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不登校経験を経て社会人となったやつらの発信活動

10年前の僕に手紙を書くとしたら②

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両親へ手紙をかけたなら
こんにちは、たっきーです。
今日もこのテーマでブログを更新していきます。
 
題材が前回と同様の『10年前の僕に手紙を書くとしたら』としていますが、今回は10年前の僕を支えてくれた先生や家族に宛てて手紙を書いてみたいと思いました。
 
今までの投稿でも家族や先生、友人へも迷惑をかけていたことを赤裸々に綴ってきました。でも当時の僕(10年前の僕)に現在の僕が憑依する事が出来るならその時の対応も選択も大きく変わっていたかもしれない。そう思うと取り返しがつかないようなことをしたなぁ、と時に罪悪感に苛まれる時があるんだ。
 
でも過ぎてしまったことは仕方のないことで、前回のブログにも書きましたが過去の軌跡が現在の僕を形成しているんだ。10年前の僕に現実を強いるのはあまりにも酷な話でもあるし、10年前、引きこもりだった自分もよく耐えて頑張っていたなと思うんだ。
だから繰り返しになるけれどね、責めないであげたいんだ。
 
今回のブログは引きこもり方を抱えるご家族やその周囲の方へ向けた内容です。
 
大分前に書いた記事の内容だけどさ、母に当時の僕に対してどんな心境だった?と問う機会があったことを話しました。「どうして良いか分からなかった、手を差し伸べても部屋に引き籠る一方で何も出来なかった」そう母は僕のことを振り返っていたんだ。
 
そう、家族て辛いと思うんだ。引きこもりのご本人も何かしらの理由があって社会から距離を置いている。でも家族も気が気ではないと思うの。だって家族だから…
 
将来のことも心配になる
親は子より先に旅立つ、その先でも子が一人でやっていけるのか
 
悩みは絶えないと思うんですよね。身近な人がそんな状況だったら本当にどうしていいか分からない。焦りや心配に苛まれる。家族が悩む、頭を抱える。僕も10年前を振り返ってみてもそうだったよ。
両親が僕への対応について毎晩のように喧嘩していた声が聞こえた時期があった。なんて親不孝なことをしていたんだ。と今振り返ると頭が痛い。
 
そんな気持ちを10年前の両親に宛てて僕が今思う精一杯の気持ちを手紙にして言葉に認めたいと思いました。今は亡き父さんには読んでもらうことはできない、母に先日、この気持ちを伝えたんだ。そうしたら母は泣いて「お前は今もよく頑張っているよ」とそう語りかけてくれた。その時の会話を今から言葉にまとめます。
 
26歳の僕、母へ
『僕が引きこもりだった時、色々と迷惑をかけてごめん。父さんと喧嘩する声が自分の部屋から聞こえてくる時があった。その当時の僕は自分のことで精一杯で何もできなかったし、ただその地獄絵図のような場面から逃避したくて毎日のように困らせていた。本当にごめんなさい。でもね、母さん、一つだけ言い訳をさせてください。僕だってその当時は将来のことが不安で不安で仕方なかったんだ。何をしても上手くいかなくて、学校に行けばいじめられてしまうし、外に出れば誰かが噂をしていないかと、おどおどしていたんだ。でも、それでも親にもらったこの命を絶とうとした時期もあったけれど、でも、引きこもりながらも、なんとか自分の身を守っていたんだ。負けそうになる。本当にこの世から逃げたくなる日があった。でも、その当時の自分は精一杯で一人で部屋ん中で考えていたんだ。そして今の僕がいるんだ。悩みに悩んだ経験から、人として人の痛み、親の痛み、それらに気づける大人になることができたんだ。今も尚、心配をかける時があるけれど、でも過去を悲観したくはないんだ。あの頃たくさん迷惑をかけたけど、その分、心の豊かな人間になれたと思う。まだ何も成し遂げていないけれどね…でもこれからも見守っていてほしい。「どうしていいか分からない」その通りだと思う。でも僕は悩んだ分、強い大人になれた気がするんだ。過去が今の僕を強くしている。だからあの頃は決して無駄な時間ではなかった。心配はかけるけれどどうか見守っていてほしい。』
 
自己都合的な発言が多いことは承知の上だった。
でも母へ伝えたかったことは今の僕は立派に成長しているということだった。
確かに当時は迷惑をかけた、けれどその分だけ僕も悩み現実逃避と現実を行ったり来たりしながら悩みながらも自分の道を今まで歩んできたんだ。
 
引きこもりや学校に馴染めなくてなかなか社会参加できないお子さんが増えていることは年々増加傾向にあるというデータがここにあります。
 
 
でも、今は学校以外でも子どもの可能性を引き伸ばしてくれる場所が増えています。
教育の多様化です。頭が良いだけが現代社会では評価されません。心の痛みの分かる人間、人を尊重できる姿勢。様々な点が評価される社会です。
 
