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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

自暴自棄にならないように試してほしいこと

他己の評価を優先していませんか?

 

ご無沙汰しております。たっきーです。

暫く、心労によりブログを休止しておりました。皆様お元気ですか。

季節の変わり目です、体調にご自愛くださいね。

 

さて今回のテーマは「自分を評価する力」

私自身、なかなか難しいと感じて今まで生きてきました。隣の芝は青く見えるように、他社の秀でた部分が目立ち、自分を過少評価してしまうことも多々あります。

 

しかし、それって自然な思考だと私は考えています。寧ろ他者を評価し敬うことは大切です。時として自身の目標(メンターのような存在)にもなりえます。他者の行いを通じて成長するものです。子どもが両親の行いを真似して言葉やマナーを覚えていく過程に似ていますね。ですので自然なことだと私は考えます。

 

でも思春期を過ぎて、大人になるにつれて人の行いを見るだけでは成長に限界があります。また、他者を評価できるようになるのです。それはテストの点数による能力の差や自我が確立されていきます。自分は自分、他者は他者というように認識できるようになるからです。

 

心理学の話になりますが、マズローの欲求5段階説というものは皆さまも一度は耳にしたことはあるのではないでしょうか。

 

引用元:https://www.pbm555.com/blog/12009/

 

成長につれて欲求は上のステージへ進みます。思春期や大人でぶつかる欲求の壁で所属欲求と承認欲求が厄介な壁だと今振り返ると感じます。

 

さて、話を戻します。他者を認識し、他者を尊敬することはとても良いことです。自己の成長の過程においても大切なステップであると私も認識しています。しかしこの時、忘れがちなのは自己承認です。自分の能力・特技(つまり良いところ)が心の死角になってしまいます。そうすると、諦めや、劣等感「自分はダメだなぁ」と言うように自分で自分を過少評価、最悪の場合自己否定にも繋がり兼ねません。

 

私が不登校になったのも自己否定の連鎖で自分自身に自信を失くし、「僕はダメな人間だ」と殻に閉じこもったのが一つの原因だったと今だから考えられます。しかし、その時の自分は辛く、悲しい現実ばかりを想像し、外の世界から離別したい一心でした。

 

思春期の場合、自己承認はご家族や友人の支えが大切です。まだ精神が未発達な状態且つ不安定な時期ですから。それにテストや恋愛等、自分の能力や容姿の現実を次から次へと叩きつけられます。大人の場合は金銭的に余裕がある場合は行動範囲も広く、趣味等でストレス回避ができるかもしれません。しかし思春期の子は行動範囲も事実上狭く、コミュニティも大人と比較して広くありません。習い事や趣味、フリースクールも一つの手段化もしれません。登校拒否や不登校でお困りのご家族様も苦労されているかと思いますが、できる限りコミュニティを広げてあげることで、他者から評価されるチャンスも増え自己承認ができるようになるかもしれません。平たくお話しすると選択肢を広げてあげることが子どもの成長を助ける方法の一つかもしれません。子どもへのアプローチについては別の記事でも紹介しておりますのでぜひご一読ください。

 

さて、大人の場合はどうなのか。

僕も今、絶賛悩み中ですね~。でも悩んでいるからこそ、見えてきたことがあります。それが自分を誉める勇気です。(そんな表題の本がありましたね)

でも、アプローチが違います。

 

皆さまに三つの質問をします。

①自分の特技や趣味はなんですか?

②好きな人はいますか?

③最近楽しかったことはありましたか?

 

一つでも回答出来たら、それはご自分でしか体験できない特別なことです。もちろん他の人と被ることもあるかもしれませんが、それは一旦置いておきましょ!

 

先ずは小さなことでも出来ることをご自分の出来ることを評価し認めてあげることです。もしかしたら、それは他者にとっては羨ましいと思われることがあるかもしれません。

 

これは突飛な小話ですが先日、友人と「僕は○○ができる」と紹介した際に○○が出来るブランドで勝てないと感じるのは何?という話をしました。結論、「僕はバイオリンをつくることができる」が最強!!て話でまとまりました。居ますよね。某有名アニメ映画の登場人物に・・・そんなこと言われたら惚れてまうやろーーーっ!!

 

って言う小話でした。

でも、趣味は娯楽にもなりますが腕を磨けば周りから尊敬されたり、感謝されることもあります。自分の出来ること、小さなことで良いんです。タイピング速度が速い、釣りが好き。ギターをコード引きできる。歌が上手い。車の運転ができる。マンガが好き。

 

僕から見たら好きなことに没頭できる人が羨ましいです。マンガについて熱く語る人が居て、僕はそこまで没頭できる趣味がないなぁと思いつつも、食い入るように聴いていました。誤解しないで頂きたいのは自慢話ではないということ、自慢話ができればこの記事のテーマは既にクリアです。それだけ自分に自信があるということですから良いと思います。でも自慢話のし過ぎは、ちょっと...ね。

 

もしも今ぶつかっている壁がある場合は、ベクトルを変えて違うことにチャレンジしたり行動してみることです。限られた環境やコミュニティの中では人間はストレスを抱えやすいです。自分を肯定できなくなったり、自信を失くしたりする。サイクルです。

 

心に余裕ができると自己承認はしやすいと思います。なぜならば抑圧から解放されることで自分らしく過ごせる時間をつくりやすいからです。自分らしく、大切なキーワードです。皆さんは「今、自分らしくすごせているなぁ」て感じたときはありましたか?

