giveyourvoice

不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

学校は本当に必要なのだろうか(enoki)

 

f:id:giveyourvoice:20200110222703j:plain

どうも、enokiです。
 
あっという間に1年が過ぎて2020年の1月も、
瞬く間に過ぎていくんだろうなと思います。
 
インフルエンザも流行っているみたいなので、
体調管理には気をつけてくださいね。
 
さて、今回は、
以前のタッキーの記事と同じテーマで、
私の視点で書いてみようと思います。
 
似ているところもあれば違うところも
あるかもしれませんが…。
 
ぜひ両方読んで頂いて
御意見を頂戴出来れば幸いです。 

 

学校は必要なのか?

先に私の結論を書いておくと、
「学校(義務教育)は必要である」という事です。
 
ただ、既存の“学校”というものが崩れているので、
時代に合わせて変化する必要があるのだと思います。
 
あなたにとって、学校はどのような存在でしょうか。
 
それぞれの立場で違うかもしれませんね。
 
例えば保護者の立場で学校教育よりも
予備校や塾に重点を置いて、
 
学力という点で考えれば
進学校以外は心許ないかもしれません。
 
あるいは、自分自身が学校が嫌いだったとか。
 
違う視点で考えれば、
義務教育として保護者が子どもを
学校に通わせるのは義務ですし、
 
そこで学ぶ社会性や創造性というものは
塾や専門学校では得難いものかもしれません。
(部活動の連帯感とか達成感とか協調性など)
 
子どもから見れば、学校に行くのは
友達と会いたいからだとか、
好きな授業や行事があるからとか
色々あると思います。
 
または、行きたくないかもしれません。
 

もしも“学校”に行かなかったらどうなるか?

私は中学校の半分以上の時間を
不登校として過ごしました。
母校の教室には通わずに別の学校で
別室登校をしていました。
 
そこで友達も出来て、
それなりに楽しく過ごしました。
 
それでも、“学校に行かなかった”という過去は
心に残ります。
 
もちろん、私一人の体験で
不登校全体を語るわけにはいきませんが、
同じように感じる不登校生もいるはずです。
 
学校に行かなかった不登校という事実は、
自分自身の中にも、社会的にも残ります。
 
その良し悪しは別として、です。
 

“学校”に行かなくても良い時代?

 今は文科省や各種関係団体が
動きを重ねて、
適応指導教室に通うことでも出席が
認められるようになりました。
 
フリースクールも学校によっては
出席が認められています。
 
学校に行かなくても、
学校に行った(出席している)と
みなされるようになりました。
 
それは良い事にも思えます。
実際、メリットもあります。
 

適応指導教室フリースクール)による変化

 ・変化しそうなこと
 
既存の“学校“から適応出来ない生徒が減る事で、
教員の負担が(ほんの少し)減って
残った生徒に注力出来る
(可能性がある。…出来るとは言ってない)
 
不登校生達は、自分と同じような境遇の他の生徒と
関わる事で、相互理解という体験が出来る可能性がある。
 
・気になること
 
根本的な”不登校“の解決にはならないのではないか。
 
私が疑問に思うのは、
それは根本的な解決にならないということです。
 
適応指導教室で出席が認められるならば、
それは適応指導教室フリースクール)=学校です。
もしそこで不登校が現れたらどうでしょうか。
 
否定したいわけではありません。
私もそのおかげで今があると思っております。 
 

不登校不登校

不登校者数は右肩上がりで伸びています。
つまり、適応指導教室に通う児童生徒も増えるでしょう。
 
それはただ場所が変わっただけの“学校”ではないでしょうか。
 
集団の中で起こる“いじめ”や不登校になる“何かのきっかけ”が、場所を変えて発生する可能性がないとは言い切れないと思います。
 

不登校になる原因”は自然災害のようなもの

私は実際に“いじめ”を受けて、こうして大人になって。
思うことはどんなに良い人でも“いじめ”に加担したり、
あるいは悪い人だと思ってたのに助けてくれたりする。
 
物事は思っているよりも複雑で、姿を変えます。
時と場所、その人によって違って見えます。
 
場所を変えようとも台風や地震のように襲ってくる。
だから土砂崩れの対策をする、
耐震構造にするとか予防策が必要だと思います。
 
あるいはそこに住んでいる人の防災意識を
向上させなければ、
 
いくら自治体が動いてもその時に
逃げ遅れてしまうかもしれません。
 
何が言いたいかと言うと。
 
不登校を根本的に解決するには予防策と
人々の意識を整えていく事が必要だと思うのです。
 

結論として“学校は必要”

予防策と人々の意識を変えていく事は
民間だけではかなり困難だと思います。
 
それこそ官民協力が必要不可欠です。
 
しかし今の比重を見ると(私の主観でしかないけれども)
NPOや民間に頼っているのではないだろうかと
感じてしまいます。
 
そもそも予防策なんてったってどうすりゃいいのって話です。
 
私が中学生の頃、
部活の顧問が上級生にいじめられていました。
 
少し前に教員同士のいじめがメディアに
取り上げられていましたね。
 
どこもかしこも、余裕がないと感じます。
 
でもだからといって、
学校や行政が民間に不登校対策を丸投げしたら
民間は“避難所”を作るだけで精一杯だと思います。
 
教育の多様化や個性を伸ばす教育というものが
広がっていく事は大切だと思います。
 
それを前提としても、公立も私立も
学校教育法で定められている“学校”が
本来であれば対応するべきではないでしょうか。
 
その“学校”に行かなかったという事実が
本人の心にも社会的にも事実として残ろうのであれば、
 
いくらその他の外部機関が頑張っても、
本当の意味で登校した事にはならないと思います。
 
国や自治体が“学校”を時代に合わせて
変えなければならない時になったという事だと思います。
 
私は現場や学問の場でも一生懸命に子ども達の為に、
日夜努力を積み上げている教員の方々と知っています。
(そうじゃない教員もいますけれども…残念ながら)
 
だから現場のみならず、
国や自治体、地域や
保護者の協力も必要です。
 
正直、私が申し上げた事は
理想論に近いと思います。
 
だから、私自身も具体的に
こうしたら良いという答えが
目の前にあるわけではないです。
 
このブログを通じて、
その答えが見つかれば良いなと思います。