学校へ行かない=人間として成長できない
 
そういう時代は終わったように感じます。それを今の僕が体現しています。
実際に今も勤め先も決まっており、引きこもり時代はありながらも、大手企業に新卒で入社することもできました。社会が求めている人間はテストの点数が取れる人間だけじゃないということです。
 
お子さんが学校に馴染めなかったり、悩み、苦しんだ経験だって、それは将来的には大きな価値となります。人間として人の痛みが分かるというのはとても大きな価値です。それが評価される時代が到来しています。僕の母は実際どうしていい分からなかったと振り返った。それと同時に僕も実際にどうしていいか分からなかった。分からないなりに通信制の学校に通わせてもらい、一人でも多くの人間関係を築こうと奔走した。
 
最終的にはご本人が選択するんです。
 
もちろん、楽に行きたいから、楽な生活へと選択させては元も子もありません。
父が厳しく僕に叱咤した。それも僕には大きかった。言われる僕も辛かった。でも現実を見せてくれたから危機感を感じた。でも危機感をあまりにも強く感じ過ぎてしまったら今の僕はいないだろう。現代は学校以外にも選択肢はある。
 
子どもの成長の場とはどこなのか?
 
今日のブログはこの辺りで失礼します。
次回のブログでは学校の必要性について問うてみたいと思います。
ちょっと更新に時間がかかるかもしれませんが、また次回もよろしくお願いします。
 
髙橋直之

10年前の僕に手紙を書くとしたら①

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10年前の僕へ
皆さんこんにちは、たっきーです。
新年明けましたね、本年ブログ初投稿です。今年もどうぞよろしくお願いします。
皆様にとって実りのある年となりますように。
 
今日もブログに訪れてくださりありがとうございます。
 
今年は2020年ですね。今回のテーマは10年前の自分に手紙を書くとしたら。
 
10年前のあなたはどんな姿でしたか?
僕はまだ学生でした。今回のブログは学生の人に向けた内容です。
 
2010年の僕は引きこもりの16歳、まだ中学生、将来を悲観していました。
希望がないと窓のカーテンを閉めて僕は近所の小学校から聴こえてくる声に耳を塞ぎ、ただひたすら本の世界に没頭する日々を過ごしていました。
 
まさか10年後も無職の生活を送っているだなんて、
ちょっと今の自分にも笑けてしまいますが、でもただ一つ違うことがある。
自信に満ちている、そして恵まれた環境にあるということ。
実は私事ですがご報告があります!新しい就職先が決まったんです。
なので無職には変わりないのですが新しいスタートに心が躍っています。
 
10年前の僕に手紙を書くとしたら、
必ず伝えたいのは「僕はひとりぼっちではない」
そう僕は今、たくさんの友だちに恵まれています。そしてこのブログの読者にも。
過去の経験を悲観せずに前向きに捉えようと、常に自分を変えようとしてきた日々が今の僕を作っていることを伝えてあげたいな。だから前を向い欲しい。
 
僕が中学生の頃、引きこもりだった10年前、友だちと言える人は本当に少なかった。
自分の部屋の外の世界は未知で怖くて、ただ自分の世界に閉じこもっていた。
そんな10年前の僕に宛てて手紙を書いてみたんだ。それはenokiの提案だ。でも振り返ってみると不思議とたくさんのワードに溢れてくる。文才の無い僕が過去の自分に当てて書きたい内容を500字程度でまとめてみました。
 
10年前の君へ
『僕は今、幸せです。仕事がないし、収入も満足していない。父は亡くなり、母と祖母を支える日々に奔走する日々を送っています。でも僕は幸せです。一番君に伝えたいのは、将来の僕には仲間ができたんだ。本当に仲間と言える仲間が!「友だち」と表現しないのは様々な関係性があるからです。知人、親友、彼女、悪友、本当に様々な人間関係を築くことが今の僕にはできたんだ。なんでだと思う?それは、僕が10年前引きこもっていて、その時に寂しさを感じていたからだ。その時の僕が居たから、生きる選択肢を諦めなかったから今の僕が居るんだ。感謝している、先ずはありがとう、と伝えたい。次に、よく頑張ったな、耐えたな。この先、様々な失敗と苦労を重ねていくでしょう。本当にそれは僕の不器用さから生まれることかもしれない。でも不器用さから愛される僕も居るんだよ。引きこもっている僕へ、10年後の僕は幸せだ。強がっていない。心から満たされていると感じている。それは多くの人に支えられて仲間に恵まれた生活を送っている。だから失敗して泣いて、色々な人に迷惑かけて謝って、後悔して、また泣いて、失恋して、また泣いて。それでも僕は今を幸せと言う。過程は大変だけど、家族のことも前もって知らせておきたいことはたくさんあるけれど、この手紙が届くならば。ただ一つ伝えたいのは、生きる選択肢を選んだ僕は偉いそしてよく頑張った、ありがとう。』
 
