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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

親は期待し、子どもはそれに応えようとする

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子どもは親の期待に応えようとする
こんにちは、たっきーです。
年の瀬ということで2019年もカウントダウンが始まりましたね。
大人は忘年会、子どもは学期末テスト(もう終わったかな?)
毎日が忙しいにも関わらずブログに来ていただいてありがとうございます。
 
そんな僕は暇!!を持て余しております。おい!働け!!
って感じですよね。バイトしたいんだけど失業手当を受け取るためにはこれ以上働けないのです。働きたいのにこれ以上、働けない(働いても手取りが下がる)は106万円の壁でも言われていますよね。ちょっとでも超してしまうと手取りが90万円に下がってしまう。
この時期、働きたくても働けないヤキモキした気持ちを抱いている人は多いのではないでしょうか。日本て本当に不思議な制度の多い国ですよね。
 
さて、今回は学生を抱えているご両親の視点でブログを綴ってまいります。
(決してブログは暇つぶしじゃないですからね)
 
この季節、学生が気にするのは何か!!2学期末ということで成績表が出ますね。
学校によっては2学期制かもしれないので該当しない場合もあるかと思います。
成績表(通信簿)が渡されるこの時期、僕も小さい頃はいそいそとしていました。
どんな評価で、何が書かれているのか、1クラス40人近くいたので、それを書きこなす先生方にも頭が下がるこの頃です。
 
もちろんお子さんの成績が良いことに越したことはないですよね。
A評価または数字で5が着くと爽快ですね。頑張っているなぁ!て子どもながらに親に自分の頑張りを魅せたいと必死だったりします。だって褒められて嫌な思いをする子どもは少ないでしょう。僕は親に褒められたくて(認められたくて)必死でした。
大人になる過程で自己承認欲求が強まるのも思春期の頃です。他者からの評価に過敏になる頃合いでもあります。小学生低学年までは親に褒められることが何よりの喜びと感じる傾向が強い子どもですが、中学生、高校生と大人になるにつれて他者(他人)からの評価を気にするようになります。それが精神的な自律にも繋がる子どもの心理的成長過程なんですね。
 
さて、ここで重要なことは、いかに小さい頃に成功体験を積めたかが、
将来のお子さん自身の自己肯定感の大きさに比例するのではないかということを僕は考えているんです。(僕は学者ではないので飽くまで自分の経験から推論として記述しています)
 
じゃあ何故、小さい頃の成功体験の多さが子どもが将来大人になった時、自己肯定感の大きさに比例するのか僕なりに考えてみました。
 
お子さんが小さい頃はまだまだ触れている社会が家庭と学校又は習い事?
多くても3つか4つの社会までしか知れません。
 
子どもが実際に学校や習い事でどんな体験を通じて成長しているか親御さんは気になります。子どもはその成果を発表できる機会が限られてきます。文化祭や運動会そしてこの時期多いのは成績表(通信簿)そこでしか子どもの頑張りとは垣間見れないんですね。
その事に子どもも気付いています。だから運動会で格好いい姿を魅せよう!テストで良い点数をとれるように頑張ろう!そう思うんです。
 
でも、そのエネルギーやきっかけはどこから来るのか
 
「親に認められたい」
 
という欲求からではないでしょうか。
もっと砕いた言い方をすると褒められたいんですね。
 
褒められる事によって子どもに自身がつく、そして新しい事に挑戦しようとする力が湧いてくる。それが良いサイクルの例ではないでしょうか。僕も親に褒められたくて仕方がありませんでした。でもある日もらった成績表に僕は愕然としました。
人生で初めてのCという評価。とてつもなく恥ずかしいし見せるにもちょっと勇気が入りました。
 
じゃあもし、読者様が僕の親だったとしてCの評価をもらった僕に対してどんな言葉をかけますか?
 
褒めてあげる?
それとも、叱る?
いやいや、他の良いところを褒めて見て見ぬふりをする?
 
他にも対応はたくさん分かれると思います。
でもね、一つだけお子さんにしてあげて欲しい事がこの中にあるんです。
 
褒めること
 
成績表は難しいもので勉学の評価に関してはパッと見で理解できるんですが、それ以外に日常生活の欄や教員のコメント欄があると思うんです。勉強ができてもできなくても必ず親御さんに評価して頂きたいのは日常評価なんです。
家庭での評価でもいいですよ。成績表に書いてなかったらお子さんの良いなと思うところを成績表プラスαで褒めて欲しいんです。だってお子さんを一番理解できるのは親御さん以外にいますでしょうか。先生?部活の顧問?友達?確かにいるかもしれません。でも毎日の姿を見ているのは親御さん以外には子どもの立場からはいないんです。
 
思春期に近づけば近づくほど会話が少なくなる。僕もそうでした。
でも、親から認められたいという気持ちは根本にはあったんです。まず最初に親が認めてくれたら、他の人にも認められたいと言う気持ちが漲ってくるものではないでしょうか。
 
最初の壁は親なんですね。親に認められて「よし!もっと頑張ろう!!」
そう思うものではないでしょうか?
 
