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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

夢が叶わない、経済困窮、でも将来の可能性は捨てないで。

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人生には分岐点がある。迷ったら引き返してもいいし、そのまま突き進むもいいのかな。

自分の意志で道を切り開いていけば後悔はしないはずだよね、きっと…

僕は中学生の頃、将来の夢として新幹線の運転士に憧れていました。
 
物心持つ頃から電車やバスが好きで、祖父や父に学校が長期休みになると電車に乗って、首都圏を中心に行ったことがない場所がなくなるくらい、色々と連れて行ってもらってました。
 
5才の時かな
祖父は柴又が好きで、帝釈天へ連れて行ってもらったり、父には東京の地下を網目のように縫って走る地下鉄を端から端まで乗せてもらったり。本当に電車が好きだった。
 
5才には寺社仏閣の価値を理解するのは難しかったけれど、それでも祖父はもの知りで、あっけらかんとしている僕に気づかず、歴史についてひたすら語っていたことを覚えている。そのせいか今では歴史好きだ笑
 
今、僕は27歳でIT関連の仕事をしていて高橋家の頭首として真面目に?働いている。
祖父も父も僕が学生時代の時に亡くなってしまったけれど小さい頃から世間の広さや厳しさを見せて教えてくれたことに、とても感謝している。
 
冒頭に書いた15歳の頃の夢は叶えることが出来なかったけれど、経験に基づいて今の僕の生き方に繋がっているように感じます。
 
15歳の頃は、いじめのトラウマから不登校になり家に塞ぎ込んでいた時期でした。それでも一丁前に将来の夢というものを確かに持っていたんだよね。
 
高校へ進学してからは、初めて学校が楽しい場所だと感じた。通信制でありながら毎日登校する、他の全日制高校と変わらない生活だった。今まで塞ぎ込んでいた分、生徒会や実行委員会などに積極的に参加して自分への自信をつけていったんだ。もちろん、最初は不安だったし、コミュニケーションも苦手だった。でもそこで出会った先輩に優しくアドバイスを頂けたし、行事に参画する中でかけがえのない一生もんの親友とも出会えた。
 
夢や希望を実現するためには成功体験を積み重ねて自分の自信を養うことと仲間が大切であると高校生になって初めて知ったんだ。
 
高校生の時に衝撃を受けたのは、国際問題について知ろうとする授業だった。その時に受けた衝撃はハンパなかった。今まで国内のこと、鉄道のことにしか興味のなかった僕だったんだけど、一気に世界へ視野を広げてもらったんだ。僕が中学生の時まで抱えていたトラウマを否定する訳ではないし、不登校になっていた僕の経験も大事だと思います。比べることではないのかもだけど
 
世界に眼を向けると、僕の抱えていたトラウマや将来への歩み方に大きな変化をもたらしてくれたんだ。
 
大学は国際系の学部へと進学した。休みには、バックパッカーとして世界アジアを中心に旅をした。あるゲストハウスと出会い僕はコミュ障を克服するためにヘルパーとしてそこで働いたんだ。外国人もよくお泊まりになる、もちろん日本人も!
そこで繰り広げられる会話はとても新鮮で内気な自分を解いっていってくれた。
 
そうしていく中で将来の夢が段々、変化していった。
①僕は観光を通じて世界中の人々の交流を促進するのもいいな
②人々が集まる空間、その土地の歴史や風土を残す景観づくりに興味を持った。
 
①は大学を卒業する前に旅行代理店に就職する予定だったのだけど、父が急逝してから家計を支えるには現実的に難しい。②は卒業する段階で必要な単位を取得できていなかった。そこで僕はIT起業へ就職して27歳まで会社で仕事をしてきたんだ。
 
僕は15歳の頃、まだまだ将来の希望を持つために必要とする知識がまだまだ足りていなかったんだ。だから自分の趣味の範囲で夢を抱いた。もちろん趣味を生業にすることも大いにアリですよね!僕は自分の好きなことを仕事にして輝いている人を見ているとすごく羨ましいいと思ったんだ、最近ね。
 
