giveyourvoice

不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

普通の生活がなにより

f:id:giveyourvoice:20191126012135j:plain

普通の生活が何よりの幸せだよ
僕には91歳になる祖母がいます。
若干、認知症の傾向があるんだけど繰り返しで無職になった僕に
よく僕に話す事があるんだ。
 
「普通の生活ができていれば十分だよ」
 
普通てなんだ?
祖母は少し古風な考え方をするが、僕は理解ができなくもない。
何も突出している所がなくたって、人並みの生活が保証されていればそれだけで
 
「人生儲けもんなんだ」
前にブログにも書いたが、人は生きているだけでも価値があると
それはその通りで、無職であろうと、引きこもりであろうと必死に足掻いて今を生きているのならばそれは十分、人生を謳歌できているのではないかなぁ
 
と僕なりに共感し、祖母の言葉を理解してみた。
 
自分が不利な立場にあったり、不公平な立場に感じた時、皆さんはどうしますか。
僕は逃げました。その繰り返しだったように思う。
 
端から見たら格好の悪い生き方だし人生だ。
でも26歳という若さでまだ、その時点で、それを格好の悪い人生として総合的に評価して良いのだろうか。僕はこの先も長く生きたい。人生100年時代と言われるように、不器用に学びながらでもいいから長生きしたいと今は思っている。
 
振り返ったら失敗や人様に迷惑をかける連続の人生だった。
でも僕はそれを無駄にはしたくないんよね。
そんな僕でも未だにお付き合いしてくれる友人知人が居て、人生の財産だと思う。
 
このブログでは、直向きに自分の思ったことをそのまま書いているんだ。
もちろん気をつけていることは、ブログを読んで人を傷つけるようなことはしたくない。
ただ、反対の意見や言及されることも、あるだろう、それはそれで良いと僕は思う。
 
少なくとも普通の人生を歩んできたとは言い難い
小学校、中学校と引きこもり、なんとか高校大学へ進学したものの
せっかく就職した企業にも僕は辞めてしまって無職になっている現状だ。
 
履歴書や職務経歴書を転職活動で書こうとする度に現実を浴びせられる。
でも、祖母は一貫して同じことを僕に言うんだ。
 
「普通の生活ができれば十分だよ」
 
祖母の求める普通とは何か、昭和の時代を生きてきた祖母だから
家族を作って、家があって、子どもができて
そんな世界を描いているのかな?戦争を経験しているから、今という時代がいかに恵まれているかも祖母はよく理解している。
 
僕は最近、気がついた事があるんだ
無駄にプライドが高かったこと、負けず嫌いで弱みを人に見せたくない性格なこと
 
それが自分を一番、苦めていたんだと気がついたんだ。
助けを正直に求める事ができたり、協力を得ることさえできれば、
回避できた失敗もあったのかもしない。
 
僕は自分が発達障害だという事実を認識したのはあまりにも遅かった
でも、それも言い訳にはしたくはないんよね。
 
それまでしてきた失敗は失敗で、迷惑をかけた事実は事実なんだ。
26歳なんて人生では、まだ折り返し地点に来ていないところもいいところだ。
そんな僕にブログで偉そうに語れる資格はないが、ここに書き留めていることは自分の心の中身の一部なんよね。弱点を自己理解して次につなげること。
 
過去に経験したことも学びに変換できたらこれ以上に価値のある学びはないと思う。
祖母の願う「普通の生活ができたらいいよ」
 
そこにいつたどり着けるのは、いつか分からないけれど、分からないなりに
直向きな姿勢で、一つ一つ取り組んで行かなきゃいけないことは確かなんだよね。
不器用と言い換えてもいいけど、なんか違う、それじゃ言い訳になってしまうから
僕は僕なりに今まで学んできたことを、これからに活かしていきたいとそう考えているよ。
 
等身大の自分で目指せる普通の生活をね
 
髙橋直之