うん?マザコン??
あぁ確かにそれは否定しきれないかもなぁ
 
でも、でもですよ。子どもにとって一番最初にふれあうのは親であると思うんです。
親は子どもに頑張って欲しいと期待します。でも期待する前に応援して欲しいんです。
そして応援すると言ったら難しいのでここでは褒めることと書きました。
 
褒める事によって子どもの可能性を無限大に引き出す事ができると思うんです。
もちろん悪いところは叱ることは大事です。
 
でも、成績表には盲点があります。子どもの全てが書かれている訳ではありません。
子どもは学校に行けば自然に成長するものではありません。
親子の関係で子どもの成長は大きく左右されると僕は思うんですね。
 
それが
「親は期待し、子どもはそれに応えようとする」
ただ期待するだけでは子どもは伸びませんよ?
水をあげずに植物は芽を出しますか?
 
先ずは親が認めてあげないと、子どもは第一歩を踏み出せないと思うんです。
厳しい育て方もあるでしょう。甘やかさない!
それはそれぞれのご家庭の教育方針にあると思うので否定はしません。
 
でも、子どもが最初にふれあう社会は家庭内なんです。
そこでたくさん子どもの可能性の芽を引き出してあげてください。
芽がなければ成長どころか、可能性もありませんからね。
 
飽くまで僕の考え方なのでちょっとの参考までにしてください。
今日はそろそろこの辺で失礼します。
 
髙橋直之

気持ちの問題

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あなたは頑張り過ぎていませんか?
こんにちは、たっきーです。
ブログを二日間ほどお休みしておりました。
実は転職活動に区切りを打ち旅に出ております。目指すは西へ!笑
ちょっとこの年末にかけて更新の頻度が遅くなるかもしれませんがブログ活動は続けて参りますのでよろしくお願いします。
 
さぁ、今年も残すところ10日になりましたね。
師走と言いますが、本当に年の瀬に向けて周囲が慌ただしく感じるのは気のせいでしょうか。でも2019年もあと少しですからね。仕事納め、学び納め?に向けてもう一踏ん張り頑張っていきましょう。
 
さて、今回のテーマですが気持ちの問題です。
いやいや広過ぎるでしょうテーマが…そうですね。もうちょっと狭めてみましょう。
 
病も気からと言いますが、これについて皆さんはどう思いますか?
不思議とね、気持ちの持ちようで風邪の症状がコロッと良くなることありませんか。
 
「痛いの痛いの飛んでけぇ」とか小さい頃よく転んだ時におまじないのようにかけてもらったものです。幼稚園の頃、外を駆けずり廻ってはよく膝こぞを擦りむいたりした時に先生にそう声かけられると自然と泣き止んで痛みが少し引いていたり。
 
社会人なんかでは、どうでしょう最近冬風邪が流行っているそうですが大丈夫ですか?
「やばい納期が迫ってきている、どうしよう」と焦っている時とか、気付いたらさっきまで頭が痛かったんだけれどそれどころじゃないから感じなくなる。とか
 
人間の脳みそとは不思議なものですね。
痛みを感じなくなる成分を自ら分泌させることができるんですね。
よく恋愛ホルモンと呼ばれるオキシトシンがその一つです。
人とのスキンシップがあると分泌されるもので「痛いの痛いの飛んでけぇ」て声をかけられることで気遣ってもらっていることから気持ちが少し楽になるんですね。
 
「病も気から」てあながち嘘ではないのか?
 
例えばもう一つありますね。皆さんも一度は聞いたことがあるプラシーボ効果
偽薬を用いた研究等でその効果が証明されつつありますがどのような形で人間の脳に働きかければその効果が得られるかはまだ謎の多い分野でもあるそうです。
 
でも、逆に捉えたら、「病も気から」て恐ろしいですよ
だって人間の脳が痛みや苦痛を感じさせなくしてしまうのだから自分の限界サインをも消してしまう恐れがあるということ。
 
よく昔の人は根性論が大好きですよね。もうね…ホント根性論とか笑
 
危険です。
 
人間限界を超えてもある程度は身体は動けてしまうもんなんです。
でも脳より身体の方が正直で身体にはもう「動けないよ」って時が来ると動けなくなります。断言できるのは体験したからです。残業を重ねて、数日間も帰らずに働いていた日々パタリと身体が動かなくなってしまったんですね。気力も湧かなくなりました。
 
気の持ちようだからさ、ていう人もいる
根性がないからだ、という人もいる
 
最初は我慢出来ても、その我慢の積み重ねが心と身体を蝕んでいってしまうんですね。
「頑張れ」という場面にもよりますが、時には酷な場面もあります。いやいや休まなければ人間生きていけないでしょう。眠らずに仕事して何時間できるか限界チャレンジみたいなバカを過去にしましたが24時間でもしんどいです。48時間なんて僕は無理でした。集中力も欠けるし、フラフラするし危険で仕事にならん!!
 