引きこもりや、いじめ、様々な人間関係で悩みを抱える思春期はとても多くのことを考える。正に悟りを開くかの如く多くの思春期を迎える人は自分という存在、そして価値観を試しながら構築していく期間だと思うんだよね。
そして「自分」が構築されていくんだ。社会に出たら色々な人がいる。様々な価値観を抱いた人に出会う。正にカラフルな社会だ。自分の想像を遥かに超えている人だってたくさんいる、時には否定したい意見と対等することだってある。でもそれだってあなたの大切な価値観だ。
 
さて、自分に宛てた手紙として綴ってみましたが
それと同時に学生の皆さんにどう映るのか試してみたいんだ。僕自身に宛てたメッセージだ。でも、もしあなたの将来10年後から手紙が届いたらどんな気持ちかな?
時間は不可逆で未来に行くことはできても過去に戻れないことはアインシュタイン相対性理論でも証明されている。言われてしまえばそこまでだけど、ここで伝えたいのはそんなあり得ない内容でも、みんなに共通することがあるのではないか。
 
未来をさ、良くしたいよね。
未来を明るくしたいよね。
 
そのために奔走して自分が磨かれていくんだ。その成果は絶対に出るから!!
諦めという選択肢をしなかったから僕は今もブログで社会に発信しているんだ。
自己満足、ペースメーカーだろ?強がりたい自分を支えたい、確立したい道具じゃない?
なんと言われてもいいんだ。確かにその通りだからさ。
 
自己満足がなくて自分を豊かにできるか?
強がりたい自分を、格好よく見せたいと思うから人は成長するんじゃないかな?
 
なんと言われようと。どんな目でみられようと、失敗だってしてもいいし
正直、この場所に書いていることは恥ずかしいくらい裸の僕の姿だ。
反面教師にしてもいいし、何かの参考になるなら真似てもらってもいいんだ。
 
『中学三年間不登校を経験し社会人になるも様々な壁にぶつかりまくっているやつら』
 
その発信活動の一つなんだよね。醜い姿もあるでしょう。
でも、それでも、僕は僕なんだ、変わることもできないし変えようとする努力をしても変えられない現実だってあるけれど、何かを伝えたいという思いを一筋にブログを続けています。賞賛はいらないです。
 
ただ、1万人の中で一人でもこのブログを読んで救われる人がいるならばそれが僕の生きがいの一つなんだ。10年前の僕が引きこもりだったことを公言するだなんて想像もしなかっただろう。学生の頃は必死に足掻いた、強がろうとして、頑張りすぎて、失敗したこともあった。でもいいじゃない、だって手紙にも書いたけれど今の僕が幸せなんだもん。
 
もし大人の人がこのブログを読んでいたら10年前の自分に手紙をかけたらどんな手紙を書きますか?多分、大多数の人は過去の自分を認めてあげたいんじゃないかな?
だって過去を否定したら今の自分を否定することになってしまうんだ。
 
人生の軌跡はつながっている
 
ちょっと今回はSFチックな内容でした。enoki君の提案で面白い視点だなと思ってブログを書いてみました。さすがだな相棒!そう呼べる仲間ができたのも僕がひとりぼっちじゃない証さ。
 
本年もこんな感じでゆるりと更新していきます。
また気軽にブログに訪れてくださいね。
 
髙橋直之

2020年に向けて今後のブログのあり方

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ブログへ訪れて頂きありがとうございます
こんにちは、たっきーです。
今年の11月から突如として始めたこちらのブログではありますが、今や230人を超える読者に支えられているブログまで成長しました。訪れてくださる皆さまへ本当にありがとうございます。
 
これが2019年最後の投稿となります。
先ずは繰り返しになりますが、お読み頂きありがとうございます。
今後もブログとしては最低でも1週間には1投稿を目指しながらも発信を続けていく所存です。立ち位置としても過去に不登校を経験した私たちの経験則でしかありませんが、その過去の経験(主に苦しかった事)を前向きに捉えながらも、現代に生きる社会人、学生に向けて少しでも前向きになってもらえるような場所でありたいと考えています。
 
僕らの経験からしてみれば、比べるものではありませんが、浅い方だと思います。
不登校やいじめ、社会に適合できない苦しみに耐えきれず自ら命を絶つ人も悲しながらも多くいるのが現状です。僕らは苦しみながらも、なんとかenokiと支え合って、周りの友だちに支えられて今があります。人のつながりとは本当に尊いものだと思います。
僕は助けられてくる事が多くありました。ASDを抱えながらも寄り添ってくれる友人、そして指摘してくれる友人のお陰様で今の僕があります。
 
発信活動を続ける動機として一番大きいのはやはりそうして支えられて今の自分があるという事で、支えてきてくださった皆さまに感謝を込めて、且つ同じような悩みを抱える人々に少しでも気持ちを共有できるプラットフォームづくりをしたいというのが僕らの思いです。
 