だから、どんどん夢や希望を持ってください!
目標ができたら自然と人間は動いていくモノなんだなぁと思うのです。
もちろん中々、興味を見出せないという人もいるかもしれません。
僕の友だちに何人かそれで悩んでいた人がいました。でも、そんな時は僕が①を実際に実行して人との出会い、まちとの出会いを広げるように連れ出しちゃっていました。
 
その時にできる僕の精一杯の働きかけがそれだったから。
興味を見出せなかったら、ちょと勇気がいるけれど何でもいいから思い立ったことをひたすら調べてみることはアリかもしれないですね。今はネットが使える社会ですから、家の外に出なくても情報は集められるもの。無理にしなくてもいいし、気が向いた時でいいと思います。
 
僕の人生は紆余曲折で、芯のある歩み方とはとてもほど遠い…
参考にはならないかもしれないです。
 
でもね僕がここでお話をしたいことは芯はなくても、僕は自分の意志で自分の人生の岐路に立った時に判断して今まで歩んできたんだ。中にはそうせざるを得ない選択を迫られた時もある。それでも受け入れて、ここまで自分の意志で選択して生きてきたんだ。
 
そして27歳、サラリーマンの僕は再び岐路に立たされたんだ。
①はボランティアでも達成できるけれど②は、本格的に勉強を始めれば、今からでも達成できるかも、と。
だって今の僕はサラリーマンでいる必要がないのだもの。ある程度の貯金もできたし、家計にも余裕が生まれました。それならば、もう一度挑戦を始めるならば、今かな?と
 
そして僕は27歳で脱サラを決意して、建築士を目指す道を選んだ。
 
 
夢って不思議ですね。そしていつ描いたっていいのだもの。
もちろん実現可能な夢かどうか現実と向き合って判断する必要はあります。
 
でも、何歳だって自分の希望は希望だもの。
叶えられるものなら叶えていきたいな。
 
 
これを読んでいるあなたはどうですか?
学生ならば将来の進路は無限大ですよ!ある知人が僕に諭しました。若さは最大の武器だ!ってね。若い時になら選べる進路もたくさんあるんだよね。素敵だな。
 
社会人だって諦めないでよ。もし自分に向いていないな…辛いな…
夢と現実のギャップもあるでしょう。
 
自分が向いていないと思う場所にとどまる必要はありません。
確かに昭和日本では会社員になり転職せずに出世街道を歩むことが美談とされた。
でもね、今は平成をすぎて令和の時代です。
 
団塊世代は何とでも言えるでしょう。
でも老後を考えるとさ、一途に会社員を続けることは今のあなたにとって幸せですか。
企業の大小を問わずに、会社も傾いてくる時代です。
その時に揺らがずにするにはどうするか、会社を立て直そうとする勇姿も必要でしょう。
僕はそこまで会社に忠誠心を誓うことができませんでした。
 
僕は僕の将来の夢という己に芯に真っ直ぐ生きようと選択したんです。
もちろん周囲からは心配される声、罵倒、社会的信用の損失、代償は大きかったけれどさ、でも一から積み重ねてばいいじゃない?なんて思ってます。
 
『何歳だって自分の希望は希望だもの。
叶えられるものなら叶えていきたいな。』
 
それを僕は体現できるようにしていきますよ。
有言実行、言葉は現実になる、とも言いますよね。
ちょっとした願掛けみたいに聞こえますね。でもそれは自分への頑張れ!と
コロナの影響、自分の特性で、身体障害で、経済的に困窮し先行きに不安を考える人へ
エールになればいいかなと今回のブログを書きました。
 
舞台は違えど皆んなで目標に向かって、なるべくなら前向きに考えて進んでみませんか。
 
髙橋直之