 

もしあった場合、それがご自分の個性であり、他の誰にもないモノです。

その感覚を大切にできたらいいですね。

 

僕は先日、同級生と伊豆までドライブ旅行してきました。

その後、仕事や家事にも普段以上に身が入るようになりました。

 

2023/6/24

髙橋直之

 

 

言葉のちから②

こんにちは、たっきーです。
以前にも投稿したメッセージです。
 
でも、言葉にするって難しいですよね。
相手を説得するには…。それが両親であったり友達であったり
自分の気持ちを言葉にして相手に伝えるのは難しいものです。
 
だって、このブログですら、一言一句、綴る言葉も選んでいるのです。
でも、文字だけでは伝えられることには、限界があります。
 
できるのならば、講演会やシンポジウムのように直接お話しできる場が欲しいのですが、まだまだ私にはそうした機会は少ないです。
 
文字と口頭で伝える言葉では大きな違いがあると思うんです。
何故なら、口頭ならば感情をより伝えられると思うからです。
 
でも、中々、口頭で自分の気持ちを伝えるのは勇気が入ります。
僕は不登校の時、親に対面で口頭で自分の本心を伝えることができませんでした。
後になって、ようやく手紙で「自分はあの時こうだったんだ」と伝えられたんです。
 
でも、手紙では伝わり切りませんでした。僕の文章が言葉足らずだったのか…
「甘い考えだと一蹴されてしまったんです」
 
手紙に綴るだけでも勇気がいったのに、理解してもらえなかった。
とても、ショックだったなぁ。
 
その時は、親に対して過去に迷惑をかけたと思う謝罪と、自分が学校に通えなかった気持ちを伝えたかっただけなんです。でも文字の力は本心と違う内容、誤解を招かざるを得ないリスクがあると知りました。それ以降はどうせなら対面で自分の言葉を整理して、メモ書きでもいいから、親に話す時はなんとかシナリオを作って話して気持ちを言葉に乗せて口頭で伝えたんです。
 
手紙は一方通行、口頭で相談した時は、色々と訊かれましたが自分が悩んでいたこと、辛かったことを親の元に届けることが、なんとかできました。
 
もちろん話す時は、支離滅裂に近いような言葉。
でも、幸いながら僕の両親は聴く耳を持ってくれました。
 
だからなに?
口頭で気持ちを伝えることが大事なんだと言いたいの?
 
違うんだ、その過程が大事だと思うの。
手紙でもいいと思うし、自分なりの言葉にして相手に伝えようとする意思が大事だと思うの。
 
友達と喧嘩をした時
親に言いづらいことがある時
 
学生は多感な時期で、僕はプライドが高かったから中々、本音を言葉にできなかった。
もしかしたら思春期で言いづらい事や、悩みをうちにひめている人がいるかもしれない。
僕はそうだった、だから皆がそうだとは言いません。
 
ただ、経験談で同じような境遇にある人がいたら届けたい言葉があるんです。
 
それが
『言葉のちから』
 
私はRAYさんと言うレゲエのミュージシャンが大好きです。個人的にですが。
でも歌にすると自然と歌詞につられて自分の思っていることを体現してくれているように感じたのです。
 
僕の話に戻りますが高校時代に演劇と出会い、大学までの6年間を演劇に投身してきました。何故なら、自分の気持ちをセリフに込めて発信できた時、心のわだかまりがスゥーっと弾いていったんです。
 
最近のドラマですが柴咲コウさんが主演の『35歳の少女』を観たときに似たようなシーンがあり、共感しました。親子喧嘩の場面で謝る際にニュースキャスターになりきり手紙を読むと言うシーンがありました。
 
伝え方は人それぞれですが、手紙でも、なりきりでも、有名なアニメの名言を引用しても良いのです。それが自分の気持ちに近いものだったら、他の人が使った言葉でも多用しても良いと思うのです。何故なら語彙力に乏しい学生の時期、僕は演劇から多くの語彙を学び様々な伝え方を学びました。
 
誰かが使っていた言葉でも、それが自分の意志に類似しているのならばドンドン使ってもいいのでは?と僕は考えます。ただし、自分で文章でも手紙でも相手に対して正直に思う気持ちを伝えることが大事だと感じるのです。
 
僕は『言葉のちから』を信じています。
力関係が故に発言しにくい立場の人もいるでしょう。
 
いじめの相手
親に対する意見
先生に対する疑問
上司に対する不満
 
上下関係や力関係が生じている場面では、発言もしにくいでしょう。
勇気も必要でしょう。
 
でも、そうした場面でもあなたを守ってくれる社会です。”ハラスメント”と言う言葉が現代では多く多用されていますね。良いんです!力関係が生じるのならば誰か、又は第三者機関に相談して、あなたの発言権を守ってくれます。
 
自分は弱い立場だから発言できない…
諦めないでください。疑問に感じたら現代はネットで様々な情報が収集できます。
そうした機関を後ろ盾にすることも悪いことではありません。
 
みんなに平等に与えられている発言の権利なんです。
言葉のちから、伝えられない時は何かに頼っても良きです。引用もありです。
 
気持ちを伝えられるのが、唯一は言葉なんです。
ジェスチャーや姿勢と言った方法もあるでしょう。どうか諦める前に、自分の気持ちを整理してください。最初は支離滅裂でも良いんです。ノートに書く、そして手紙に書く、カンペを作っても良きです。伝えることが大事だと思うのです。
 
何故なら、あなたの気持ちが伝えられるチャンスだから。
どうか諦めないで、自分は諦めていた時期がありましたが、後悔しました。
何故、あの時にこの気持ちを言葉で伝えられなかったのだろう…
 
後になって後悔するなら、今のご自身のお気持ちを尊重して欲しいのです。
もちろん、言葉はたまに刃となり相手を傷つけるリスクもあるでしょう。
 
言葉選びはとても慎重ですが、場面や年齢、立場に応じて必要な制限もありますが
先ずは伝えられない立場にある人に対して、僕は、いくらでも方法があるのだと今回のブログではお伝えしたかったということです。
 