ここで伝えたいのは安易に自分の体力を過信し過ぎずに、しっかり休むこと。限界が来る前に周りに助けを求める行動をとってほしいんです。自分を守るためにね。
 
何故か?
一度プッツンすると復活がかなり辛いです。
復活するまでに時間かかります。大人も子どももね。
 
子どもの場合もよく観察して限界に近いサインを発していないか親や先生が気づくことも大事なんです。思春期の時期なんて自分から助けてなんて言える子どもは少数派ですから。ましてや先生が子ども一人一人に目を配れる環境が整備されていれば、栃木県の日光市で発生した、いじめを告白する作文を誤って掲示してしまうことだって起こらないと思うんですよね。教育現場は過酷ですから、子ども一人一人に目をくばれていないことが、この事件では浮き彫りになったと僕は考えています。
担当した教員が悪いのではないですよ、日本の教育がいかに子どもに目をくばれていない状況かを訴えているんです。
 
大人ならば、自分で限界をセーブできる人も多いでしょう。
(出来なかった筆者が言えることではありませんが)
でも子どもの場合は学校に任せっきりは危険な場合もあるんですね。
ご両親とお子さんとの間で交わされるスキンシップがいかに大事か伝えたいです。
 
気持ちの問題、でも人間の脳みそは嘘をつきます。
その子が嘘をつくんじゃなくて、脳みそが嘘をつくんです。
限界まで頑張らせてしまうんです。そう考えると「病も気から」とは
現代にそぐわない言葉ではないかなと僕は感じます。
 
それでは今日はこの辺で、皆さま良い週末を!
 
髙橋直之

目に見えない障がい①

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皆さんこのバッジは見たことありますか?
たっきーです!こんにちは!!
今日もブログにご訪問いただきありがとうございます。
とても暖かい1日になるそうですね。12月とは思えない暖かさ
変わって明日は一桁台にまで気温が下がるんだとか、体調を崩されないようにお過ごしくださいね。
 
今日のブログのテーマは目に見えない障がいと記載しましたが、いったい何のことかこれから説明していきますね。
 
先日、友人とこんな話をしたんだ。
その友人もASD(Autism Spectrum Disorder)自閉症スペクトラムを抱えた友人だ。
 
僕とは違う特徴でその人も同じ悩みを抱えていたんだ。
 
外見からは障がいについて見分けがつかないから判断や配慮がされにくい。
仮に配慮事項を伝えても敬遠されるか嫌われてしまうかどっちかだ、と
 
僕も転職活動では自分が抱えているADHDうつ病についてオープンにしてきたが、やはり伝えると敬遠されがちな傾向にあると感じだんだ。
 
どうしても目に見えない心の障がいはその障害度認定も医師の考え方一つで大きく変わってくるし、平等に障害評価されないのも現状にはあって複雑な心境だ。
比べることではないが、僕よりも長くASDと付き合ってきた友人は必要とされる支援を受けようとしたが障害度認定区分で実際より(僕の指標に過ぎないが)低い評価をされてしまい障害年金の受給や公共料金の割引を受けることができない状況だ。
精神科に通うと治療費がバカにならないんですねこれが…とても家計を圧迫してくるし、仕事ができない程の症状だと更に悪いサイクルで収入がないから、必要な治療を受けられずに更に悪化していくという悪循環も発生するんだ。とても話を聴いていて悩ましくも必要な援助が受けられないのは僕よりも深刻な状態にあると感じた。
 
精神障害身体障害者と比べて受けられない公共施設の割引も多い。
なんでだろう。
 
例えばJRなど(一部鉄道会社を除く)は精神障害者保健福祉手帳の場合、等級に関わらず割引を受けることができない。車での移動が困難な場合、公共機関に頼るため必須である。薬を服用することで眠気の作用も催す患者もいることから、もしも薬の服用者がやむを得ない事情(日用品などの買出し)などで車を運転することが強いられた場合、事故を起こすリスクもある。各市町村ごとにより公共交通機関の割引には差があるが筆者の住む横浜市では精神障害者保健福祉手帳1級でない限りは公共交通機関の割引を受けることができない。確かに私は1級だが最も症状が深刻な状態な時に取得した。それこそ寝たきりの生活を余儀なくされた時期だった。そんな状態では公共交通機関を利用するどころか、生活のほとんどが困難な状態で、割引が使えるからとフラフラと出かけるのもとても危険だ。そこまでにならないと割引を受けられない、この気持ちはとてもモヤモヤする。
 
身体障害者の場合、公共施設でのサービスにかかる費用負担が軽減される範囲はとても広いんだ。心の障害も身体の障害も同一レベルで扱われないことに疑問を得ずにはいられないんだよね。本当になんでだろう。
 
精神障害などを理由に社会復帰が困難な状態にある人は全国に約400万人いると、最新の内閣府の調査で分かった。400万人とは全国第二位の規模を誇る政令指定都市である横浜市の人口と同じくらいに匹敵する人数だ。
 
少子高齢化が理由に労働人口の減少が危惧される中、障害者の社会復帰は大きな課題となっている。そのためには軽度の障害でも必要なサービスを受けられるような施策の整備が求められているのではないかと僕は考えてるんだ。
 
僕だって働きたくて仕方ないんだ。
一年前の一番ひどい時期は働くことは負担にしか感じられなかったけれど今は違う。
でも精神障害だと企業の人事に明かすには勇気がいるんだ。敬遠されてしまうからだ。
これも精神障害者の社会復帰の大きな壁となっている。
 
どうにかならないもんかなぁ
友だちの抱える悩みも分かるし、正に僕も当事者であるからこれがリアルな現状なんだ。嘆いたって仕方ないからもう、ブルドーザーのように転職活動していくしかない、引かれても仕方ないという強い心持ちで事実を伝えながらマッチングできる企業を探している。勤めるからには次の転職は本当に失敗したくないし、だからこそ僕はオープンにして自分のことを洗いざらい話している。もちろんワガママにならない範囲で配慮事項は伝えるし、自分で改善できることはどんどんしていこうと言う心持ちは忘れていません。
 
