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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

10年前の僕に手紙を書くとしたら②

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両親へ手紙をかけたなら
こんにちは、たっきーです。
今日もこのテーマでブログを更新していきます。
 
題材が前回と同様の『10年前の僕に手紙を書くとしたら』としていますが、今回は10年前の僕を支えてくれた先生や家族に宛てて手紙を書いてみたいと思いました。
 
今までの投稿でも家族や先生、友人へも迷惑をかけていたことを赤裸々に綴ってきました。でも当時の僕(10年前の僕)に現在の僕が憑依する事が出来るならその時の対応も選択も大きく変わっていたかもしれない。そう思うと取り返しがつかないようなことをしたなぁ、と時に罪悪感に苛まれる時があるんだ。
 
でも過ぎてしまったことは仕方のないことで、前回のブログにも書きましたが過去の軌跡が現在の僕を形成しているんだ。10年前の僕に現実を強いるのはあまりにも酷な話でもあるし、10年前、引きこもりだった自分もよく耐えて頑張っていたなと思うんだ。
だから繰り返しになるけれどね、責めないであげたいんだ。
 
今回のブログは引きこもり方を抱えるご家族やその周囲の方へ向けた内容です。
 
大分前に書いた記事の内容だけどさ、母に当時の僕に対してどんな心境だった?と問う機会があったことを話しました。「どうして良いか分からなかった、手を差し伸べても部屋に引き籠る一方で何も出来なかった」そう母は僕のことを振り返っていたんだ。
 
そう、家族て辛いと思うんだ。引きこもりのご本人も何かしらの理由があって社会から距離を置いている。でも家族も気が気ではないと思うの。だって家族だから…
 
将来のことも心配になる
親は子より先に旅立つ、その先でも子が一人でやっていけるのか
 
悩みは絶えないと思うんですよね。身近な人がそんな状況だったら本当にどうしていいか分からない。焦りや心配に苛まれる。家族が悩む、頭を抱える。僕も10年前を振り返ってみてもそうだったよ。
両親が僕への対応について毎晩のように喧嘩していた声が聞こえた時期があった。なんて親不孝なことをしていたんだ。と今振り返ると頭が痛い。
 
そんな気持ちを10年前の両親に宛てて僕が今思う精一杯の気持ちを手紙にして言葉に認めたいと思いました。今は亡き父さんには読んでもらうことはできない、母に先日、この気持ちを伝えたんだ。そうしたら母は泣いて「お前は今もよく頑張っているよ」とそう語りかけてくれた。その時の会話を今から言葉にまとめます。
 
26歳の僕、母へ
『僕が引きこもりだった時、色々と迷惑をかけてごめん。父さんと喧嘩する声が自分の部屋から聞こえてくる時があった。その当時の僕は自分のことで精一杯で何もできなかったし、ただその地獄絵図のような場面から逃避したくて毎日のように困らせていた。本当にごめんなさい。でもね、母さん、一つだけ言い訳をさせてください。僕だってその当時は将来のことが不安で不安で仕方なかったんだ。何をしても上手くいかなくて、学校に行けばいじめられてしまうし、外に出れば誰かが噂をしていないかと、おどおどしていたんだ。でも、それでも親にもらったこの命を絶とうとした時期もあったけれど、でも、引きこもりながらも、なんとか自分の身を守っていたんだ。負けそうになる。本当にこの世から逃げたくなる日があった。でも、その当時の自分は精一杯で一人で部屋ん中で考えていたんだ。そして今の僕がいるんだ。悩みに悩んだ経験から、人として人の痛み、親の痛み、それらに気づける大人になることができたんだ。今も尚、心配をかける時があるけれど、でも過去を悲観したくはないんだ。あの頃たくさん迷惑をかけたけど、その分、心の豊かな人間になれたと思う。まだ何も成し遂げていないけれどね…でもこれからも見守っていてほしい。「どうしていいか分からない」その通りだと思う。でも僕は悩んだ分、強い大人になれた気がするんだ。過去が今の僕を強くしている。だからあの頃は決して無駄な時間ではなかった。心配はかけるけれどどうか見守っていてほしい。』
 
自己都合的な発言が多いことは承知の上だった。
でも母へ伝えたかったことは今の僕は立派に成長しているということだった。
確かに当時は迷惑をかけた、けれどその分だけ僕も悩み現実逃避と現実を行ったり来たりしながら悩みながらも自分の道を今まで歩んできたんだ。
 
引きこもりや学校に馴染めなくてなかなか社会参加できないお子さんが増えていることは年々増加傾向にあるというデータがここにあります。
 
 
でも、今は学校以外でも子どもの可能性を引き伸ばしてくれる場所が増えています。
教育の多様化です。頭が良いだけが現代社会では評価されません。心の痛みの分かる人間、人を尊重できる姿勢。様々な点が評価される社会です。
 
学校へ行かない=人間として成長できない
 
そういう時代は終わったように感じます。それを今の僕が体現しています。
実際に今も勤め先も決まっており、引きこもり時代はありながらも、大手企業に新卒で入社することもできました。社会が求めている人間はテストの点数が取れる人間だけじゃないということです。
 
お子さんが学校に馴染めなかったり、悩み、苦しんだ経験だって、それは将来的には大きな価値となります。人間として人の痛みが分かるというのはとても大きな価値です。それが評価される時代が到来しています。僕の母は実際どうしていい分からなかったと振り返った。それと同時に僕も実際にどうしていいか分からなかった。分からないなりに通信制の学校に通わせてもらい、一人でも多くの人間関係を築こうと奔走した。
 
最終的にはご本人が選択するんです。
 
もちろん、楽に行きたいから、楽な生活へと選択させては元も子もありません。
父が厳しく僕に叱咤した。それも僕には大きかった。言われる僕も辛かった。でも現実を見せてくれたから危機感を感じた。でも危機感をあまりにも強く感じ過ぎてしまったら今の僕はいないだろう。現代は学校以外にも選択肢はある。
 
子どもの成長の場とはどこなのか?
 
今日のブログはこの辺りで失礼します。
次回のブログでは学校の必要性について問うてみたいと思います。
ちょっと更新に時間がかかるかもしれませんが、また次回もよろしくお願いします。
 
髙橋直之