発言できない立場でしたら、僕にでも、親い話せる人に相談することも有りです。
どうか、ご自身の中で抱え込まず、言の葉に載せて相手に言いたいことがあれば伝えられることを願っています。抱え込むのは辛いです。痛いほど経験してきました。引きこもりだった時に…伝えられない、ノートにも綴れない、そんな日々で気持ちはぐしゃぐしゃでした。でも、現代は助けてくれる第三者機関が必ずあります。このブログ然りです。
 
行動より言葉が強いと私は考えます。
何故なら、行動に起こして結果を出すには労力が必要だからです。
言葉にすることで、相手に伝わる可能性はとても高く早いと思うのです。
 
どうか、抱え込まないで
ご自分の意志、気持ちを尊重して、言葉にして観てはいかがでしょう。
環境が変わるかもしれません。変わらないかもしれないけど、伝えることによりあなたの意志は発信されるんです。それによりご自分の望む生き方の達成や環境を得るチャンスになるかもしれません。
 
言葉のちから
 
どうか、良き方向で使って頂きたいです。
 
 
髙橋直之

自分の弱さを認める勇気

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弱い僕がいるから、強くなろうと鼓舞できる。

「寒いね」と言えば、「寒いね」と…
俵万智さんの短歌が頭を過ぎる、季節は11月になり今朝は寒くそれでも、自分の側に誰かいると暖かく感じる。人と人との繋がりは大切だ。
 
でも僕はこう言うけれど、元々は人見知り且、対人恐怖症のような時期があった
「僕はプライドの塊だった」
 
小学生のある日、ケガをしてしまった僕は運動をやめた。
食べては寝て食べては寝て、体重はあっという間に100キロ越え
体格を揶揄されて、悔しくて喧嘩して言い返したら、その一部始終しか見ていなかった先生は僕を叱った。元々、友だちも多くは無かったし味方をしてくれる人は少なかった。
口べたで、ケンカも弱ければ、運動もできなくなり、なかなか落とせない体重。
次第に家に引きこもるようになっていったのもその頃かな。
 
一度、休んでしまうと学校へ通えなくなる。
時間が経てば経つほどに学校にも行きにくくなるんだよね。
だって、一度逃げてしまったら、「負け」を認めるようなもの。だから自分のプライドが人との接触を更に遠ざけていったんだ。
 
プライドなんてそんなもの!
 
今はプライドも何もないんだ。だってもう勝ち負けが人生じゃないし。
悔しいなら、負けるなら、自分が強くなるしかないと、気づいたきっかけがあった。
 
高校へ進学した時に自分よりも(比べるものではないけれど)苦労や辛い過去を持つ仲間と出会った。そして友だちになった。その当時まで持っていた勝ち負けやプライドと言うベクトルで関係を築こうとすると、友だちを否定することにもなるし、自分も否定することになると感じた。多感な時期に人との出会いは自分の考え方や捉え方を広げてくれた。
 
引きこもっていた自分の心が、その原因のプライドというものが薄れて行った。
 
何故なら、人の痛みを知り、挫折の経験はより人間を強くしてくれる。
挫折や失敗、その当時はとてもじゃないけれど、何度も逃げたくなった。
忘れよう、逃げよう、でも学校、社会でも残酷で挫折や失敗から直ぐに放たれることはなかった。だから、自分でどうにかしなきゃ、と
 
でも、高校生になって強みができたのは友だちが僕の救いになってくれたこと。
自分でどうにかしなきゃ、ではなくて相談することを覚えたんだ。
 
相談相手も大事で、自分が感じた失敗による喪失感や絶望的な気持ちを受け止めてくれる人。その当時、周囲にはそうした経験をしてきた仲間がたくさん居た。だから、初めてそれまでの体験してきたことを理解してくれる。受け止めてくれて、自然とプライドやコンプレックスが薄れていったんだ。うーん、気にしなくなった…が正しい表現に近いかも。
 
それからは正直になれた気がするんだ。
コンプレックスやプライドに囚われて、自信を無くすようなことが少なくなったんだ。
 
今振り返ると、自分で自分を追い込んでいたような感覚だった。
両親は、世間の目や、周りの子”ふつうの子”と比べて僕を叱咤することもあった。
それは両親だって、困ったと思う。どうしていいか分からなかったと思う。何故、周りの子と一緒にできないのかと、比べてしまうのは必然だと思う。だから攻めるつもりもないし、両親には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 
そんなことより、やはり自分のプライドが原因だった。
自分の心だ。周囲と比較して人生の勝ち負けにこだわり諦めていた自分の心が学校からも、社会からも自分の足を遠ざけた原因だと今だからこそ振り返れる。
もちろん、当時の幼い頃の自分にはそんな心の余裕もないし、原因は自分にあると悟った時も過去の自分を攻めるつもりはないよ。
だって、その当時、それが精一杯だったんだもの。だからこうして記事を何通も書けるのかもしれない。体験したからこそ、その人にしかその苦しみはわからないでしょう?
 
辛かったね。
頑張ったね。
 
そのような言葉をかけてもらうこともシンポジウムや講演会を行う中で講聴者から声をかけられることがある。もちろん共感してもらえたことは嬉しいけれど、僕が求めていることはこのブログでもそうだけれど、自分の過去の慰めではないの。
 
ブログを読んで頂いたり、シンポジウムの参加者の中には、似たような経験の渦中にいる人が中にはいらっしゃるの。その人にぜひ僕の失敗談をバネにして頂きたいです。
 
このブログのほとんどのエピソードは恥かしながら、失敗談だ。
でも過去の失敗が自分の今に活かされていることはたくさんあるんだ。
 
大人になってからやっと過去の自分を肯定できた。
だからこそ、恥ずかしいと感じたことでも記事に書けるんだよ。
 
だから自分で言うのもおかしいけれど、僕の心は鍛えられたよ。
ちょっとやそっとじゃへこたれない、ある意味の頑固者であるかもしれないね笑
 
でも学校や社会で挫折しただけ、糧になっていることは確かなんだ。
乗り越えれば、乗り越えるほど自分に真っ直ぐ向き合える。
 
僕は不器用な人間だ。
もっと効率的な学び方があるでしょう。
思われるかもしれない。でも失敗からしかまだ学べないのは僕の欠点であり強みだ。
一度失敗したら、2度目の失敗はしない。失敗しても失敗しなくなるまで何度でもやってみせる。
 