でもここまで回復できるまでには相当な時間がかかりました。
 
つまり精神障害者の社会復帰には二つの壁がある。
 
一つ目が
自分の障害を克服して社会復帰を目指そうとする意欲まで持っていけるかどうか
 
二つ目が
企業からの精神障害者に対する厳しい眼差しをいかにクリアするか、自分とマッチングできる企業を探せるかだ。
 
もうね、本当に一難去ってまた一難ていうのが精神障害者の抱える現状なんだよね。
せっかく自信を取り戻していざ社会復帰を目指そうとしても、転職活動が上手くいかずにまた症状が悪化してしまったり、最悪の場合自己嫌悪に陥って自傷行為にも走りかねない。うつ病で最も自傷行為を引き起こしやすい時期とされるのが回復期なんだ。
まさに転職活動で現実と自分の抱える障害の壁を目の前にする、この回復期が重なることで本当にもう悪循環なんですよね。本当になんで?てなる。
 
この記事の最後になりますが
目に見えない障がいを克服するには僕の体験談に過ぎませんが仲間を作ることで回復が早くなります。僕自信、自己承認欲求が強い性格であるからかもしれませが、仲間ができたことによって少しずつ自分が社会から認められていくように感じていけるんですね。
 
だから、一人で戦わないこと、抱え込まないこと、無理に頑張り過ぎないことが社会復帰への近道かもしれません。自分に無理な課題を立て過ぎずにステップバイステップで自信を取り戻していき、症状が改善していけるといいなと今の僕も考えています。
 
みんなで目に見えない障がいに立ち向かいましょう。
  
因みにブログの冒頭で紹介させて頂きました「見えない障害バッジ」は東京都社会福祉協議会のHPで紹介されています。"わたしのフクシ"と言うサイトで入手できるそうですが現在は受付停止中とのこと再生産されることを願いますね。
 

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こちらのマークも広まりを見せていますね。精神疾患の方でも地方自治体ごとによりますが区役所などの窓口で受け取ることが可能です。横浜市は区役所で受け取れました。
ぜひ、ご参考までに。
 
髙橋直之

社会人になって気がついた発達障害③

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受け入れることに時間かかった。僕にも偏見があったのかもしれない。
三日間にかけて書いてきましたが、このテーマは今日が最後とします。
社会人になって気がついた発達障害、でもその時は突然としてやってきました。
 
ある日「朝起きたら身体が動かない」
まるで金縛りにでもあったように、動かそうとしても動けない
起き上がることができなかったんだ。
 
仕事のストレス
任された任務に日々残業を重ねながらもプロジェクトを遂行しようとした日々
その背景にあるのは家族が抱えている500万円もの借金、そして奨学金
稼ぎては僕しかいない。誰も助けてくれない
 
残業を重ねてまでも必死に稼がなければならない、その責務に僕は奔走していた。
使命感のような、義務間でもない、ただ自分が仕事を辞めてしまったら家がなくなる。
社会人1年目から一家の大黒柱となった僕には、あまりにも重責だった。
 
ある日叔父に、こう叱咤された
「自覚がないからそうなるんだ!!(うつ病になること)」
 
僕はぐうの音も出なかった。
遂に仕事を辞めてしまい、借金の支払いに困り頼った先が父方の祖母だった。
祖母は僕のことを小さい頃からよく面倒を見てくれていた。おばあちゃん子でもあったのかな。ここぞという時に弱音を吐けるのは祖母しかいなかった。
 
恥ずかしながら祖母から借金をしようとしたところ父の兄弟である叔父が僕に叱った
「自覚がないからそうなるんだ!!」
 
その言葉に愛があるのかないのか僕には分からない(恐らくない)
伯父との関係性もそこまで良いとは言えない、何せお互いに腹を割って話すことがなかったからだ。僕のプライドがあったのかもしれない。今なら伯父に面と向かって自分の状況を正直に話せるかもしれない。でも本当に受け入れてもらえるのか僕は不安だ。
 
現状は無職です。
バイトはしているけれど、失業手当が支給される60時間以内という範囲内で働いている。バイトの稼ぎは月に7万円ほど、失業手当は17万円ほどある、合わせて24万円が僕の収入だ。そこから家の借金と、生活費、母の病院にかかる費用も捻出して行くとギリギリの生活が現状だ。
 
早く正社員として復職したい。それが今の僕の希望だ。
介護者初任者研修を受けながら、合間を縫って転職活動をする日々です。
正直少し疲れてきたかな、無職なのに毎日忙しなく活動している。もちろんそれは自分が選んだ道だ。怠け癖のある僕は、一度休んでしまうと動けなくなってしまうマグロ人間だ。適度に身体を動かすことで日々、精神状態と身体の健康を保っている。
 
今のような生活になってしまったのは本当に突然だったんだ。
今年の6月、僕は新卒で働くことを決めた会社を退職してしまったことから始まった。
 
意識はしていなかった。
毎日、仕事に没頭する日々だった。とにかく働かなきゃ!!その一心だったんだ。
でも人の身体とは不思議なものですね。まだ働ける、動かなきゃ!!そう思っても身体の自由が効かなくなったことが僕を退職の道に進めて行くことになった。
会社を休むには病院の診断書が必要だ。まず最初に受信したのは内科だったが、結果は原因不明、進められたのは精神科だった。結果はうつ病、そしてADHDという特性。
 