ASD自閉症スペクトラム症)に関わらず現代の過当競争の迫られる社会では多くの人々が悩みを抱えていると思います。僕らはそうした人々に僕らの浅はかな経験則でしかありませんが学ばせてきていただいたことを少しでも共有し、生きづらさを抱えている人々の支えになるようなブログになるようにと考えております。
 
2ヶ月で200人を超える読者を抱える事が出来たことも、複雑ではありますが社会にそれだけ必要とされるブログであると僕らは考えています。コメント等、気軽で結構です。
どんなに小さなことでも構いません。今後は悩みを抱える人々の支えになるプラットフォームになるような場所を目指しています。以前のブログにも書きましたが、相談専用のアドレス開設も検討中です。
 
繰り返しますが僕らは多くの人たちに支えられて今を生きています。
そのご恩に少しでも報いるために始めた活動であり、この場所です。
 
小さな活動ではありますが、それが連鎖して一つのムーブメントになればと願っています。
 
2020年はこうした内容にもフォーカスを充てていきたいと思います。
 
  • 増加傾向にあるいじめ
  • 増え続ける教員の負担
  • 学校は必要なのか?逆に学校は必要とされるのか
  • ストレス社会にどう対応していくか
 
少しでもこのブログを訪れた人が気持ち的に楽になれる場づくりをしたいと考えています。今後は僕らの経験則だけではなく実際のデータを用いてより具体的にブログを信憑性の深いものにしていきたいと考えています。
 
末筆ではありますが、今後ともよろしくお願い申し上げます。
皆さま良い年を
 
髙橋直之 enoki

しんどい時に読んでほしいブログ

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あぁ…しんどいなぁ
皆さん、こんにちは!たっきーです。
車で旅をしている最中でしたが今日は色々とお世話になっている方の宿にお泊まりです。
岡山県倉敷市の美観地区の中にある隠れ家のようにひっそりと佇む風情のある宿です。
 
今日はしんどい時に読んでほしいブログとストレートにテーマを絞りました。
不思議と人間て、少し無理して生きるのが得意だと思うんです。多分、それは成長のため
 
とある庭師の方の話をします。
その方がおっしゃるには「木を長生きさせるためには甘やかしちゃいけない」
現場に立ち会う機会がたまたまあったのですが、切るわ切るわ、枝を容赦なく剪定していくんですね。より際立たせるためには少し植物の負担になるけれども、負荷をかけることで「このままじゃいけない」と植物も考えて成長を促進させるそうなんです。もちろん、適当に選定しまくって負担をかけすぎたら植物も枯れてしまいます。程よい負荷が成長を促し、見た目も麗しい綺麗な枝張りをした植物になっていくんですね。
 
ちょっと人間と似てません?
 
仕事でも勉強でも、少ししんどいなぁと思うことを続けていくことによってちょっとずつ成長が芽生えてくる。だから、少しだけ無理をすることは私たちにも必要な試練なのかもしれません。掛け算の九九を言えるようになるまで何度も失敗しました。僕は7の段が苦手でどうしても8の段と混同してしまうんです。それでも先生は全ての段が言えるようになるまで判子を押してくれません。子どもなりに判子を全てもらいたいと、ちょっと意地を張って頑張ってみました。時間はかかったけれど何とか言えるようになった。その時の達成感が正に成長の証ですよね。
 
小さいハードルをクリアして、次のハードルに挑みます。
いきなり掛け算も7や8の段から始めませんよね?最初は1の段2の段を言えるようになってから徐々にステップアップしていくものです。
 
「当たり前のことじゃないか!!」
 
確かにその通りです。当たり前のことを書いてきました。
今日お伝えしたい内容も何となく察しがついてきていると思います。
 
でも、皆さん自分に負荷をかけすぎていませんか?
その主な理由に外的要因が大きいのではないかなと僕は思います。昔も今も学生は受験においては過当競争です。数字が求められる故に人一倍勉強しなければならない。
方や社会人では年功序列の終身雇用から今や自分でキャリアプランを考えて転職をすることが当たり前な時代になってきています。社会人も学生も競争社会の渦からは逃れる事が出来ないのが現状です。気がついたら頑張りすぎている、しんどいなと感じている。
それは心のサインです。「これ以上は厳しいよ」って心が叫んでいるサイン!
 
そのサインに耳を傾けていますか?
 