そのモチベーションの根っこにあるのが、過去の自分があるからなんだ。
今だって人見知りは正直変わらない、克服しようとしたけれど、バレないようにはなれたけれど未だに対人恐怖症はあるのかもしれない。でもいいじゃない、長い目でそんな弱い自分とも、一緒に上手く付き合っていこうと思う。
 
 
 
髙橋直之

可能性の芽を伸ばせ

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芽はやがて成長し幹となる。自分の芯になり得る可能性の芽だよ

僕は何度も失敗を重ねて、そこからしか学べなかった。
故に多くの人に迷惑をかけてきて、未だに堂々と人と接することができるかと言うと正直不安の連鎖だよ。
 
時間は不可逆で待ってくれない。身体は成長し、大人になっていく。精神的にはまだまだ未熟だしどこまで自分が、社会に貢献できるかも未だに手法すら見えていない。
 
でも、一つだけ変えたくない指針があるんだ。
迷惑をかけてきた分、人の役に経つにはどうしたらいいか。
誰かの支えになれる活動の一歩として、このブログを始めて自分の体験談を元に認めてきました。そこには偏りがあるでしょう。だって僕の経験だけだもの。もちろん、他の人からのアドバイスも織り交ぜているけれども、最終的に執筆するのが僕だから。
 
正直、毎回、配信して良い内容であるのか不安だ。そして恥ずかしい。
過去の経験を世間に暴露するようなものだもの。SNSとも連携し、実名を公表している。
それ故にここでの発言には、責任を伴う訳で、嘘はかけない。
 
だからこそ、生の
生々しいような過去を事実として、書き続けているんだ。
背水の陣とまではいかないけれど、今までの経験から、仕事にも支障が出たこともある。
全く知らない誰かが、自分が精神障害者であることを知られる、不安な気持ち。
 
でも、だからなんだ!保身じゃないか。
もしも、このブログを続けるならばできる限りリアルな体験談を書きたい。
その一心で90もの記事を書き上げてきた。
 
節目である故、今日はちょっと心にしまっていたことを告白しようと思います。
 
それは、高校生までずっと親にも友だちにも、学校の先生にも仮病を使って学校へ行かなかった、行けなかったと言う事実があることです。
 
仮病を使った理由は学校へ行くと、どうしても自分が浮いてしまい。
省かれているような、露骨にいじめのような体験を受けて僕は逃げる方法を模索していました。そこで浮かんだのが仮病だったんだ。同窓会で二十歳になった時に担任だった先生に再開した。その時、「休んだ理由は本当はなんだったの?」と訊かれ仮病である事実を伝えた。その時先生は、寂しいような、悔しいような表情を浮かべていたのが今でも心に過るの。
 
何故、自分は虐められている事実を
学校へ行きたくないと言う気持ちを両親や先生に正直に伝えられなかったのか。
 
プライドだった。
 
多感な時期である。そして成長の真っ只中である中、成績、身体能力、全てが数値化されて評価をもらうのが怖かった。だって休んでいる以上、オール1だもの。
僕の場合、言いたくても言えない、助けを求めたい、そうした気持ちではなくて、周囲から比べて自分が劣っていることを突きつけられプライドを傷つけられるのが怖かったんだ。
 
そして、僕は中学生時代は部屋に篭る日々が続いたの。
現実逃避をする為に、本を読んだ。ゲームもした。でもちっとも楽しくなかった。
罪悪感と将来の不安に駆られながら僕はその当時を過ごしていたんだ。
 
本当の自分の気持ちをカミングアウトするのは大変だった。
僕の場合プライドだけれど、中にはコンプレックスの塊や、傷ついた心を癒す為に心を閉してしまう人もいると思うの。だから、理由は本当に人それぞれで不登校の課題を解決するには難しい。現場の教員も多くのタスクを抱えて教育現場は疲弊している。
 
その中で、どうやって心の扉を開くの?
僕は開けなかった。解決策として、本人が胸の内を打ち明けることが1番の近道だと思うの。近年はフリースクールやデイサービスといった、ケアサービスが増加傾向にある。
 
そこでね、これを読んでいる学生や社会人の方に向けて伝えたいメッセージがあるの。
僕は後悔したことなんだけれど、何故、もっと早く両親に胸のうちを伝えられなかったのだろうか。先生に相談できなかったのだろうか。理由は明白だ。プライドが邪魔をした。負けず嫌いなのは今も昔も変わらないけれど、弱みを見せる勇気が当時はなかったんだ。
 
そう自分の弱みを晒すのはとても勇気がいることだと思うの。
でもね、死ぬ勇気があるのならば、弱みを晒す勇気は十分あるよ。
将来も広がるしね。
 
何度も死のうとした。建物の屋上に立っては足がすくんで飛び降りれなかった。
 
そもそも死ぬ勇気ってなんだ、死ぬ勇気があるのならば、なんでもできる気がするの。
だって命を絶つか絶たないか。とてもじゃないけれど、そこまで追い詰めている人がいるのならば他意はなく純粋な気持ちで抱きしめたい。
 
あなたは1人じゃないんだよ。
だって周りには家族がいるじゃない。
家庭の事情で、そうじゃなくても行政で相談にのってくれる期間もある。
僕が学生だった15年前に比べて今はとても、ケアサービスが充実しているように感じる。
 