診断書を書いてもらい会社に提出して受理された。
休職することができたが、その日から僕は障がい者になったんだ。
病名がつかなければ会社の職務規定上、休職をすることができない。
働くことは無理くりでもできたかもしれないけれど、僕の身体が悲鳴をあげていた。
 
会社へのメールを書くにしても、いつもにない手の震え
朝が来る度に目覚まし時計の音に気づくも身体が思うように動かない
 
そんな状況になってしまって僕は働くことができないんだ。と認識した。
会社とは必要な手続きをとって、労災には該当しない名目で退社する運びになった。
 
溜まりに溜まった有給休暇と代休を僕は無駄にはしたくなかったんだよね
会社以外のことだったら自然と身体が動いた。本当に不思議なもんやね。
退職までに自動車学校に通い大型二種免許(バスを運転できる)を取得した。
 
6月に退社してから2ヶ月でバス会社への就職が決まったんだ。
その頃は、祖母からの援助とハロワークから支給される給付金で何とか生活できた。
 
話が冒頭に戻るが叔父から罵倒されたのもその期間だ。
「覚悟がないからそうなるんだ!!(うつ病になること)」
 
今、思い返すとぐうの音も出せなかったが本当にそうだっただろうか。
僕にはそれなりの使命感を持って働いていたつもりだった。
 
2週間、職場から帰らない日もあった。残業時間は裕に120時間以上は超していた
常軌を逸している働き方だったと思う。そこを「覚悟」やら根性論で罵倒されるのは御門違いではないかと僕は思わずには今もいられない。その時に反論できなかった、出来る状態ではない僕に対する言葉ではないと「暴力だった」と僕は感じている。
 
今月は父の三回忌だ。
伯父とも顔合わせするだろう。そこで過去の話を蒸し返して反論するつもりはない。
数少ない親族が故に仲違いは避けたいのが僕の意向だ。
 
但し、ここで書きたいことは自分の根っこは忘れないで欲しいと言うこと
「仕方がない」で自分の立場を弱いままにしてはいけないんだと考えている。
 
身体が動かなくなった原因は一体何なのか?
全て自分の責任にしてしまっては、自分自身を最後に守れなくなってしまう。
 
僕は父のせいにした
借金を膨大に残して、急逝した父のことを正直心の奥底で許せないでいる。
何よりその事実を死ぬまで家族に黙っていたことにね。
「飯を食っていけるのは誰のおかげだ!!」
 
ひきこもりの時に父から浴びせられた言葉だ。確かにその当時は僕は両親を大変困らせていたと反省している。でも、同じことを父に今言えるならば、言い返したい。
 
「父さんのおかげで散々苦労している!!三回忌を開けるのは誰のおかげだ!!!」と
いやぁぁぁぁ僕も冷たい人間だと思います。そして大人気ない。
 
でもその言葉を今や伝える相手がいない。死んじゃっているんだからさ。
 
ストレスの根源が間違いなく家庭環境にあると感じた。
じゃあ今後はどうするのか、母には正直に自分の障害を話したかな。
 
理解してもらうためではない、でも精一杯尽くしている結果を見せたかった。
これ以上したら身体が壊れるぞ、とそう言う現実を家族には共有したかったんだ。
 
親不孝な息子であるけれど、社会人になって気がついた
社会からは障害者として区分される(心なしか差別に近いと僕は感じでいる)
 
そうした現状を嘆かずして自分を守れずにはいられなかったんだ。
とても醜い僕の本心ではあるけれど、隠せば隠すほど自分が辛くなるんよね
それならば少しでも前向きになるなら
「親父のバカやろう!!!!」ぐらい心の中で叫ばしてもらっても良いと思う。
開き直りだけどね。でもそうやって今は精神状態を保っているのが本心だ。
 
何がストレスになっているかは人それぞれだと思うの。
でもそれを抱え込めば抱え込むほど辛い立場に追い込まれていってしまう。
確かに故人のことを、ましてや父親を恨むなんてさ、良くないことは承知です。
でも自分が崩壊してしまう前に何がストレスの根源にあるのか分析は必要だと思うの。
 
そのストレスを分散するにはどうするべきか
それは自分自身にしかわからないこと。
そして社会人になった僕は自分自身で対処しなければならない。
もちろん友だちに洗いざらい愚痴をぶちまけてしまったこともあるよ。
僕も人間だもん。
 
さて、長くはなりましたが社会人になって僕はADHDだと分かったんだ。
じゃあどうするのよ?
 
向き合って行くしかないよね。最初は確かに反発した。
会社に休職届を出すには病名が必要だった。そして障害者であることを受け入れざるを得なかった。でも時間はかかったけれど僕は特性を理解することができた。今でこそ前向きに捉えている。どうやって社会参加して行くかのヒントを受け取った形だ。
 
遅かれ早かれ自分の特徴を知れたことは今後の人生におけるメリットだよ。
皆さんもしませんでしたか、自己分析、就職活動を前にすると必要になってくるよね。
僕はその自己分析シートにADHDという特性が書き込まれただけだと考えているよ。
その特性をいかに理解して活かしていくか。活かすも殺すも自分次第なんよ。
 
恥ずかしい、プライドだって捨てた
でも自分の根本的にある自我は捨てないでいて欲しい。
ワガママでもいい、醜くてもいい、どんな姿でもいいから自分の心の声に正直になることが自分の心を守るし、更には周囲へも、自然と理解が得られる。
得られない場合もあるけれど、それはそこまでの度量の人間でしょう。
と僕は割り切っちゃいます。
 
