛感しました。身体に障がいを来たす気持ちは改めてなってみないとわからないものなんだと感じました。
 
僕はADHDという知的障害を抱えておりますが、目に見える障がい(身体障害、一部を除いて)精神障害も身体障害も自分自身で自覚してみないと分からない気持ちがあるのだなと思います。
 
僕は今、杖をついてやっとのことで歩行しています。
先日、病院へ行く際にバスに乗りました。優しい方が僕に席を譲ってくれました。
杖を持ってぎこちなく歩く姿に僕が障害者であることが分かったのでしょう。
日本ではそうした光景を良く目にしますし、自分も健康な時は席を譲るように心がけています。でも目に見えなければどうなのでしょうか。
 
改めて僕は精神障害という壁にぶつかりました。
ヘルニアで病院を受診した際に自分がADHDの薬と抗うつ剤を摂取することを伝えると、精神科から薬(鎮痛剤)を処方してもらうように言われました。
理由は抗うつ剤などによって鎮痛剤の効き目が悪くなる可能性があるとのことでした。
 
しかし、僕はそんなに歩けるような余力はありません。
精神科は予約しないと受診することができません。
 
鎮痛剤の処方は先送りになり、結果として痛みを堪えながら寝たきりの生活に近い状態を今も続けています。
 
専門家の違い、それもあるでしょうけれど…
僕は納得がいきませんでした。とにかく痛みを抑えたいのに鎮痛剤が処方されない
 
精神科の薬とはそれほど副作用の強い薬なのだと改めて実感しました。
そして僕はそれを処方されていたことに、その時になって不勉強ながら知ったんです。
 
精神に病を抱えている場合、外見からはとてもわかりにくいです。
でも、とても精神障害による身体へのストレスは心身ともに大きなものであると実感しました。
 
以前、僕が紹介したASD自閉症スペクトラム)であることを外部に伝えるためのカラフルなパズルで構成されたリボンを紹介しましたね。

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着けるか着けないかはご本人の自由だと思います。でも認知度の低いものでした。精神に障がいを抱えていても心身に与えるストレスは大きいものだと僕は痛感したからです。

心にも身体にも影響を及ぼします。認知度のまだまだ低いリボンですが僕としては広まりを見せて欲しいと願うものです。それは精神だけでなく身体にも影響を与えるからです。
症状はこちらも人によりまちまちですが、人によっては虚弱体質、過呼吸など、とても辛い症状を持ち合わせている人もいます。それ故に障がいとして世間に広く認知されて欲しいと僕は願うんです。
 
そして専門家の間(医師の間)でも情報連携がスムーズに執り行われることも願います。
自分は専門外だからではなく、外科だろうが内科だろうが、精神薬の知識を身につけた先生が多くなることを僕は望みます。
 
精神薬というものはやはり、副作用の強い薬として、専門家(医師の間)でも敬遠されがちです。身体に生じた障がいに対して同時に対応できるように僕は精神薬の適切な対処法の広まりについても願いたいと感じる今です。
 
なかなか辛いです。
精神薬を飲んでいるが故に鎮痛剤が処方されないので、毎晩、痛みから耐えています。
精神科にかかりたくても家から遠くてなかなかかかりつけられないのが僕の事情です。
いつになったら緩和するのでしょうか。
 
僕はただひたすらベットの中で痛みから耐えながら現在は自然治癒を待っています。
いつになるかな…不安は積もる一方です。
 
先ずは、改善したら精神科への受診、そして整形外科への受診と二段階の流れが必要です。それがただ一歩踏み出せないのが僕の現状です。
 
障がいとは、やはり肌に感じて初めて分かるものです。
足が片方動かせないだけで、これだけの苦労があるのかと気づかされます。
障がいは程度に寄らず平等に周囲に認知され、世間の理解を精神障がい、身体障がいともに広めることが大事だと改めて痛感しました。
 
髙橋直之