学校や会社が全てじゃない。
そもそも、この世界に、産み落とされたこの命を、奇跡だと思うの。
生きていれば、友だちとの出逢い、将来を共にするパートナーが今もどこかで生活している。いつ、どこで出逢うのかは分からないけれど僕はそんな奇跡的な将来に希望を抱いて欲しいの。
 
そして、学校や会社が全てではないと書いた理由は。
そもそも人生の大半は勉強する、働く、食事して寝る。のサイクルだ。
でも、勉強が合わない。仕事に恵まれない人も少なからずいると思うんだ。
僕は勉強が嫌いだった。仕事もちょっと嫌かな。
 
そんな時に考えるのは僕の人生、嫌な環境で嫌なことを強いられる場所で生きていくのはどうなのか。ある程度の教養は必要で、資本主義社会ではどうしても稼ぎが必要だ。
でも、苦手は苦手で吐露して良きと思うの。そうしたら、これからは令和の時代。
 
良い大学に出て大手に就職すれば安泰なんて社会的風習は薄れつつあるの。
じゃあ、今後は何が評価されるの。多分だけど。「あなた自身の個性」だと僕は確信しているの。趣味や好きなことが仕事になることもあるこのご時世だもの。
 
あなたは何をしたいの?
できないことはもう考えなくていいからさ。
 
苦手なことは苦手で、得意なものは得意なものであるんじゃないかな。
そこにフォーカスして伸ばす、伸ばせる環境を作って頂きたいのです。
 
悲観するよりも、できることから始めてみたらどうかな。
ゼロはゼロのまま。1に変える為には何が必要かと考えたら、自分の好きなことや特技を極限まで鍛え、追求すると良きではないでしょうか。
 
 
 
ちょっとずつ、そしたらワクワクしませんか。
行きたくないなら行かなくていい。でも自分の芽を探してみて。小さいことで良いの。
僕の場合、地図を見ると一瞬で方向が分かり、案内できた。そこから大学生になってツアーや旅行企画に興味を持って、未だにボランティアではあるけれどその活動を続けていて、生き甲斐の一つになっているんだ。
 
仕事や勉強だけが人生じゃないよ。
あなたらしさ、その芽を育み育てる意識を持ってみてはいかがですか。
 
髙橋直之

ひとりぼっちじゃないと言うけれど…

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孤独…寂しい…でも正直なあなたの心のサインだよ
こんにちは、たっきーです。
季節の変わり目は、温度変化がとても激しいですね。
先日、風邪をひきました。咳とくしゃみが止まらなくて、
マスクをしていても、街ゆく人は僕を避けて歩いていたように感じます。
 
風邪にしろコロナにしろ移されたら嫌ですものね。
 
僕は一人、その時は家族にも移したくないと部屋に篭り、病院以外は外出しませんでした。仕事はPCがあればなんとかなる。なんとかそこは繋ぎましたが、どことなく感じる孤独感に苛まれました。
 
ふと、その時に頭をよぎった言葉があるのです。
『孤独を友とせよ』
 
この言葉は頑張る時や、何か目標に挑むときに孤独というものはつきものです。
もちろん仕事やスポーツはチームでこなすものですが、個人の能力を高める為には人は自主トレしたり、一人で残業していたり、孤独は避けられないものです。
だから、強くなる為には、『孤独を友とせよ』という言葉が生まれたのだと思います。
 
でも、『孤独を友とせよ』という言葉には主語が隠れており
「”自ら”孤独を友とせよ」という事であると僕は捉えています。
つまり能動的に行う事。自らの選択肢の一つとして選ぶ手法であると僕は思うのです。
 
でも、孤独な状態に迫られている人もいます。
それが僕です。風邪を引いた、家族にうつせない、だから部屋に篭る選択肢を選ばざるを得ない。身体的な理由で孤独に晒される現実もあるのです。
 
今までのブログにも書いて来ましたが、私は自閉症スペクトラム症の中でもADHD、注意欠陥多動性の傾向が大きいと診断されました。
知るまでは、人間関係の構築に何度も苦労したことも、孤独を感じたことがあります。
 
先ほど、風邪を例に挙げましたが、精神的な部分は目に見えません。
そうした状況下にある人々は孤独感というものを一度は体験したことがあるのではないでしょうか。
 
僕は小学校と中学校と不登校で誰にも理解されず、親にも理解されず
ただひたすら自分の責任である。それは否定できないのだけれど、その当時はそれが故に孤独と寂しさに苛まれて生きた過去があります。孤独感から自殺願望すら抱いた時もありました。
 
「だって、こんな話誰も理解してくれないもん!」
「学校に行きたくない!勉強が苦手だ、でもそれが理由に行きたくないなんて!」
 
絶対に理解されないんだから
 
そう思って、独りぼっち部屋に籠もっていました。
先日、風邪を引いた時に過去の自分の体験を思い出しました。
 
悩みを話せず、理解されないとわかっていればいるほど、話しにくいもの
 
「ひとりぼっちじゃない」
そういう言葉をよく耳にした、本でも読んだし、歌の歌詞にもあった。
でも、僕は学生の時、孤独から抜け出せずに悩んだ過去があったんだ。
 
そもそも、誰に相談すればいいの?
みんな聴く耳を傾けてくれなかった…
「学校へ行くことは当たり前でしょ」それが子どもの役目
そう言われてしまうのがオチで、将来も悲観するようになっていた自分がいた。
 
そんな僕が手を出したのは行政が運営する、心の窓口だった
帰って来た言葉は、そうだ「あなたはひとりぼっちじゃないよ、安心して」
 
言うは易し、自分の境遇には全く触れてもらえなかった。
10年以上前の話だから今は対応が違うのかな?
 