正直な心境を打ち明けて、仲間を増やすこと、決して一人で抱え込まないことです。
確かに微妙だよね。自分からASDADHDと伝えることはとても難しいと思うんだよね。でも、頼れるならば家族へ、そして友だちへと、仲間の輪を広げていくことで自分を理解してくれる味方が集まると思うんだよね。
 
一人で戦わないようにしましょう。
 
それが、遅かれ早かれ社会人になってから発達障害だったと気がついた僕が
導き出した社会への挑み方なんだ。
 
髙橋直之

社会人になって気がついた発達障害②

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受け入れるまでに時間がかかった僕の課題
ブログを訪れてくださりありがとうございます。
 
昨日は社会人になって感じたこと、社会に対する違和感を中心にブログに書き込みましたが今回は何故、もっと早く自分の障がいに気付けなかったのかそんなところを掘り下げていきたいと思います。
 
小学生の頃から僕の症状は、今から振り返るととても顕著に現れていたなと認識するばかりです。それは諦めの気持ちも相まっています。今更振り返っても過去は過去で変えることができないからです。
 
思ったことを直ぐに口に発してしまう衝動性の強い子どもでした。
自分は悪口だとは思っていなくて、そのまま発言していたんです。相手を傷つけるかどうか、そこまでは考えていたかというと正直考えられていませんでした。
それが故に僕は周囲から孤立していく一途を辿りました。僕は悪いことをしていないのになんでみんなは僕を敵視するのか、その当時は理解できなかったんです。
 
変わったやつ、失礼なやつ、色々な感情があったでしょう。周囲の僕を見る目はとても冷たかった、仲間外れ、陰口が当たり前の中で僕は、自分がなぜそのような立場に立たされているのか理解できなかったんだ。理解できなかったから、「何で僕だけがこんな目に合わなければいけないのか」と他人のせいにしていたのも事実です。
 
幼い僕は衝動性というものに理解ができていなかったのも事実
思ったことを発言して何が悪いのかと僕はスレていた。正直な気持ちを言葉にしただけなのに何が僕を孤立させていったのか本当に分からなかったんだ。
まぁ言い訳だけどね。
 
そうして過ごした学生生活は常に孤独との戦いだった。
一人で給食を食べる、ペアを組む授業では最後まで一人ぼっち
それでも最初は、堪えた。だって理由がわからないんだもん。どうしようもない。
 
ある日友達とケンカした
ドッジボールの仲間に入れてくれなくて僕が、つい手を出してしまったんだ。
その時、先生が駆けつけてきた。真っ先に叱られたのは僕だった。
確かにそうだ、手を出したのは僕だからさ。
でも、とても理不尽だと感じた瞬間がその時が初めてだった。最初に仲間外れにしたのは相手じゃないか。なんで僕が悪者になるんだ。あまりにもショックだった。
 
きっかけはそこだったかもしれない。僕は学校から足が遠のいていったんだ。
先生も味方をしてくれない、親だって味方をしてくれない。
孤立の一途を辿っていった。
 
今となっては僕に原因があったことは明白である。自認できる。
でもその当時はできなかったんだ。自分が何故仲間外れにされてしまうのか、叱られてしまうのか理解できていなかったから改善のしようもないよね。
 
今振り返ると、正直なところとても嘆かわしい。
自分の特徴を理解せずに集団の一員になろうと何度も失敗を繰り返して怒られて孤立して、それでも学校に通い続けていた僕は「何故僕だけが!」そう思いながら、本質的な問題に気付かずに毎日を過ごしていたんだ。
 
先生も困った子どもだと思っていたでしょう。
僕の味方をしてくれた数少ない友だちも、相当な苦労をさせたと今では思います。
 
2000年になったばかりだった。僕が小学生だった頃はね。
まだ、いじめや発達障害といったワードにフォーカスされていなかった時代である。
親も頭を悩ませていたんじゃないかなぁ、きっとそうでしょう。
 
無知は罪なり
本当にそう…本当にそう?
僕が全て悪かったのかと今振り返ると疑問に思う。周囲の理解。自己知覚の遅れ。
子どもの頃の自分に全ての責任を押し付けるには重すぎると思うんですね。
 
じゃあ何も悪くなかったかというと、それは違う
今だから振り返って自分の行動を振り返りADHDという特性に正面から向き合えるようになったんだ。それは今だからできることであって小学生の僕に強いるのは酷な話ではないだろうか。もちろん傷つけた友だちもいる、それを蔑ろにすることはもちろんできません。でもね、そうした過去があるから自分がADHDだったんだと、認めざるを得なかったんだ。認めるきっかけになったんだ今…
 
でも、あまりにも遅すぎたんだよね。自分の特性に気がつくことに
振り返れば振り返るほどキリがないんです。どこまで振り返ればいいのか
でも時間は不可逆で自分は前向きに今をこの先を生きていかなければいけないんだよ。
 
そう思った時に過去は過去と割り切る以外に手段がないんだ。
あまりに無責任である。その通りだ。でも僕はそうして生きてるんだよね。
少なくとも悪いことはしてきた気持ちはない、その時、その場所で最大限に迷い考え、そして悩んだ日々があったんだ。ADHDの特性を知るのが遅かったけど、それまでに迷惑をかけた人はいたかもしてないけれど、その人生を全て否定するのは違う気がするんだ。
 