闇雲に努力すれば成果が出るとは僕は思いません。自分のモチベーション、健康状態、それらを良好に保てたら最高のパフォーマンスを出せると僕は考えています。
 
闇雲に頑張って、頑張っているんだけど…その努力が報われない。
なんて負のスパイラルに陥ることだってあるんです。
 
だから、「本当にしんどいなぁ」と思ったら、気分転換してみませんか?
ちょっと贅沢にカフェで美味しい飲み物を
休み時間を作って休養をとる
趣味に打ち込んで英気をを養うことだっていいですね。
 
話が最初に戻りますが、少し頑張る程度が、人間にとって一番いいと思うんです。
そのために必要なのは目標設定です。
 
いきなり高い目標を設定するのではなく、まずが小さいことから積み重ねていく事が理想です。でも競争社会でそんな事言ってらんない!
確かにそうですが、仕事ができる人ほど休みの取り方が上手いように感じるんです。
寧ろ、自分のやりたいことにフォーカスして仕事は仕事でメリハリをつけて頑張る。自分が楽しいと思えるような生活をベースにしている。
 
しんどい事がメインワークになってしまったら辛くないですか?
私たちは何のために生きているんですか?仕事のためでも勉強のためでもありません。
人生を謳歌するために生きているんです。
 
そうすると、頑張り過ぎて他に何も出来ないというのも何か違う気がしませんか。
しんどい時は休むに限ります。というより、自分の今したいことは何ですか?
したいことに打ち込んでみることで気晴らしができて自分の気持ちも少しは楽になると思うんですね。セルフコントロールは非常に大事です。
 
でも競争の中でどうしても忘れがちになってしまうのがコレ。
ブログを読んでくださっている皆さまはどうでしょうか?
 
私の場合、転職期間の間、年末年始何もない、正に今旅行している事が気晴らしです!!
自分の好きなところに行って、好きな人に会って、好きなことをする。正に贅沢(笑
 
これはあくまで僕の一例ですが、「しんどいなぁ」と感じていたら
ぜひ何か自分にご褒美をあげてください。
 
髙橋直之

目に見えない障害③

サンタさんは皆さんの元に訪れましたでしょうか。
クリスマスも過ぎ去り今年も残すところあと少しですね。
 
たっきーです。1日おいて本日もブログを更新します。
 
僕は今、車で旅をしています。現在地は山口県下関市関門海峡を眺める場所。
ここに来るといつも立ち寄るカフェで休憩しながら書いています。
 
下関を訪れるのは実は4回目なんです。
唐戸市場に着いて、いつもお世話になっている祖母宛にフグを送りました。
丸々と1匹 笑
 
刺身セットや鍋セットとか色々あるけれど最終的には自分で調理した方が安いし無駄なく使えるということでその選択に。いやぁ届いた瞬間祖母はどう思うだろうか。
新年に美味しいフグ鍋を調理しようと考えています。皆さんも新年に向けた準備を進めている頃でしょうね。大掃除や仕事納めお忙しい時期だと思いますがあまりご無理はなさらないように体調にはお気をつけくださいね。
 
さて今回も前回と同様の内容で更新しようと思います。
 
前回ご紹介したパズルリボン
 

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こちらですが付けるか付けないかちょっと迷っているんです。
職場では自分の心の障害をオープンにしていこうと思っているのですが、迷う理由の一つに周知させる必要のない人にまで自分の障害を知らせることになるかもしれないと考えると若干ためらいがある気持ちが否めません。
 
私の場合、ADHDでも注意欠陥の傾向が強く、物忘れ、誤字脱字、説明をまとめてされると理解に苦しむ、顔と名前を覚えるのが遅い。そうしたことが私の障がいに挙げられますが、困るタイミングは人とのコミュニケーションが生じる時に限るんですね。
普段は普通に歩けますし、障がい者手帳はありますが、今も車で旅しているように自由に動き回ることだってできます。こういう瞬間は私は一人の人間として障がいを自分では感じない健常者…言葉に迷いますが…のように思うんです。
 
そんな時に普通に社会に溶け込んでいる私は健常者として何不自由なく生活していることから今、リボンを付ける必要性があるかというと…ないかな?と思ったりします。
 
精神障害はとてもセンシティブに扱われることもあり、必要以上に自分から発信したくないと考えている人は少なくないと思うんです。寧ろ、立場によっては内緒にしておきたい方もいるかもしれません。私もブログを始めるまではごく一部の友人にしか伝えていませんでした。何故かというと、伝えなくても支障がなかったからです。
友だちと普段、コミュニケーションを交わす時にちょっとしたミスがあっても友だち同士の間柄なら許されていたんです。受容されていたので実はね?てカミングアウトする必要な場面はごく僅かな場面でした。
 
それは多分、私が生きづらさを感じながらも社会に溶け込もうと必死に社会参加してきた賜物であると思います。だから一見すると気づかれない程度の障害レベルまで回復しています(服薬治療の効果も含めて)
 
じゃあ必要ないんじゃないの?
 
そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。今の私には確かに仕事を除いて必要な場面がないので付ける必要性を感じていません。しかし、私はリボンを入手できたら積極的につけていこうと思います。何故か?
 
