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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

自閉症スペクトラム症とは(障がい者とは)

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同じ人間なのに。一緒なはずなのに。
こんにちわ、たっきーです。
8月になりましたね。いよいよ僕の住むまちも梅雨明けかな。みんみんゼミが鳴く声が日に日に大きくなってきています。
また今年も暑くなりそうですね。皆さん熱中症にはくれぐれも気をつけてくださいね。
 
さて、今回の記事では自閉症スペクトラム症について医学的な知見と僕の体験談を交えて説明していきます。
 
なぜ、このタイミングで?
それは最近、脱サラしたことにより生活スタイルが大きく変化したことが要因にあるんです。フリーランスとしてやっていくには多くの行政手続きが必要で、僕を混乱させたんだ。届出には細かい内容まで記載が必要で人以上に書くのに時間はかかるし、誤字脱字も相変わらずで…
ある日、どうしても分からないことがあり、行政に相談したんだ。障害区分を記載する部分について尋ねたんだけど、精神障害については複雑なんだよね。
 
ADHDを理由に精神障害者保険福祉手帳を受けています。」
と僕が伝えたらADHDてなに?と逆に質問されてしまいました…税金に関わる内容なので障害区分の記載は慎重なのだろう。僕はいったんはそう理解して手帳とともに普段から持ち歩いている説明用のハンドブックを見せて説明したんだ…そう普段からADHDと伝えても、障害者手帳を提示しても疑問を示される場面が多々あるんだよね。
 
 
だって、
見た目は普通だし
会話も日常会話的なものなら支障ない。
(薬を用法容量守って服用している場合に限るけれど)
 
 
『一見すると他人からは障がいのある人間としては良くも悪くも見えないんだ。』
 
 
悪い方向に進むと行政手続きの場面ではしばしば疑いの目を向けられることが多かった。
通院履歴や投薬内容まで、聴かれることもあり、そこまで僕の個人情報を開示する義務は、条例や法律にもない。でも現実的には信用問題になるので僕は開示しているんだ。
 
つまり、まだまだADHDを含む自閉症スペクトラム症について社会的な認知度が低く、受け入れられていないのが現実である。と、痛感する日々でした。
 
前置きが長くなりましたが、今回改めて自閉症スペクトラム症について理解者を増やしたいと思いブログを更新いたします。
 
 
自閉症スペクトラム証では、「社会的コミュニケーションおよび対人関係」、「こだわり」の特徴が見られます。自閉症スペクトラム症は発達障害の一つであり、医学的には遺伝と環境の双方が関与して起こりますが、育てられ方が原因で起こるものではありません。つまり生まれ持ってきた先天的な障がいです。
また注意欠陥・多動症ADHD)などの他の発達障害や、他の精神疾患うつ病など)が併存していることも多く見られる傾向にあります。
日本イーライリリー株式会社(2017)
 
 
僕の場合、小学生〜高校生の頃は「社会的コミュニケーションと対人関係」に特徴が顕著にあったと、『今』だから振り返ることができます。
 
例えば、知り合ったばかりの人に対して距離感が掴めず執拗にガンガン距離をつめて会話していた。具体的には敬語で話させない。馴れ馴れしい会話等…etc
 
もちろん自然と浮いていってしまうよね。僕はクラスで最初は目立つ存在だったけれど、その後、「変わったやつだなぁ」「変なやつだなぁ」と揶揄されることもあった。
その時の僕の考え方はとにかく仲良くなりたかったんだ。でもあまりにも勢いが強過ぎたせいか人が持つと言うプライベートゾーンに土足で踏み込み、結果、近寄りたくないと思われてしまったのだと今は思います。
 
もちろん、それは当然のことで、変な人の元には近寄りたくないと思うのが人間の性。
だって自分にもしかしたら悪影響を及ぼすかもしれないと思った人と、あなたは友だち、または手を差し伸べたりしますか?
 
自閉症スペクトラム症とは、どうしても負の面が際立ってしまいがちなんだ…
だって外見ではどうしても見分けがつかないんだもん。
「変な人だな」そう思われても仕方ないと僕は今は飲み込めるけれど、学生時代はずっと、なぜ自分だけが嫌われてしまうのか、クラスから浮いてしまうのか非常に理不尽に感じていたし、虐げられるのがとても辛かった。
 
大人になって、仕事をするにあたって
  • 同期と馴染めない
  • 誤字脱字が直せない
  • コミュニケーションで事業に影響が出る
  • 職場での人間関係で悩む
 
学生では付き合う人間を選べたけれど、社会人になると上司は部下を選べないし、部下は上司を選ぶことができない。同期同士も選ぶことができない。万人との対人スキルが求められ僕は苦しみ、ある広告を見たきっかけで、僕は精神科を受診してADHDという特性(障がい)があることを認識したんだ。
 
学生時代は何とかなったけれど、大人になったら、所帯を持つ、新しい家族を養う
責任は重大であり、会社内では限られた人間関係の中で生き延びて行かなくてはならない。
 
そんな状況下、プレッシャーを感じて僕は初めて自分の特性に気がついたんだ。
 
そう、自分でも気づくのに20年以上を要したんだもの。
他人から見たら僕は発達障害を抱えているだなんて分からなくて当然だ。
 
でも、それが現実なんだよね。
 
うつ病を併発し、新卒で就職した会社は3年目で心身の故障を理由に辞めることになった。
 
自分が自分らしく生きるためにどうしたらいいか。
僕は今、自分自身と戦っている。新しい家族を作りたいが、差別の目を向けられる。
新しい就職先を見つけたいが、障害を理由に過去の実績に見合わない待遇を迫られる。
 
ここで考えて欲しいのです。
障害という言葉を発するのは自分ではなく第三者が多いんだ。
例えば、就職希望先の人事、行政上の区分、家族間の交渉…
 
そう言えば、自分から精神障がい者です。という機会は少ない。
あるとしたら行政手続きで障害者支援を受ける時くらいだ。
 
確かに僕は障害者控除や障害者手当なるものを受給している。
でも受給しないと生活に困窮するからなんだ。
 
社会は求める、健常者か障害者か
どっちなのかを…
 
尋ねられた時に僕は障害者手帳の交付を受けている以上、障害者として名乗らなければならない。でも、精神障がいの場合は見えにくいから疑念を抱かれるの…
この繰り返しです。
 
自分は一体、ナニ者なのか
支援を受けている傍ら、我がままかもしれないが僕はナニ者でもない。人間だ。
化者でもないし、変者でもない。人間として同等に扱って欲しい。
 
でも何故、区別されるのか。
自閉症スペクトラム症の抱える人々は本音では区別ではないと感じているのではないか。
もちろん自分の特性を理解した上で、その特性に応じて上手に付き合っていくべき発達障害だ。でもそれを受け入れて社会人として生活する人々に対して、果たして区別は必要なのだろうか。
 
支援が必要な人々には支援の手を差し伸べて欲しい。
でも、障がい区分て一体どの視点からの区分なのだろうか。
明日も行政手続きで区役所へ行くけれど、障害者とは一体何のために作られた言葉なのだろうかと疑問を捨てられずにいられないでいるんだ。
 
髙橋直之