でも僕は絶望した。、だって電話をかけるにも勇気が必要だった。
しかし返された言葉はその一言だった。
 
頭の中は真っ白で、世界にポツンと部屋に時間が止まったまま取り残されたような気がした。僕に将来はないのか、それならば一層、生きる意味などないのか。生きている価値はないのか。両親は毎日、僕のことで言い争い、熱りが冷めたと思ったら学校へ行けと言いに来る。「嫌だ」そう言いたいけれど言えない自分と、言いたい自分で夜は眠れずに葛藤していた。思い出せば、過去のこと…
 
でも、それを身に染みて体験して来た僕が言えること
 
”孤独はつらいよ”
 
ひとりぼっちじゃないと言うけれど、でもひとりぼっちになっちゃうんだもん。
マイノリティであればあるほど、日本は個人の考えを尊重する文化はまだ浸透していないんだもの。でも文化のせいなのか、そうしたら楽だけど解決には至らない。
 
だからこそ僕はこのブログを書いているの
もしも、今、孤独に、苛まれている人がいたら、
その人がこのブログを読んでいたらSOSを挙げて欲しいの。
 
大人になった今だから発信できる
それに、様々な対処法を僕は知っている。
 
対処法?
 
もう、自分の胸の内をぶちまける
それが一番いいの。理解されなくてもいい。でも自分の思いをぶちまけるだけで僕は心が少し楽になったんだ。両親の対応も少しずつ変わっていった…
 
もちろん勇気がいる
僕は恥ずかしながら泣きじゃくりながら両親にぶちまけた
これはただ事じゃないと察したのか、僕を落ち着かせなだめてくれた。
 
恥ずかしい、悔しい、自分が嫌い、でも、それが自分なんだもの
だから、ぶちまけたの、心のダムが崩壊しきっていたのもあるけれどね。
 
でも、その後に分かったの
”僕はひとりぼっちじゃない”
何故なら両親も悩んでいたことを僕は知ったんだ。
 
つまり、本音を話すことで繋がれる
仲間ができるんだ。
 
でも、本音を話すことは怖いし、社会人になればなおさら悩むの
 
でも、生きて
 
生きていれば、いつか仲間ができるから
一人じゃなくなるから。
 
将来?僕もわからない。
フリーランスで働いているけれど、そんなんで一生食べていけるなんて分からない。
こんな時代だけれど僕は思うことはただ一つ。
 
心のダムが崩壊してもいい、醜い自分でもいい
本音をぶつけることが孤独を抜けられる、一歩だと思うの。
恥ずかしいし、醜い自分かもしれない、でも受け入れてもらえたら楽っしょ!
 
僕はそう醜い姿も晒して、恥ずかしさも晒した、
でも、それでもそばにいてくれる人こそ本当の仲ではないのかな。
 
髙橋直之

自閉症スペクトラム症とは(障がい者とは)

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同じ人間なのに。一緒なはずなのに。
こんにちわ、たっきーです。
8月になりましたね。いよいよ僕の住むまちも梅雨明けかな。みんみんゼミが鳴く声が日に日に大きくなってきています。
また今年も暑くなりそうですね。皆さん熱中症にはくれぐれも気をつけてくださいね。
 
さて、今回の記事では自閉症スペクトラム症について医学的な知見と僕の体験談を交えて説明していきます。
 
なぜ、このタイミングで?
それは最近、脱サラしたことにより生活スタイルが大きく変化したことが要因にあるんです。フリーランスとしてやっていくには多くの行政手続きが必要で、僕を混乱させたんだ。届出には細かい内容まで記載が必要で人以上に書くのに時間はかかるし、誤字脱字も相変わらずで…
ある日、どうしても分からないことがあり、行政に相談したんだ。障害区分を記載する部分について尋ねたんだけど、精神障害については複雑なんだよね。
 
ADHDを理由に精神障害者保険福祉手帳を受けています。」
と僕が伝えたらADHDてなに?と逆に質問されてしまいました…税金に関わる内容なので障害区分の記載は慎重なのだろう。僕はいったんはそう理解して手帳とともに普段から持ち歩いている説明用のハンドブックを見せて説明したんだ…そう普段からADHDと伝えても、障害者手帳を提示しても疑問を示される場面が多々あるんだよね。
 
 
だって、
見た目は普通だし
会話も日常会話的なものなら支障ない。
(薬を用法容量守って服用している場合に限るけれど)
 
 
『一見すると他人からは障がいのある人間としては良くも悪くも見えないんだ。』
 
 
悪い方向に進むと行政手続きの場面ではしばしば疑いの目を向けられることが多かった。
通院履歴や投薬内容まで、聴かれることもあり、そこまで僕の個人情報を開示する義務は、条例や法律にもない。でも現実的には信用問題になるので僕は開示しているんだ。
 
つまり、まだまだADHDを含む自閉症スペクトラム症について社会的な認知度が低く、受け入れられていないのが現実である。と、痛感する日々でした。
 
前置きが長くなりましたが、今回改めて自閉症スペクトラム症について理解者を増やしたいと思いブログを更新いたします。
 
 
自閉症スペクトラム証では、「社会的コミュニケーションおよび対人関係」、「こだわり」の特徴が見られます。自閉症スペクトラム症は発達障害の一つであり、医学的には遺伝と環境の双方が関与して起こりますが、育てられ方が原因で起こるものではありません。つまり生まれ持ってきた先天的な障がいです。
また注意欠陥・多動症ADHD)などの他の発達障害や、他の精神疾患うつ病など)が併存していることも多く見られる傾向にあります。
日本イーライリリー株式会社(2017)
 
 
僕の場合、小学生〜高校生の頃は「社会的コミュニケーションと対人関係」に特徴が顕著にあったと、『今』だから振り返ることができます。
 
例えば、知り合ったばかりの人に対して距離感が掴めず執拗にガンガン距離をつめて会話していた。具体的には敬語で話させない。馴れ馴れしい会話等…etc
 
もちろん自然と浮いていってしまうよね。僕はクラスで最初は目立つ存在だったけれど、その後、「変わったやつだなぁ」「変なやつだなぁ」と揶揄されることもあった。
その時の僕の考え方はとにかく仲良くなりたかったんだ。でもあまりにも勢いが強過ぎたせいか人が持つと言うプライベートゾーンに土足で踏み込み、結果、近寄りたくないと思われてしまったのだと今は思います。
 
もちろん、それは当然のことで、変な人の元には近寄りたくないと思うのが人間の性。
だって自分にもしかしたら悪影響を及ぼすかもしれないと思った人と、あなたは友だち、または手を差し伸べたりしますか?
 
