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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

言葉のちから②

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言葉に救われ、言葉に傷つく
このテーマについて記事を書かせて頂くのは2回目です。
今回はこのテーマについて少し深掘りしていこうと思います。
 
言葉(会話)、SNSや手紙に書き込む文章
言葉って様々な表現方法がありますよね、今回はその中でも「話すこと」会話について焦点を充てていきたいと思います。
 
言い放ってしまったことは矢のように相手の心に刺さるもの
告白であれ、ケンカであれ、友だち同士の他愛のない会話でも言い放ってしまった言葉は不可逆で必ず取り戻すことができない。ということを今回は伝えたいんだ。
 
僕はどうしても衝動的に発言してしまう癖が治らなかった。
大学生になるまで何度も友人に注意され(いや今でもか)
それを繰り返していく中で正しい言葉遣いを学んできた。小学生や中学生の頃は衝動的な発言が仇となって周囲から孤立してしまったことは言うまでもないね。
親に対してもそうだった。ひきこもりの時は思春期真っ盛りだったから親に対して何度も傷つけるような発言をしてしまったことに後悔していることがある。
 
ノートでも、紙でもいい、用意してみて。
それを押すと凹むでしょう?人間の心てそれくらい繊細で薄い…とまではないけれど形を変えやすいものであると僕は思うの。そしてその凹んだ形を戻そうとする力が生まれる。
その凹んだ部分が弓でいう弦のようなものであると思う。
そこで言われて凹んだ部分→凹んだ心(引いた弦)を勢いよく戻そうとして咄嗟に強く言い放ってしまった言葉は矢のように鋭く、相手の心を打ち破ってしまうことがあるんだ。
これがよくある現場は、主にケンカをしている時でしょう。一度傷つけられた心には修復に時間もかかるし、下手したら修復できず、関係すら崩壊しかねない危うさをあるんだ。
 
僕は何度か口げんかをして言い放ってしまった言葉に後悔することが幾多もあった。
尊い絆を失うことになったこともあったし、未だに修復できていない関係性もあるんだ。
 
何故だろう?
 
僕は過去にいじめを受けて言葉の暴力には散々嫌な思いをさせられた
それが故に言葉の扱い方には細心の注意を払っていたつもりだった。でも衝動的に突発的に発言してしまうことが今でも治らないんだ。過去にあれだけ嫌な思いをしたのにそれと同じことを繰り返してしまう自分に嫌気が差すこともある。
 
本当に咄嗟の一言を抑えられるか、抑えられないか、それによってこれからの人間関係で苦労するかしないかは大きく変わってくるのではないでしょうか。
社会人で最も多い悩みは人間関係に関する悩み、退職理由においても上位に昇るほど多くの人が悩んでいる人間関係。本当に難しいですよね。
 
それって実は、咄嗟の言葉遣いが大きく影響しているのだと思うんです。
日本語ってすごいよね。漢字一文字で気持ちを表現することができるんだ。
それだけ表現力に富んだ民族なんだよね。確かに外国人との会話ではフレンドリー、オープン!と言った感想を聴くけれど、日本の文字文化にはリアクションや表情などを加えなくても言葉における意味の比重が重いからこそ外国人とは違うコミュニケーションになっていると思うんだ。
 
よくね、外国語で話している時は気持ちが大らかになるという人がいる
それは多分日本語にはない、文字に込められた意味以上に、リアクションやボディランゲージを用いて自分の思っていることを日本語よりもソフトに且つ本音に近い言葉で伝えやすいからではないかな?て思うんだ。
 
横文字を縦文字に直すと妙に重く感じたりしませんか?
はたまたスゴイ違和感に感じたり。
 
例えば僕が出勤に使う路線に
シーサイドライン」というのがあるんだけれど縦文字にしたら「海の側の電車」
うーーん。「シーサイドライン」の方がいいよね。ソフトいうかなんというか、スゥーっとネーミングとしてはいいと思うんだよね。例えば自分の苗字を横文字に変換してみるのも面白いよ。「緑川さん」なら「グリーンリバー」みたいな。実際になんか、どこかにそんな名前の川がありそうだなと、多義的に想像が浮かぶよね。
 
そう、日本語と外国語の違いは、言葉のもつ意味域の差だと思うんだよね。
日本語は意味がとても狭いが故に漢字、カタカナ、平仮名それぞれ使い分けるよね。
特に漢字は持つ意味が最も狭義である。故に漢字の持つ力はとても強いんだ。
 
そもそも論になってしまうけれど、人は会話の中で意味を知覚するために会話の中でも文字変換をする。例えばさ、英語を話す時も日本語に訳したがるのが初心者の特徴だよね。それは意味を自己知覚するために必要な工程なんだ。
 
それと同じことが日本語での会話の中で起こっているんだよね。
 
「それどういうこと?」
「何を意味しているの?」
 
喧嘩をしている中でも確認するでしょう?
そしてさらにヒートアップしていくなんてことはありませんか?
 
コミュニケーションは言葉でのキャッチボールとよくいうね
日本語てボールで例えるのならば軟球と硬球があるけれど、どちらかと聞かれると硬球だと思うんだよね。硬球でキャッチボールするととてもグローブに重みを感じませんか?
バシっ!バシっ!とこんな感じにね。
 
研究者や語彙力に優れた人はよく横文字を使いたがるでしょう?
都民ファースト」とか正に良い例え
 
よく横文字使うよねぇ、どっかの都知事さん……
格好つけたいんじゃなくて、言及を避けたいんだろうなと思う。
そうすることによって、無駄な批判を回避することだってできるからスゴイ!!
 
日本語てつまり文字に込められた意味が豊かなだけあって、発言や会話にとても敏感なんだ。それは僕ら日本人にはどうしても捨てることのできない民族性なんだと思う。
それを理解上で発言をしていかなければならないと考えるとちょっと重く感じちゃうよね。
 
でも、それくらい重い言葉なんだよ。
それを意識して相手に伝えるべきか伝えないべきしっかりと吟味する必要があるんだ。
意味に富んだ私たちの文化だからこそ、言葉の持つちから(意味)を再認識したいね。
 
人間の心は本当に紙のように薄くてすぐに凹んでしまうんだ。
そこに硬球を投げつけるんだから、優しくオブラートに包むように伝えることで
自分も守ることができるし、相手を傷つけることも少なくなるのではないでしょうか?
 
特に喧嘩をしている時なんて意識することは難しいかもしれない
人間同士だもの、でも常日頃から言葉のちからを理解することで優しいキャッチボールに変えていけるのではないかな?そもそもケンカもしなくて済むし、誤認識も避けられるかもしれないですしね。うーーん、これを書きながらも筆者は常に言葉遣いに悩みを抱えています。衝動的に発言してしまう自分をなんとか治したいんだけどなかなか治せないでいる自分にヤキモキしていたりするんですよね。
 
僕自身も抱える課題でもあります。
 
髙橋直之