リボンを必要とする人がいるからです。
 
例えば、子どもの頃の僕
なかなか周囲と馴染めなくて、思ったことを口にしてしまい、結果、人を傷つける。人間関係をなかなか築けない自分がいました。どうして僕だけ、自分は正しいと思ったことをしているつもりでもどんどん浮いていってしまう。寂しさと常に葛藤していた私が居ました。
 
近年、児童でASDを抱えている率が上昇傾向にあります。俗に電子レンジによるマイクロ波の影響や電子機器の電波が脳に与える影響など指摘されますが、私が最も可能性として考えられるのは世間からASDの認知度が高まりを見せ、精神科を受信する子どもが増えているのが大きな可能性としてですが考えられます。
それはとても良いことで子どもの頃に自分の特性に気付けることで必要な支援が受けらる他、学校においても教員の対応も変わってくると思います。
 
ASDには様々な障害があり下の図のように様々な障がいがあります。
 

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例えば代表的なのはASD自閉症スペクトラム症)、ADHD(注意欠陥・多動性症)、LD(学習障害)です。これらのタイプを単独で抱えている場合もありますが、特性を併せ持って、複数のタイプを抱えるケースも多くあります。つまり私のようにASDの特性が濃いめだけどADHDの特性を少し持っていることが例に挙げられます。
私の場合ASDの傾向は生きづらさを感じていく中で、私の友だちからの助言、社会参加(アルバイトや学生生活)を経て見えないほどに薄まったように思えます。しかしながらADHDだけは社会人として注意欠陥障害が致命傷になり、うつ病になってしまった。という経緯があります
 
つまり、子どもの頃にしっかり自分の特性を知れるということは、今後の社会参加においてもなるべく本人への負担(ストレス)が少ないように治療、療育していくことができるんですね。そうした障害を抱えた子どもたちも、普段街中で見かけても分かりません。学校でも言われるまで気がつかない先生も多数います。
 
だから、やっぱりリボンの存在はとても欠かせないものだと思うんです。
まだ知名度は低い段階ですが今後、広まりを見せて行けば精神障害を抱えた子どもたちが少しでも生きやすい社会になると思うんです。
もちろん悪いことは悪いとちゃんと指摘してあげることもその子には大事です。
 
例えば電車の中でパズルのリボンをつけた子どもが走り回っていました。
恐らくASDの中でもADHDで多動性の傾向がある子どもであることが分かります。
注意する時も「うるさい!!!」と罵るのはその子にとっては逆効果です。
何故、走り回ってはいけないのか、理由も添えてゆっくり話しかけてみましょう。
「キミが走り回ると、周りに迷惑をしているお客さんがいます。それにキミだって転んで怪我をするかもしれないよ。だから走り回るのはやめましょう」ゆっくり端的に伝えると伝わりやすいです。それでも伝わらない時もあるにはあるのですが…
 
やっぱりリボンをつけていることで多少なりともASDの症状を抱えた子どもに対する理解と周囲の受け止め方も変わってくると思うんです。
 
なんで忘れ物が多いのか分からない
なんで走り回っているか分からない
 
教える側もストレスになりますよね。そんな時にそのリボンの存在がその子に必要な解決策を導き出してくれるヒントになってくれるかもしれないんですね。
 
だから僕もこのリボンが届き次第着けてみようと思います。最初は何でだろうと思われる人もいるかもしれませんが、「見たことないから、見たことある」に変わるだけでも世間からの認知度を上げられるきっかけ作りになると思うんですね。生きづらさを感じながら大人になった私が、次の世代のASDを抱えた子どもたちに少しでもできる活動がこのパズルのリボンをつけてみること、ということです。
 
うん、まぁ確かに私にはあまり必要ないかもしれませんが、身の廻りの人からちょっとずつ認知度を上げていくお手伝いができればいいなと思います。
 
このブログを読んでくださった皆さんも、パズルのリボンについてちょっとでも周りの人に広めるお話をしてみていただけたら嬉しいです。「目に見えない障害」というタイトルでブログを3作綴ってきましたが、本日をもってこのテーマは終わりにします。
 
別のテーマや切り口で今後もブログをゆるりと更新していく見込みです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 
 

目に見えない障害②

メリークリスマス!たっきーです!
 