大人になって気がついた自分の特性。
じゃあ、どうしようか。ADHDという課題が僕に出されたのは最近のことだ
そこから目を逸らすことは最終的に「違う!」と思った。
最初は「嫌だ嫌だ」と現実を受け止められずにいました。でも今は受け止めています。
 
自分の課題を出されたんだ。それをクリアするために次はどうしたらいいのか
それがこの現代社会で生きて行く僕の術なんだと思うんだ。いつまでも過去を気にしていても仕方がない、ある種の開き直りが僕の背中を後押ししてくれているんだな、と最近は考えています。
 
じゃあこれから、どうして生きて行くのよ?
それが僕の課題であり、宿命であると思う今日このごろです。
 
髙橋直之

ブログ読者200人達成!!読者さまへのお礼とこれからの方向性

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おはようございます。こんにちは。こんばんは。
たっきーです。最近、巷では最近ブロガーと声をかけられますが
怪しいブログを書いているわけではないのでご安心ください。
 
ブログを開始して1ヶ月半経過しないうちに読者数が200人を突破しました。
いつも僕たちのブログを読んでくださる皆さまありがとうございます。
 
扱っている内容がセンシティブなだけに慎重に
精神障害と向き合うプラットフォームづくりをしようとしています。
先ずは共感を得られる記事を多数連投し、僕らはこういう人です。と先ずは発信していきます。そこで、この人達なら相談してみてもいいかな?そう思ってもらえるように信用の積み重ねも行っていきます。少しずつですがコメントや匿名で相談を受け入れてもいます。小さな悩みでも抱え込まないでくださいね。お話しすると楽になることがあります。
安心して相談ができる場づくり、そのために実名で事実を直向きに毎日綴ってきました。それが折り重なっていきタイミングを見計らって相談用のアドレス公開等も検討しております。(少しまだ先かな)
 
今はまず、ブログを支えてくださっている読者の皆さまへのお礼と
これからの方向性についてちょっとだけ告知してみました。
 
これからも何卒よろしくお願いいたします。
 
たっきー&enoki
 

社会人になって気がついた発達障害①

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色々な考えがあって、カラフルな楽しい社会へ

表題のテーマに沿って書こうと思いますが、こればっかりは複雑な心境を隠せません。
なんというか…もっと早く気づけなかったのか。
もっと早く気づけたら僕の人生は変わっていたかもしれない。そう考えると取り止めのない感情に心がいっぱいになる。社会人になって、気がついたきっかけは何か?
やはりどうしても直せない誤字脱字や忘れ物の多さだった。学生時代は許されても社会人では許されない。お客様先で「会議資料がない」凍りついた瞬間だった。何度も味わったし、上司からも何度も同じことで注意を受けた。
 
どうして直らないのか、僕は悩んだし、考えに考えた。
僕の心に一瞬よぎった。
ADHD(Attention-deficit hyperactivity disorder)注意欠陥・多動性障害の略だ。
 
注意欠陥が目立った。どうして直せない。
前日に確認したはずなのに、リストも作ったはずなのに「どうして直せない!」
自分への怒りと焦燥感に駆られる日々だった。そして段々と萎縮していく傾向にあったし、社内でも浮いた存在になっていったんだ。
 
ある日、身体が動かなくなったんだ。
会社に行けなくなった。日々重ねたストレスの影響か、そこで初めて精神科を受診することになった。病名はうつ病、しかしそれは併発性だと伝えられた。
ADHDという特性が根幹にあってそれによる併発性のうつ病だと伝えられた。
 
最初は認めたくなかった。
僕は今まで普通に生活をしてきたつもりだった。
真面目な性格で、業務にも、交友関係にも実直に対応してきた。そのはずだった。
 
でも、下された診断はADHDによる併発性のうつ病だった。
「嫌だ嫌だ嫌だ、そんなはずはない!!!!」
 
受け入れるまでに正直、数ヶ月はかかった。
でも、今は良い薬があるんですね。僕の場合は注意欠陥の傾向が強くコンサータという薬を処方された。飲み始めた当初は変化を感じなかったが、飲んでいるうちに自分がテキパキと生活しているようになっていった。
 
「事実を受け入れざるを得なかった」
薬の効果は確かにあったんだ。僕はそれによって日常生活でストレスに感じることが格段に減っていった。忘れ物も少なくなったし、衝動性も少なくなり計画的に動くようになっていったんだ。不思議な効果だと感じた。
 
これが社会人になることか
社会人に必要とされる能力なのか
 
認めざるを得なかったな、自己知覚、、できるまで本当に時間がかかった。
社会に出るということはこういうことなんだ。こういう能力が求められているんだ。
 
もちろんね。友だちは優しく接してくれた。
「ちょっとボケているところが僕らしい」
「不器用なところがたっきーらしいよね」
 
そうやって、仲間に入れてくれたんだ。
でも社会人としては未完成な僕だった。数多くするミスや誤字脱字。
 
社会は許してくれなかったんだ。
ここで疑問が一つあるんだ。会社は(原因)病名を求める
僕は病院で診断された診断書を提出した。そして受理された。
 
ADHDだったんだ、うつ病だったんだ
理解は得られた。でもとてつもない違和感が僕の全身を駆け巡ったんだ。
 
社会はそうやって、僕を障がい者という区別をしたがっていたのか
そもそも障がいというその証明を求め、それにより僕はその日から障がい者になったんだ。
 
社会から区別された瞬間だった。
 
別にこれに関して僕は文句を言うつもりはないよ。ADHDうつ病そうした病名を告げても大きく動揺されることはなかった。それだけ、障がいに対する世間の受け止め方が近年は広い視野で見てくれるのだという評価もできるんだ。
 