自閉症スペクトラム症とは、どうしても負の面が際立ってしまいがちなんだ…
だって外見ではどうしても見分けがつかないんだもん。
「変な人だな」そう思われても仕方ないと僕は今は飲み込めるけれど、学生時代はずっと、なぜ自分だけが嫌われてしまうのか、クラスから浮いてしまうのか非常に理不尽に感じていたし、虐げられるのがとても辛かった。
 
大人になって、仕事をするにあたって
  • 同期と馴染めない
  • 誤字脱字が直せない
  • コミュニケーションで事業に影響が出る
  • 職場での人間関係で悩む
 
学生では付き合う人間を選べたけれど、社会人になると上司は部下を選べないし、部下は上司を選ぶことができない。同期同士も選ぶことができない。万人との対人スキルが求められ僕は苦しみ、ある広告を見たきっかけで、僕は精神科を受診してADHDという特性(障がい)があることを認識したんだ。
 
学生時代は何とかなったけれど、大人になったら、所帯を持つ、新しい家族を養う
責任は重大であり、会社内では限られた人間関係の中で生き延びて行かなくてはならない。
 
そんな状況下、プレッシャーを感じて僕は初めて自分の特性に気がついたんだ。
 
そう、自分でも気づくのに20年以上を要したんだもの。
他人から見たら僕は発達障害を抱えているだなんて分からなくて当然だ。
 
でも、それが現実なんだよね。
 
うつ病を併発し、新卒で就職した会社は3年目で心身の故障を理由に辞めることになった。
 
自分が自分らしく生きるためにどうしたらいいか。
僕は今、自分自身と戦っている。新しい家族を作りたいが、差別の目を向けられる。
新しい就職先を見つけたいが、障害を理由に過去の実績に見合わない待遇を迫られる。
 
ここで考えて欲しいのです。
障害という言葉を発するのは自分ではなく第三者が多いんだ。
例えば、就職希望先の人事、行政上の区分、家族間の交渉…
 
そう言えば、自分から精神障がい者です。という機会は少ない。
あるとしたら行政手続きで障害者支援を受ける時くらいだ。
 
確かに僕は障害者控除や障害者手当なるものを受給している。
でも受給しないと生活に困窮するからなんだ。
 
社会は求める、健常者か障害者か
どっちなのかを…
 
尋ねられた時に僕は障害者手帳の交付を受けている以上、障害者として名乗らなければならない。でも、精神障がいの場合は見えにくいから疑念を抱かれるの…
この繰り返しです。
 
自分は一体、ナニ者なのか
支援を受けている傍ら、我がままかもしれないが僕はナニ者でもない。人間だ。
化者でもないし、変者でもない。人間として同等に扱って欲しい。
 
でも何故、区別されるのか。
自閉症スペクトラム症の抱える人々は本音では区別ではないと感じているのではないか。
もちろん自分の特性を理解した上で、その特性に応じて上手に付き合っていくべき発達障害だ。でもそれを受け入れて社会人として生活する人々に対して、果たして区別は必要なのだろうか。
 
支援が必要な人々には支援の手を差し伸べて欲しい。
でも、障がい区分て一体どの視点からの区分なのだろうか。
明日も行政手続きで区役所へ行くけれど、障害者とは一体何のために作られた言葉なのだろうかと疑問を捨てられずにいられないでいるんだ。
 
髙橋直之

夢が叶わない、経済困窮、でも将来の可能性は捨てないで。

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人生には分岐点がある。迷ったら引き返してもいいし、そのまま突き進むもいいのかな。

自分の意志で道を切り開いていけば後悔はしないはずだよね、きっと…

僕は中学生の頃、将来の夢として新幹線の運転士に憧れていました。
 
物心持つ頃から電車やバスが好きで、祖父や父に学校が長期休みになると電車に乗って、首都圏を中心に行ったことがない場所がなくなるくらい、色々と連れて行ってもらってました。
 
5才の時かな
祖父は柴又が好きで、帝釈天へ連れて行ってもらったり、父には東京の地下を網目のように縫って走る地下鉄を端から端まで乗せてもらったり。本当に電車が好きだった。
 
5才には寺社仏閣の価値を理解するのは難しかったけれど、それでも祖父はもの知りで、あっけらかんとしている僕に気づかず、歴史についてひたすら語っていたことを覚えている。そのせいか今では歴史好きだ笑
 
今、僕は27歳でIT関連の仕事をしていて高橋家の頭首として真面目に?働いている。
祖父も父も僕が学生時代の時に亡くなってしまったけれど小さい頃から世間の広さや厳しさを見せて教えてくれたことに、とても感謝している。
 
冒頭に書いた15歳の頃の夢は叶えることが出来なかったけれど、経験に基づいて今の僕の生き方に繋がっているように感じます。
 
15歳の頃は、いじめのトラウマから不登校になり家に塞ぎ込んでいた時期でした。それでも一丁前に将来の夢というものを確かに持っていたんだよね。
 
高校へ進学してからは、初めて学校が楽しい場所だと感じた。通信制でありながら毎日登校する、他の全日制高校と変わらない生活だった。今まで塞ぎ込んでいた分、生徒会や実行委員会などに積極的に参加して自分への自信をつけていったんだ。もちろん、最初は不安だったし、コミュニケーションも苦手だった。でもそこで出会った先輩に優しくアドバイスを頂けたし、行事に参画する中でかけがえのない一生もんの親友とも出会えた。
 