サンタさん来るかなぁ。
今年は何をお願いしようか迷いましたが、今年はたくさんの人との再会に恵まれた年でした。そうしたご縁に感謝の気持ちがいっぱいなのでもういいかな。
寧ろ自分がサンタさんになって感謝の気持ちを届けて廻りたい気分です(笑
 
さて、今日はこのマークだけ覚えて頂けたら嬉しいのです。
 

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パズルのリボンです。ASD(Autism Spectrum Disorder)自閉症スペクトラムの象徴とされるリボンです。乳がんの啓発活動にピンクのリボンが使われていましたがASDの啓発活動でもこちらのリボンが用いられていることは皆さんご存知でしたか?
まだまだ認知度が低いようで、私も最近、調べていく中で知ったものです。
前回「目に見えない障害①」でも内部障害を抱えた抱えた方に向けて、助けを必要とするために赤いキーホルダーがあることなどご紹介させていただきました。こちらは近年とても浸透してきているようで街中でつけていらっしゃる方を目にしたり、優先席を譲る姿なども見るようになりました。助けを必要としていることをさりげなく伝えられる良い手段であると僕も思います。
 
そして今回はASDの象徴とされるリボンです。
こちらもなかなか自分からは発信しにくいのが現状です。コミュニケーションに難があったり、日常生活で理解を必要とされる場面があったりします。精神障害もれっきとした内部障害です。身体障害に比較して受けられる支援の幅が狭いなどについては前回言及しましたが、ここでもう一度皆さんに考えて欲しいことがあるんです。
 
精神障害の人は優先席を利用していいでしょうか?
私は良いと思います。
 
何故か…
時に過呼吸や強い倦怠感に見舞われる瞬間が症状によってはあります。立ってはいられないほど、歩くとフラフラしてしまうなど人によって症状はまちまちです。
優先席はお年寄りや身体に不自由を抱えている人に向けて作られた席です。俗にシルバーシートと言われていますが、シルバーシートと聞くとお年寄り優先に聞こえてしまうのは気のせいでしょうか。優先席とまたはゆずりあい席と最近は呼ばれていますね。
 
精神障害を抱えている人の中でも症状によっては立つことすらままならない時があることを理解してほしいんですね。これは過去にあったことですが、過呼吸になってしまった知人を最寄り駅まで送っていった経験がありました。しかし頑なにその知人は優先席に座ろうとはしないんです。「優先席は身体の不自由な人のためにあるのだからと言っていました」
 
でも考えてみてください。熱でフラフラする時や頭痛がどうしても酷い時
優先席を使ってはいけないのでしょうか。
 
これはあくまで僕の考えですが優先席は誰でも、その時に必要とする人がいるのならば使って良い席だと思うのです。
「あぁ今日は仕事で疲れたぁぁぁ」…それはちょっと家まで我慢してください。
 
でも、身体に少なくとも重たい症状が出てしまっているのならば優先席を誰でも使っていいと僕は考えるんですね。風邪を引いた時、熱でフラフラしているのに立っている方が逆に危険です。そうやって考えてみると優先席を使っていい人の幅が広がりませんか?
 
「いや、ちょっと待ってよ、そしたら優先席が足りなくなっちゃうじゃん」
 
ここからは限定的な取り組みの紹介になりますが、私の住む横浜市では地下鉄は全席ゆずりあい席とされています。席を必要としていない人は自然と立つんですね。学生さんなんかは多くの人が立っている光景をよく目にします。
僕はこの取り組みはとてもいいな!と思いました。そんなに長くない路線ですので座る時間も長くはありません。席を必要としない人ならば立っていても苦にはなりません。それだから成立する取り組みなのかもしれませんが、ちょっと広めに視点を捉えたら他の路線でも全席ゆずりあいシートに変えてしまってはいいのかなと考えました。
東海道線のような長い路線だと少しきついかもしれませんが、心の持ちようであると思うんですよね。本当に席を必要としている人が実は利用しにくい環境にあるのではないかと僕は感じずにはいられません。
 
例えば前回ご紹介した赤いキーホルダー
付けている人は助けが必要であると昨今は理解が広まりつつあります。
しかしながら今回、載せたパズルのリボンなかなかまだ周知されていないのが現状です。
優しい人であればあるほど遠慮しがちで無理をしてしまうんですね。
 
でも、辛かったら優先席に座ってもいいし
優先席でなくてもゆずりあいの気持ちで辛そうな人がいたら譲ってあげてほしいんです。
精神障害と身体障害では確かに身体の可動域に関わる制限が少ないように感じられますが、時には痙攣や立ちくらみなどの症状を起こしたりします。それによる事故だって実際は起こっているんですね。
 
ここでお伝えしたいことは、世の中にはたくさんの助けを必要とされている方がいます。
日本人て素敵だと思うんです。ゆずりあいの精神を重じているように思えるからです。
弱者を敬う文化が根幹にあるからなのかもしれません。でになかなか目に見えないところに障害があると、気づかれないこともよくあるんですね。
 
でもこのブログを読んでくださる方にちょっとでも知っていただきたいんです。
「こんなリボンがあるんだ」「こんなキーホルダーがあるんだ」あるんです!!
 
助けを求めている人が意外に身近にいるかもしれません。
そんな時に真っ先に気付いてあげてゆずりあいの精神で助けの手を差し伸べてはいかがでしょうか。とても素敵なプレゼントだと思います。
 
きっとそんな人には今日、サンタさんが来るんじゃないかな。
 
 
こちらはご参考までにASDのパズルのリボンを作成、販売されているお店です。
よろしければ覗いてみてくださいね。
 
 

逃げるが恥でも逃げるが勝ち!!