誰も僕を責めることはしなかったし、変わらない対応だった。うん…
 
そうなんだけれど、違和感だったんだ。
障がい者になった瞬間、「仕方ないよね」と受け入れられていくそのスムーズさが違和感に感じずにはいられなかったんだ。僕は考え過ぎなのか。分かっている、分かっているんだけれど、「じゃあ、障がいて何よ!!」
 
社会に溶け込めない、又は馴染めない人々が障がい者として扱われる…
 
それでいいのかね、必要な支援も受けられる、医学的な視点から僕を社会人として復帰できるようにしてくれる。でもね、社会人として生きられない人は皆、障がい者なのか!!
都合良く社会から爪弾きにされているようにしか僕は当初感じずにはいられなかったんだ。
 
障がいはどこにあるのか?僕は以前にもブログに書いたけれど
障がい者自身にあるのは医学モデルであって、それはどうしようもないことでしょう。でも社会モデルとして障がいの壁が、世間に社会にあるのではないかと僕はそう感じずにはいられなかったんだ。
 
社会に馴染めない人は全てが障がい者なのか?
少し変な人、変わった人は障がい者なのか?
いいや、そうじゃないでしょう?
 
論理的に、
手続き的に必要なのでしょう。
手にしたこの障害者手帳が…
 
でも当初は会社から求められる診断書や障害者手帳の等級に違和感を感じずにはいられなかったんだ。隠せていなかったでしょう、このヤキモキする感情を。
 
インクルーシブという言葉があります。
『人間の多様性の尊重等を強調し、障害者が精神的および身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能にするという目的の下、障害のある者と障害のない者が共にある。』
 
日本はどうですか?
障害のある者と障害のない者が共存できる社会。確かにそうでしょうか?
 
障がい者障がい者として扱いが全く違うんです。意識されている感じが拭えずにはいられなかった。「僕は障がい者です」そう名乗らないと社会に参加できない仕組みが日本社会の現状です。特に精神障害者においては!!
 
目に見えない障がいですからね
目に見えないからこそ周囲からの受け入れられかたはとても複雑だった。
隠すこともできるよ?でも隠してもメリットはなかった。隠しきれない症状が僕の中にあったからどうしようもなくて、誰かに伝えずにはいられなかったんだ。
 
身体が思うように動かない
思ったことが言葉に表せない
突然僕に現れた症状だったんだ。これじゃ仕事もできないよね。
 
複雑な心境です。僕はそれでも少しずつ受け入れていった。
障害者手帳を手にして2年近くなりますが、この迷いのある気持ちはいつまでも拭えないです。特に転職活動においては、オープンにできればクローズドにもできます。
 
僕はオープンにすることにしました。もうこれが僕の特性なんだよね。
そこからは逃げることはできないんです。そう受け止めるまでにはかなりの時間がかかったよ。でも、オープンにしているのには理由があって、そこで企業の反応を見てみたいからだ。さぁ、僕をどう判断するか、その企業の懐の広さを見れるチャンスだと思っている。
 
ADHDというのは特性であり、特技だと思っている。自分の社会復帰をどう扱ってくれるのか。CSR(企業の社会的責任)を満たすために雇われるのか、僕の特性を理解して上で伸ばしてくれる、自ら伸ばせる環境を作れる場所かを測っていきたい。
 
理想ばかり述べているけれどそれが僕の正直な今の気持ちです。
回復までには時間がかかりました、今こうして発信の活動できるまでにも多くの迷いがありました。自分に不利に働く可能性が高い。いくらでも企業の人事は僕の経歴を、そしてこの発信を調べることができるんだよ。
でも、この場所を作らずにはいられなかった。自己満足と言われたらそこまでだ。
そうかもしれないけれど自己満足でも同じように悩みを抱えている人がいるのならばその人の力になりたいと最終的には判断したんだ。その結果。就活は難航している…
でもさ、そんなことはどうだっていい!!自分のありのままの姿を隠してまで働きたくないからだ。やりたいことができない人たちが世の中には溢れている。僕もその一人だ。でも仕事でできなくても、ブログで、ボランティアで少しでもやりたいことをしていきたいんよね!!それが僕が毎日ブログを投稿するモチベーションなの。
 
僕が僕らしく、僕がしたいように生きるため
つまり、とても自己中心的な理由やね…そう突っ込まれて当然でしょう。
でもそれでいい、それでもこのブログを読んで少しでも、自分と似ているな、共感するなぁ、コイツは不器用だな。なんだって思われてもいいよね。
 
このブログの存在が少しでも共感される人に、必要とされる人に、必要な場所であればいいなぁ、と心で思っているからなんだ。だから、毎日訪れてくれる人へありがとう。そして、初めましての人も最後まで読んでくれてありがとう。
 
少しでもこの空間があなたのプラスになるように僕は今日もブログを綴ります。
 
髙橋直之