giveyourvoice

不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

精神障がいの壁①

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ありのままの自分を書きました。
今僕は26歳になりました。新卒で某大手外資系IT企業に就職
最初は研修で必死だった。何が大変だったかというと
 
マルチタスクが苦手なんよ
ある一点のことに集中して作業することは得意
でも同時多発的に何か問題が生じると頭が真っ白になって
対応できなくなってしまう。
 
あとは何度注意されても誤字脱字が直せないこと
これは二重三重のチェックを自分でしたけれどもどれでもメールには一文字か二文字の誤字脱字。これが結構致命的で、IT業界の中でもサーバーメンテナンスなんかを行う部門にいたんだけれども100ページや200ページにもわたる設計書を編集しないといけない作業があったんだ。読むのも大変だけど、システム更新毎に編集しなければいけないんだ。その時に誤字があるとサーバーに影響が出て大きな損害になることがある。上司もお客様も大目玉で怒るのも当然だよね。
 
そして、同僚からも上司からも自分が社内で周囲から浮き始めていると感じた
 
学生時代は許された小さなミスも社会人では許されない
卒業論文なんかも今読み返すと誤字脱字だらけ、許してくれた先生、本当にすみません。
 
責任を持って仕事をするって、僕には難しかった。姿勢はもちろん責任を持って仕事をしているつもりでも、なかなか成果に出せず結果、それが負担になりストレスとなりうつ病を再発させてしまった。
 
休職している間、過去と同じことを繰り返したくないと思った。
部屋に閉じこもっても誰も助けてくれない、だから少しでも外に出て
ハローワークに行ったり、病院へ通院して体調を整えることに専念したんだ。
 
そんなある日、転機が訪れた。
 
「好きなことに熱中してみたらどう?」
僕は車を運転することが好きだった。「そうだバスの運転士に小さい頃憧れていたな」
泣け無しの貯金を叩いて自動車学校に通い大型に種免許を取得することを目指そうとした
失った自信を取り戻すために、そして前に進むために。。。
 
でも、簡単ではなかった。
第一の試練は自分が精神障害者保健福祉手帳1級に認定されている事から自動車学校に入校するのも簡単ではなかった。警察署へ行き、運転免許試験場へ行き自分が運転できる体調であることを医療機関から証明を受けた書類を提出しなければならなかった。
許可が下りるのかビクビクしていた、決めるのは行政機関だから下手したら普通免許すら剥奪されてしまうかもしれない、大きな賭けだった。
 
幸い許可証を発行してもらうことに成功し自動車学校に入校した。
でもそこでもマルチタスクが苦手な自分はマニュアル車の運転に慣れるのに苦労した。
二種免許証はプロドライバーの証。運転ができれば良い訳じゃない、道路状況の把握、社内の確認、防衛運転(事故を防ぐ運転の徹底)世の中のバスの運転士さんはスゴイ!て思ったよ。なんとか3週間かけて自動車学校を卒業、そしてに種免許試験にも合格した。
 
そして初めての転職をした
貸切観光バスの会社だった。ここまでは努力でなんとかなったけれど、努力ではどうにもならない精神障害の壁が僕を待っていた。
精神障害を抱える人はバスに乗務できない。
入社2ヶ月を経つ頃に、どこから調べたのか上司からそう通告された。
デビューして間もない頃だった。夢の運転士、観光業界、それを叶えた嬉しさから
 
一転して僕はまた無職になった。
 
もちろんそうだよね
精神障害を抱えている人が安全な運転ができるのか?
一人なら寧ろ、旅客の命を預かる重積がある。
会社はそのリスクを抱えることができないと判断したんだろう。
 
必死に掴み取った免許、バス会社への就職
でも僕は後悔はしていない、自分に自信を取り戻せたから
今はまだ26歳という若さを武器に、また新しいことにチャレンジしたいと思う。
 
でも障害者の壁はとても厚い
そのように最近は感じている。ADHDうつ病どう付き合っていくか真剣に今は自分という向き合う反面、つらいなぁぁぁと感じることもあるかな。
 
新しいチャレンジ、そう!!そうだ!!
履歴書に書けないけど僕には経験がある、過去にも今にも悩み、苦しみを抱えて居る
そんな経験を活かしたいと考えるようになった。
そんな折にenokiからblogに誘われ記事を書くことで相談のプラットフォームを作れないかと考えたんだ。
 
続)
 
髙橋 直之 タッキー