夢や希望を実現するためには成功体験を積み重ねて自分の自信を養うことと仲間が大切であると高校生になって初めて知ったんだ。
 
高校生の時に衝撃を受けたのは、国際問題について知ろうとする授業だった。その時に受けた衝撃はハンパなかった。今まで国内のこと、鉄道のことにしか興味のなかった僕だったんだけど、一気に世界へ視野を広げてもらったんだ。僕が中学生の時まで抱えていたトラウマを否定する訳ではないし、不登校になっていた僕の経験も大事だと思います。比べることではないのかもだけど
 
世界に眼を向けると、僕の抱えていたトラウマや将来への歩み方に大きな変化をもたらしてくれたんだ。
 
大学は国際系の学部へと進学した。休みには、バックパッカーとして世界アジアを中心に旅をした。あるゲストハウスと出会い僕はコミュ障を克服するためにヘルパーとしてそこで働いたんだ。外国人もよくお泊まりになる、もちろん日本人も!
そこで繰り広げられる会話はとても新鮮で内気な自分を解いっていってくれた。
 
そうしていく中で将来の夢が段々、変化していった。
①僕は観光を通じて世界中の人々の交流を促進するのもいいな
②人々が集まる空間、その土地の歴史や風土を残す景観づくりに興味を持った。
 
①は大学を卒業する前に旅行代理店に就職する予定だったのだけど、父が急逝してから家計を支えるには現実的に難しい。②は卒業する段階で必要な単位を取得できていなかった。そこで僕はIT起業へ就職して27歳まで会社で仕事をしてきたんだ。
 
僕は15歳の頃、まだまだ将来の希望を持つために必要とする知識がまだまだ足りていなかったんだ。だから自分の趣味の範囲で夢を抱いた。もちろん趣味を生業にすることも大いにアリですよね!僕は自分の好きなことを仕事にして輝いている人を見ているとすごく羨ましいいと思ったんだ、最近ね。
 
だから、どんどん夢や希望を持ってください!
目標ができたら自然と人間は動いていくモノなんだなぁと思うのです。
もちろん中々、興味を見出せないという人もいるかもしれません。
僕の友だちに何人かそれで悩んでいた人がいました。でも、そんな時は僕が①を実際に実行して人との出会い、まちとの出会いを広げるように連れ出しちゃっていました。
 
その時にできる僕の精一杯の働きかけがそれだったから。
興味を見出せなかったら、ちょと勇気がいるけれど何でもいいから思い立ったことをひたすら調べてみることはアリかもしれないですね。今はネットが使える社会ですから、家の外に出なくても情報は集められるもの。無理にしなくてもいいし、気が向いた時でいいと思います。
 
僕の人生は紆余曲折で、芯のある歩み方とはとてもほど遠い…
参考にはならないかもしれないです。
 
でもね僕がここでお話をしたいことは芯はなくても、僕は自分の意志で自分の人生の岐路に立った時に判断して今まで歩んできたんだ。中にはそうせざるを得ない選択を迫られた時もある。それでも受け入れて、ここまで自分の意志で選択して生きてきたんだ。
 
そして27歳、サラリーマンの僕は再び岐路に立たされたんだ。
①はボランティアでも達成できるけれど②は、本格的に勉強を始めれば、今からでも達成できるかも、と。
だって今の僕はサラリーマンでいる必要がないのだもの。ある程度の貯金もできたし、家計にも余裕が生まれました。それならば、もう一度挑戦を始めるならば、今かな?と
 
そして僕は27歳で脱サラを決意して、建築士を目指す道を選んだ。
 
 
夢って不思議ですね。そしていつ描いたっていいのだもの。
もちろん実現可能な夢かどうか現実と向き合って判断する必要はあります。
 
でも、何歳だって自分の希望は希望だもの。
叶えられるものなら叶えていきたいな。
 
 
これを読んでいるあなたはどうですか?
学生ならば将来の進路は無限大ですよ!ある知人が僕に諭しました。若さは最大の武器だ!ってね。若い時になら選べる進路もたくさんあるんだよね。素敵だな。
 
社会人だって諦めないでよ。もし自分に向いていないな…辛いな…
夢と現実のギャップもあるでしょう。
 
自分が向いていないと思う場所にとどまる必要はありません。
確かに昭和日本では会社員になり転職せずに出世街道を歩むことが美談とされた。
でもね、今は平成をすぎて令和の時代です。
 
団塊世代は何とでも言えるでしょう。
でも老後を考えるとさ、一途に会社員を続けることは今のあなたにとって幸せですか。
企業の大小を問わずに、会社も傾いてくる時代です。
その時に揺らがずにするにはどうするか、会社を立て直そうとする勇姿も必要でしょう。
僕はそこまで会社に忠誠心を誓うことができませんでした。
 
僕は僕の将来の夢という己に芯に真っ直ぐ生きようと選択したんです。
もちろん周囲からは心配される声、罵倒、社会的信用の損失、代償は大きかったけれどさ、でも一から積み重ねてばいいじゃない?なんて思ってます。
 
『何歳だって自分の希望は希望だもの。
叶えられるものなら叶えていきたいな。』
 
それを僕は体現できるようにしていきますよ。
有言実行、言葉は現実になる、とも言いますよね。
ちょっとした願掛けみたいに聞こえますね。でもそれは自分への頑張れ!と
コロナの影響、自分の特性で、身体障害で、経済的に困窮し先行きに不安を考える人へ
エールになればいいかなと今回のブログを書きました。
 
舞台は違えど皆んなで目標に向かって、なるべくなら前向きに考えて進んでみませんか。
 
髙橋直之