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時には自分に優しくね
こんにちは!たっきーです!!
僕は冬休みに入りましたー。旅行しています。(いやいやずっと休んでいたでしょう)
でも転職活動頑張ったもん。たまには気分転換も大事です。
というこんな小話ですが今回のテーマに実は深く直結することなんですね。
 
僕の身の回りで同じように精神疾患を抱えている仲間がいるんだけれどとても悩ましい事にいい人ばっかりが、そんな状態になってしまっているんだよね。
 
特に優しい人
自分のことは後回しにして他者を助けようと考える人
 
多分、そういう人たちは皆自分から助けを求めることが苦手だったりしたり
他の人から頼りにされる立場になるからさ、逆に相談ができなかったり
そんなことが多いんじゃないかな?
 
話を聴いているとさ、とてももどかしいと言うか歯痒いと言うか、
なんともやるせない気持ちになるんだよね。
 
もっと自分を大事にして欲しい。
そう願うんですがなかなか実行に移そうとしても難しい現実もあるようです。
 
例えばリーダーや何らかの役職についている人
こういう立場だとなかなか部下に相談はしにくいし、仲間に相談するにも同じように忙しくしているから話しかけにくい。僕がそうだったんだよね。
社会人2年目で小プロジェクトのリーダーを任せられた時、相談できる人が近くにいなかったんだ。だからどんどん悩みごとや問題を抱え込んでいっちゃったんだよね。今、考えたら同僚に相談すれば良かったんだけど変なプライドが邪魔しちゃったんだよね。
リーダーなんだから一人で解決しなくちゃ!そんな風に強がっていた僕でした。結果、体調を崩すまで誰にも話せずにいってしまったんだけどね。
 
でもここで学んだことが一つあって
悩みごとや問題事項は雪だるま式に時が経つにつれて膨らんで大きくなっていくんだ。
そして自分では抱えきれなくなる。
 
だから悩みや問題が小さいうちに誰かに相談することが大事だと思った。
現実は難しいかもしれない、でも抱えきれなくなってからでは遅いでしょう?
そもそも自分があっての仕事だし、心の健康と身体の健康は維持することが第一!
 
よくよく考えてみると、仕事が出来る上司って
仕事してないんだよね笑(実際はしているけれどしていないように見せる)
何故それができるの?自分にできないことは部下だろうが上長だろうが正直に相談しにいっていたな。いつも低姿勢で人に教えてもらっていたり、仕事を任せていたり、つまり分担がとても上手いと思った。
 
どうやったらそれができるのか?
やっぱり雪だるま式に膨れ上がる前に、ちょっとの悩みでも問題でもプライドを捨ててどんどん周りに相談しちゃうこと。ちょっとずるいかもしれないけれど、人間助け間からさ、逆に相手が困っていたら助ける、だからい今は僕を助けて〜
みたいにHELPサインを早めに出せたらいいね。出せるような環境を作ることも大事。
 
性格は人間なかなか変えることは難しい
そうしたら環境を変えてみるのが一番だよ。
僕はそれで転職をしたんだ。ここでは相談できる環境じゃないな!
ちょっと逃げかもしれないけれど、逃げてもいいじゃない?
 
自分を第一に考える選択をすることが自分を守る事にもなるし、生活の基盤を作れると思うの。あとは色々なコミュニティに参加してみることもいいことかも。自分の居場所を複数作ることで気分転換もできるし別の場所では言えないこともこのコミュニティなら相談できるな!とかそういう瞬間があったりするんだよね。仲間を増やす事にもなるし一石二鳥でしょう!!社会人になると友達を作るのがどんどん難しくなるからね。
 
つまり今まで話したことをまとめてみると
自分の逃げ道をたくさん作っておきましょう!!ということです。
逃げていいんです。逃げる場所があるならば。
あと人に任せていいんです。任せられる人がいるのならば。
 
誰も助けてくれない環境に自分がいるなと思ったら早いうちに立ち去るのも名案です。
つまり『逃げるが恥ではなくて、逃げるが勝ちです』
 
自分に適した環境が必ずどこかにあるはずです。
そんな場所を見つけることができたら、ちょっと生きづらさを感じていても、少しは生きやすくなるのではないでしょうか。若ければ若いほどフットワークの軽さを武器にできますよ。もちろん学校が嫌だったら逃げてもいいんじゃないかな。夏休み明けに近くに見たニュースで「学校が嫌なら図書館においで」ていうのを見ました。これも名案です。
 
学ぶ場所だって学校じゃなくたっていいんだからさ。
って、全て僕の過去の失敗談から生まれた経験に基づく対処法です。
活かせそうなことがありましたら実践してみてください。
 
髙橋直之